ブログが読まれるために必要な「突破力」

 たつを氏が、こんなエントリーを上げていたので、別にParsleyは「人気ブロガー」ではないけれど簡単に。

 人気ブロガーになるには熱量が必要

 自分が今でもブログを細々と続けていられるのは、やはり「読まれている」という実感があるからなのだけど、ここを始めてから1年ほど経過した2005年ごろに、あるエントリーがそれなりに注目されたのがきっかけだった。

 民主党議員がオンナゴコロを掴むために

 当時はまだブログをやっているひとが少なくて、トラックバックやはてなブックマークの数が指標となっていたから、現在と環境がまた違うのだけど、自分が尊敬しているひとや私淑していたひとがこぞって読んでくれて、むちゃくちゃ嬉しかったことを今でも思い出す。
 たつを氏が触れている「熱量」も、もちろん大切ではあるのだけど、1年程度は自分の感じたことや思ったことをそのまま文章にすることを辞めなければ、どこかのタイミングで「突破力」があるエントリーが書けるのではないか、と個人的には考えていて、活躍しているブロガーもそういうエントリーが何かしらあったりするんだよね。
 だから、「無理はせずにぬくぬくとまったりだらだら長く続けていく」というのは正解で、はじめからバズを狙って炎上したとしても、そのままでは数年で飽きられてしまう。
 
 ちょっと話がずれるけれど、自分ははあちゅう女史のことが大嫌いではあるけれど、『さきっちょ&はあちゅうの恋の悪あが記』の頃から共感なり反感なりを買うエントリーがあって、それをフックに次のステージに進む原動力にするだけのセルフブランディング力=根性はあったわけで、彼女の今があるのは「恋活」時代があってこそなのは間違いない。そういった自分を推進する「突破力」を常に磨いているところは、尊敬に値すると思うわけ。

 とはいえ、凡人が数々のブログを同時に書いて、なおかつ読み手の心に(良かれ悪しかれ)響く存在になれるわけではないので、繰り返しになるけれど自分に正直な感情だったり思いだったりを、熱量をもって伝えられるようになれるよう、そして「好き!」あるいは「嫌い!」といった気持ちを表現できるようになると、「人気ブロガー」への突破口になるかもしれない。まずはそこからなんじゃないかなぁ、と改めて思った次第です。

メディアは何を増幅・拡散させるのか

 疲れているし、なんかイライラしているし、適当にアルコールを入れたので感想のような感想でないようなものを。

 「東京が壊滅する日」タイムリミットの1年後(2016年7月17日) 東京は壊滅したのか? いいえ、都知事選の真っ最中です。 (Togetterまとめ)

 私自身は公害喘息患者でもあるし、放射能よりもさまざまな排ガスや大気汚染の方がよほどリスクだと考えているわけなのだけど、何を問題視するのはひとそれぞれだ。福島県では2014年4月から約38万人の県民に調査を行い、これまで計115人が甲状腺がんだと診断されているが、同年に県内では89名が交通事故で亡くなっており、ここ5年で減少傾向であるもののおおむね70~120人の死亡者数で推移している。
 津田敏秀氏や、広瀬隆氏、白石草女史にとっては、甲状腺がんの増加が最大のリスクだと考え、警鐘を鳴らした「つもり」だったのだろう。たが、それが実際に年月を経てどうなったのかは検証されるし、まとめにもあるように東京は都知事選の真っ最中で、しかも多くのひとは『ポケモンGO』に夢中だ。

 ここでつくづく思うのは、「メディアは何を増幅・拡散させるのか」ということだ。答えは書き手の感情が、読み手のの感情を刺激して、増幅して、正誤は関係なく「信じたい」ものを強固にしていくということになる。特にネットメディアは、読み手がどのような感情を持つのか、その喜怒哀楽に訴えて刺激するというものが結局のところ読まれるしアクセスも取れる。
 それが果たして正しいことか、というと必ずしもそうでないケースも多々あるのは皆わかっている。それでも、KPIがアクセスである以上は、書き手は書かざるをえない。
 まぁ、なんでこういうことを記すのかというと、私がいろいろなことの後追い記事を書いたところで大して読まれないし、ほとんど評価されないからなんですけれどね! そういった愚痴は以前にも書いたけれど(参照)、真面目にコンテンツ作りをしているひとほど馬鹿を見るような構造に、今のメディア環境はなっている。結局のところポータルメディアやニュースアプリの中のひとがいかにご高説を垂れたとしても、ピックアップされるのは読者の「感情」に訴えるような記事ばかりだしさ!

