なぜ誰もチェックしないのか問題が起きるワケ

 ちょっと眠れないのでざざっと考えたことを。

 女性雑誌に載ってた擬音がアウトなやつだった「何を思ってこれ使ったんだ」「誰か止めてやれよ…」 (Togetterまとめ)

 「くぱぁ」がダメな擬音だというのは、紳士な嗜みをもつ男子ならばすぐにピンとくるけれど、女子ばかりの編集部ならばそれがわからなかったのかもしれないね、ということがまずあるにせよ。「誰が止めてやれよ…」ということで誰も止めないロジックというのはいろいろ考えられる。

 今回の場合、アイディアだし(編集会議)⇒デザインへの落とし込み⇒読み合わせ⇒編集長チェックといったプロセスが想定されるけれど、まず最終段階の編集長が「くぱぁ」を知らなければそのまま通ってしまうだろう。読み合わせでも、もし誰かが気づいたとしても、担当外だとケチをつける=批判と受け取られないように黙るという「空気」が生まれやすい。デザイン段階ではオーダー通りに作るのがお仕事なので基本的に「これおかしいです」と指摘するのは、同じような理由で難しい。つまり、発案者の意見がひとたびOKになってしまうと、そのまま通ってしまいがちになるケースが多いように思うんですよね。

 これはネットメディアでもそうで、一応は事実関係を確認するにしても、書き手より詳しくない人間が調べることには限界がある。特に幅広いジャンルを扱っていると、どうしても知識より深い「文脈」というところまでは見ることができないケースって多々あるんですよね。
 最近だと、福島みずほ女史たち社民党が駅のホームで「選挙活動」をして公選法違反の疑いがあるのではないかと話題になった。個人的には主張を書いたプラカードらしきものを掲示するのは選挙活動と見做せるのではないか、と思うのだけれど、候補者がタスキをかけて電車に乗ることは名札をつけて乗車するだけなのと一緒で、ビラを配らなければ単純な「移動」に過ぎず、公選法違反ではない。ここの線引きはグレーな部分があるにせよ、公選法を読み込んでいない人がチェックをすると「違反」というトーンをそのまま通してしまってもおかしくないだろうなー、と思う。
 そして、編集長ではない、編集・ライターと同格の人間がそれに気づいたとして「待った」をかけることができるかというと、速報性が求められるし、「じゃあお前が調べろ」という余計な仕事を背負うハメになるかもしれないし、いろいろな意味で難しいんじゃないか、と感じる。ディスコミュニケーションだと言われそうだが、多くの媒体の編集部でそういう場面があるのではないか、と思うわけ。

 結局、世に「なんでこれ通ったの」というコンテンツが多く流れてしまうのって、書き手と媒体(あるいは編集長)の信頼関係に依っている場合が多いから、書き手や発案者の「知識」や「見解」、「アイディア」がそのまま通ってしまう。そこを抑えることができるのかどうかが、媒体としての危機管理になるわけなのだけれど、まぁ全部のジャンルを押さえるのは難しいよね、という話でした。

 そろそろベットに潜るのでこの辺で。

日本人が好きなのは「政治」ではなく「床屋政談」である

 なーんか微妙に調子悪くて、いろいろなタスクをこなせないので、こちらでリハビリがてら。

 今月に入ってから、2本ほど『Yahoo!ニュース個人』に政治関連の記事を公開したのだけれど、まぁ読まれないわけですわ。

 記者クラブ外のメディアからはまだまだ「政治」が遠いという話 
 争点のない選挙戦こそ「誰」に投票するのか問われる

 もちろん、書き手としての私の力不足もあるし、「誰が言ったか」というところがモノをいうプラットフォームになっているということがあるわけなのだけど。アクセスがない割にはあちこちからクソリプはやってきるし、まぁ書くモチベを折られるますわな。これからも書くけどね!

 一方で、舛添要一都知事の関連した記事に関しては、どのメディアでもよく読まれる。その謝罪の姿勢を分析したものもあれば、彼が辞任に追い込まれた理由を日本人の「不寛容」によると分析したものもある。それらの記事はそれなりに「読まれる」意味があるコンテンツだと個人的には認める部分もあるのだけれど、一方で虚しさも感じる。
 結局のところ、日本人が好きなのは「政治」ではなくて「政局」であるし、もっというならば「床屋政談」であると断じてもいいのかもしれない。関心があるのは政策そのものではなく政治家の不祥事であったり人事(毎回、内閣改造は盛り上がる)であったりするわけだし、そこに絡む人間関係であったり党派であったりするグループ間の「争い」であったりするわけで、つまるところは「何を」するのではなく「誰が」するのかに関心があるんだなーと思わざるをえない。

 もう一つ、今のメディアは「議論」「オピニオン」といったものよりも「共感」が軸となっているところが多いから、誰か政治家が『Twitter』で投稿した内容が、どのような反応になっているのか、といった記事の方がよっぽど「ウケ」る。自分がそれに対して「共感」するか、しないかのどちらかで読めるからだ。それをさらにSNSで感想を投稿してさらに「共感」が増幅する。メディアはその役目程度しか果たしていない、という現実がある。良い悪いの問題ではなく、そうなっている、という話ね。
 
 どちらにしても、「政治」はその国民性の縮図だと思うし、それが「残念」ということであれば有権者が残念ということになるわけで、少なくとも未来の世代について考えた投票行動を自分はしたいなぁ、と思う次第です。

 シャワーを浴びたいのでこの辺で。あ、私自身も「床屋政談」は大好きなので、そのあたりは批判する意味はないよ! ……ということは言明しておきます。それじゃーね!

 

オンラインニュースは「評価」されない

 ちょっと時間ができたので、簡単に感想を。

 日本人のニュースメディア接触、先進国の中で際立つ特異性、ロイター調査が浮き彫りに(メディア・パブ)

 木っ端ブロガーだった自分が主にWebメディアで書くようになって、『ガジェット通信』では“中の人”という立場にもなっているので、ポジショントークをすると、「オンラインニュース」は日本でもそれなりに生まれてきているし、「軟派なニュース」の方がユーザーの関心が高いということも平和を享受している国ということで、その状況が決して悪い面ばかりでないとも考えている。ただ、Yahoo!ニュースが強いというのは事実だし、スマートニュースをはじめとするニュースアプリ=アグリゲーターがパブリッシャーの生殺与奪=PVを握っているというのも確かだ。

 ここからは愚痴めくが、伝統メディアの系列でない、独立系のニュースサイトと、その書き手は多くの場合、どんなに良い記事を書いたとしても、大して「評価」されない。例えば自分の場合、『Yahoo!ニュース個人』でいくつかトピックス入りして数百万PVを達成した記事もあるが、だからといって自分の身にポジティブな変化があるわけでもない。
 『ガジェット通信』は、初期の頃にネットゴシップが中心だったこともあり、色眼鏡で見られることもしばしばあるが、自分がコミットするようになった2011年頃にはだいぶ「真面目」な記事も増えていた。今では取材記事もかなりの数を出しているし、私も永田町の大臣会見の記事の掲載を続けたりしている。つい昨日も山田太郎参議院議員のインタビューを出したりしている(参照)のだが、未だに重要なKPIであるPVが取れるのは依然としてネットゴシップ系の記事だったりする。それもアグリゲーターやユーザーがそちらを求めている、ということでもあるわけなのだけど。
 いずれにしても、取材記事を出して「評価」してくれるのは取材対象やPR・代理店の人であって、ユーザーの中で喜んでくれたり議論を巻き起こしたりくれたりすることはあっても、「業界」の中で何か良い「評価」がされるということはほとんどないというのが実感だったりする。

 このような状況は、ネットメディアのマネタイズの手法が広告出稿が主になり、いわゆる「ステマ」問題が起きる遠因にもなっているし、ネットメディアの書き手が食べていくにはどうしたらいいのか、えんえんと話が堂々めぐりする理由にもなっている。だから、「硬派なニュース」を中心とした独立系のメディアもあまり生まれないし書き手も育たない。そういう中で「硬派なニュース」を出すのは、ほぼ書き手の矜持に依存している。
 
 そんなこんなで。結局のところ書き手は「紙」で書かないと誰も「評価」なんかしてくれないし「実績」にならないよね、というシニカルな結論に落ち着いてしまうわけなのだけど。個人的には一度でも世の中=Webに出た記事はゼロでなく最低でも「1」以上にはなるというのが信条なので、「ま、いいか」と納得しているし、日本のメディア環境への批判的な視点はもちつつも、それにある程度は順応しつつやっていかないといけないよね、と考える次第です。

 今日もこれから取材なのでこの辺で。

地方独自で簡単にクラウドファンディングサイトを立ち上げてしまう問題

 岩手県花巻のマルカン百貨店が2016年6月7日に惜しまれつつ閉店に至ったのだが、その6Fにある大食堂を運営存続させるというプロジェクトが立ち上がっている。

 マルカン大食堂 運営存続プロジェクト (いしわり)

 ファンディングの目標額は2億円だが、初期コストとして5~6億、そのうち耐震補強に1~1.5億かかるという。もちろん運営・存続していくことにもコストがかかるから、かなり困難な道のりが待っていることは確実なのだけど、個人的にもぜひ実現してほしいなぁ、と思う。

 ところで、このプロジェクトは『いしわり』というプラットフォームを利用している。「岩手発のクラウドファンディング」ということで、岩手に特化したプロジェクトを起案して協力者を募るようになっている。最近このような地方しばりのクラウドファンディングサイトが増えたように感じる。
 感じるのだけど、私が見る限り同規模のプロジェクトの支援者を集めるのに、『READYFOR』や『CAMPFIRE』といった先行クラウドファンディングサイトよりも苦戦している傾向があるように思う。まず個々のプラットフォームに知名度がなく、目立つプロジェクトがあってはじめて名前を聞くようなプラットフォームが多い。つまりプラットフォームで集客できていないのだ。
 もう一つ、支援者にとっていかに「お金を払いやすいか」ということでいえば、地方発のクラウドファンディングは総じて不親切だ。『いしわり』の場合は下記の通りになっている。