 そんなこんなで、360度敵ばかりに見えるParsleyではあるのだけど。今ここでサバイブしていかなければいけないのは確かなのだし、そういった風潮に流されずどこまでいられるか、できることはやっているつもりなのだけど、時に心折れそうになる日もあったりするわけで、まぁ人生ってままならないよね、と思う夜なのだった。おやすみなさい。

 
 

参議院議員選挙の感想のような諦念のようなもの

 参議院議員選挙が終わった。いちおう小さいとはいえネットメディアのデスクという立場もあり、『Twitter』でもなるべく選挙に関わることは触れないようにしてきたので、その間に思ったことを含めてざざっとメモしておく。

 まずは結果。自民党・公明党が勝つということは既定路線だったので驚きはない。Parsley的な争点は山田太郎氏が国会に戻れるかどうかで、実際291188票のひとりだったわけなのだけど、非常に残念ながら落選した。選挙区は金子洋一氏に入れたのだけど、こちらも落選した。同じ民進党でより年齢の高い真山勇一氏が当選するあたり、組織票はそちらに流れていたのだろう。なんというか、こちらも残念だ。

 争点といえば、この選挙では民進党が「2/3を取らせない!」とキャンペーンを張り、メディアもそれに乗ったという図式だろうが、楊井人文氏が指摘するように明日憲法が改正されるわけではないのだし、それってミスリードなのではと思っていた。

 参院選 「改憲勢力3分の2」が焦点? メディアが報じない5つのファクト、1つの視点(楊井人文)

 どうせならもっと待機児童も含めた児童福祉の話だったり、自民党の憲法草案では「改悪」になるであろうLGBTや「結婚」のあり方であったり、アベノミクスに変わる景気浮揚策だったり(減税)とか、野党はそういった政策を打ち出せなかったものか。
 もっと言えば、今回みんなの党がなくなって、「新自由主義だけど新保守主義ではない」という票は宙ぶらりんの状態だった。そこの受け皿となる人たちは山田氏以外はどこかに行って、渡辺喜美氏は当選した。なんだかなぁ。

 もうひとつ。今回の投票率は54.70%で戦後四番目の低さだった。
 選挙期間中に私は下記のようなことを書いて、例によっていろいろなひとに無茶苦茶怒られた。

 選挙に行かなくても政治には「参加」しているし無問題である(ふじいりょう)

 別に怒られるのは「サーセン」でおしまいなのだけど。あえて言うならば「選挙に行こう」的な活動をしている団体や人は、そろそろもっと違ったアプローチをするべきだと思う。結果的に投票率は大して上がってないわけだし、PDCAどうなっているの、と感じるし、むしろ投票率も政権への信任という面ではファクターになり得るのだから、有権者=生活者として、「選挙に行かない」自由をもっと肯定的に捉えるべきなのでは、と感じるんだよね。
 繰り返しになるけれど、明日憲法が変わるわけでもないし、生活者に寄り添う政策を訴える候補がいないのであれば、投票先はないということになるわけだし、そこを「選挙に行かないのは意識が低い」とか蒙昧なことを言うべきではないし、投票率の低さは「祭り」としてのクオリティを低くした政党や候補者、そしてメディアの責任だ。
 
 そういう意味では、ネットメディアに関わるはしくれとして、もっと選挙にコミットできなかったのか、という反省はある。選挙が終わってからいろいろ言ってもあとの祭りだし、山田氏の「表現の自由」を全体のアジェンダとして争点にするようなことが何か出来なかったのか、いろいろ「手」はあっただろうとも思う。
 とはいえ、公職選挙法の「選挙運動」が曖昧なので腰が引けていたのは事実だし、『Yahoo!ニュース個人』にも「公選法上の選挙運動にあたる記事投稿は禁止」と釘を刺されてしまった。本来、そこも自由に発言できるようになったのが「ネット選挙」の良いところでもあるし、そこは積極的になるべきだし「おかしい」というべきではなかったのか。

 だがしかし。私も生活者だし選挙以外にもニュースはあって追わなければいけない対象はたくさんある。自分のできることなんて限られている。そんな限界というか、諦念も感じざるを得ないというのが、「まぁ、仕方ないよね」というのが今回の参院選の感想になるのかな。仮に残念な結果だとしても、全てを受け入れるのも民主主義というものだろう。

 なんだかとりとめもなくなったのでこの辺で。