 いしわりでは

 ・クレジットカード(VISA、Master)
 の決済方法をご利用頂けます。

 いしわりでは以下のクレジットカードでお支払いいただけます。

 <お取り扱いカード>
 ・VISA
 ・MasterCard
 <デビットカードのお取り扱い>
 デビットカードのご利用はご遠慮頂いております。
 プロジェクトの目標金額達成が成功したか否か、
 募集期間終了を待たずに引き落としがされる場合がございますので、ご注意ください。

 <お支払い回数>
 1回払いのみ
 <お支払い手順>
 お支払いページで、カード番号などの必要情報を入力して決済をお願いします。
 <お引き落としについて>
 クレジットカードのご利用日は、プロジェクト募集期間が満了した日となります。
 引き落とし日はお使いのクレジットカードによって異なります。

 ……これ、地味にハードル高い。ほぼ「大人」に支援者を限ってしまっている。特にデビットカードも無理というのが痛いように思う。せめてPayPalに対応していると違ってくるのだけど……。

 これが『CAMPFIRE』ならば、クレジットカードのほかにコンビニ払い・銀行振込・Paidy払いに対応している。若年層やクレジットカードを持っていない層でも支援が行えるようになっているわけで、より資金を受け入れる間口が広い。
 クラウドファンディングサイト自体を立ち上げること自体はそんなに難しいことでないけれど、特に決済まわりをちゃんと整備できるのかによって、そのプラットフォームの行く末が決まってくるように思える。資金が集まらないプロジェクトの多いサイトは自然とプロジェクトの数が減っていくだろうし、そうなるとサイトの存続も怪しくなる。多くの地方発のクラウドファンディングサイトはそういった危うさをはらんでいるように感じるのは私だけだろうか?

 

杉並区保育園問題の議論を横目に思うこと

 杉並区の保育園問題の議論を見て、「危なっかしいなぁ」と思わざるをえなかったので、手短に。

 まずは、境治氏の一連の記事。

 杉並区の保育園問題。公園転用への反対は住民のエゴではない。
 杉並区の保育園問題。転用に直面した公園で出会った3人の人物。

 境氏に反論を寄せた、駒崎弘樹氏の記事も挙げておく。

 杉並保育園反対派からメッセージが来たので、反論します

 そもそも、「保育園落ちた日本死ね」に関して同情的な論調の記事を何本も上げていた境氏と、待機児童問題の専門家の駒崎氏が議論しているという構図が意味不明なのだけど。思ったのは、久我山東原公園の反対運動を「住民エゴと決めつけるわけにはいかない気がした」という境氏の“気がした”という意識で反対派の声を代弁するのは、「マイノリティ憑依」に近いのではないか、ということだ。
 「マイノリティ憑依」とは、佐々木俊尚氏が著書『当事者の時代』で指摘している言葉で、「弱者や被害者の気持ちを勝手に代弁する」行為を指す。
 境氏にはそういう意識はおそらくないのだと思うが、テレビで放映される反対派の姿が「弱者」だと映ったのではないか。彼らは彼らでブログなどで発信しているし、署名活動を行っているわけで、そこに境氏が入って「代弁」するということは、拡声器の役割を果たしたということ以上でも以下でもないだろう。それを意識せずにしているというのは非常に危なかっしいな、と感じてしまう。付け加えると、駒崎氏は自身も認定保育園を経営している「当事者」としての発言といえるだろう。

 もう一つ思ったのは、『Yahoo!ニュース個人』という場の危なさだ。私もオーサーの末席を汚しているからよく分かるのだけど、記事を自分の上げたいタイミングで、編集を経ることなく公開することが可能で、しかも数万PVは確実に読まれる。それがSNSで拡散すると数十万レベルになり、トピックスに選出されると100万を超える。現在の日本で100万冊を超える発行部数の雑誌はないから、それを凌駕する影響力を持つわけだ。
 木っ端ブロガー・ライターの私でさえ、自分の記事がトピックスに選出されて多くの人の目に触れることを意識して書いているが、境氏のそれはその影響力に配慮した形跡をあまり感じない。なんというか…紙媒体のように記事=コンテンツの“質”までしか念頭におかれていないように、特に最初の記事からは感じた。
 個人的には、『Yahoo!ニュース個人』は“気がした”というくらいの強度でオピニオンを投げていい場ではないように感じる。そうしないと、意図しない読まれ方をしたり使われ方をして、ある問題に関しての議論を混乱させるケースもあるように思う。

 ざざっとで恐縮だけど、他の作業もあるのでこの辺で。

「当事者」の時代
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