「不惑」なんて知らない

 卯月の項を聞いてからというもの、ぱったりと文章が書けなくなっている。喘息だったり頭痛だったり、服用している薬を取りにいけず、おかげで朝起きて動き出せなかったり、自律神経が悲鳴を上げるのをなだめながら外出するものの、ひととのコミュニケーションで手一杯で、ちょっとしたメールを書くのもいつもの数倍時間がかかっていた。
 そんな情けない状態で、また一つ歳を重ねてしまった。

 自分にとっては30という節目は大きな存在で、身体も精神も弱い自分がそこまで生きられるのか懐疑的だったから、その先の人生のロードマップが何もなかった。おまけに社会に出るのが遅かったというコンプレックスもあった。何をするか、というよりも、どうやって生きるのか、必死にならざるを得ない。そんな30代だった。

 年齢が増えても、別に体調ががらっとよくなるわけでもなく、急に文章がうまくなるわけでもない。ただ、自分より年下のひとに何かを教えたり、年長者としてどう振る舞うべきなのか、悩むことは増えた。悩んだ末に、ストレスを溜めたりすることもあるし、以前よりも無理か効かなくなっている身体に歯噛みすることも多くなった。
 そんな状態での、「不惑」である。とはいえ、現代において、40で「悩まない」というのは、むしろ不自然なのではないか、と私は思っている。

 「四十にして惑わず」としたのは孔子だが、これは15で学を志した人間の生き様について述べた言葉だ。日本において、1900年の平均寿命は44歳。2014年だと83歳だから、ほぼ2倍に人生が引き伸ばされているわけだ。当然ながら社会環境も孔子の時代とは違うし、シャワーのように浴びる情報を適切に吸収し、処理し、伝えることが求められている。
 だから、より正直に生きていくためには、迷いがないと独善的な人間になってしまう。少なくとも、今の浮世では。

 そんなわけで。「不惑」を迎えたParsleyだけど、不惑なんて知らない。昨日の自分と今日の自分と明日の自分は地続きだ。これからも、迷って、迷って、迷って、迷って、生きていく。

 これからもよろしくお願い申し上げます。 
 

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『スパルタWEB編集塾』がなくなって本当に良かった

 梅木雄平氏とはあちゅうこと伊藤春香女史がやろうとしていた『スパルタWEB編集塾』。20000円という強気なお値段設定に「へー」とか思っていたのだけど、あっという間に撤退宣言が出されていた。

 スパルタWEB編集塾ですが撤退します(The Startup)

 まぁ、おそらく梅木氏が菅付雅信氏がやっていた『スパルタ編集塾』に参加していたことから(参照)、「自分も教える側に」と思ったのかもしれないし(それにしてもタイトルまで二番煎じというのはねぇ)、Hagex氏の着弾(参照)が思いのほかダメージが大きかったのかもしれないけれど、ご本人たちの思惑はどうあれ、この講座がなくなって本当に良かったと個人的には思っている。

 最近、ちょっとずつ話し仕事が増えてきて、ひと様の前でメディアについてエラソーに語ることもあるParsleyなのだけれど、何かを適切に教えるって本当に難しい。それがメソッド化されていないと、ただの印象を語るだけになるわけだし、自分の中で確かな基準がないと教える側を混乱させてしまう。「正解」がないライティングや編集だとなおさらそのようになりがちだ。

 例えば、私の場合その記事が「面白い」かどうかを測る時に『Twitter』でその記事の言及内容がポジティブだったかネガティブだったのか、それとも無関心だったのかを分類し、それをポイントにすることでおおよその反応を指数化している。これは自分がベビーカー問題について『Yahoo!ニュース個人』に書いた記事(参照)を書いて、そのツイートを分析した時に編み出したもので、おそらく独自のものなのだが、おおよその自分の記事が「面白がられているかどうか」を把握するのには役立っている。

 まず、一つのツイートを2ポイントとする。記事を読んだことで1、『Twitter』に投稿することで1という把握にする。
それから、ポジティブな反応だったときは、プラス1、ネガティブ反応があった時には、マイナス1、「どうでもいい」といったコメントだった時はマイナス3ポイントとする。それを全て加算した数に1を足し。ツイートの総数で割り算にしてみる。

[(3×ポジティブなツイート数)+(1×ネガティブなツイート数)+(-1×無関心なツイート数)+1]÷(ツイートの総数)

 もちろん最近ではツイートでの反応が減少傾向にあるし、拡散の仕方も多様化しているので、いつまでこの計算式が有効か微妙なところではあるのだけど、自分の中で「当たった」「外した」を決めるのには、ある程度に参考になると思っている。

 とはいえ、こういった知見については、駆け出しのライターや編集者が持っておくべきかといえば、そうは思えない。媒体によっては「企画の面白さ」を重視するところもあるし、となると記事化する前の段階での上役の「説得」をどうするのか、といったところが一番大事な要素になるし、そもそも「どう書くのか」といったところからはじめなければいけない場合もあるだろう。
 最近では「どう書くのか」「どう編集するのか」ということを教える機会もあり、ネタをどうやって見つけていくのかのヒントといったことを(おこがましいのだけれど)伝えることが増えた。そこで必要になるのは、日本語として正しいのかといったことから(正しいことを知ってこそそこから外すこともできるようになる)、自分なりの表現をどうやって見つけていくのか、といったことまで多岐に渡る。そして、そこで教える側に求められるのは、表現する場を提供することと、上記のようなことを理解してもらうまで我慢強く「待つ」ことだ。

 『スパルタWEB編集塾』はどうやらそういった定見はなく、ぽやっと「いい人材やってこないかな~」というノリではじめたような印象を受ける。そういった感覚だと教える側にとっても教わる側になっても不幸な結果に終わる可能性が高かったように思う。どういう思惑だったかはともあれ、そういった意味では梅木氏とはあちゅう女史が早々に企画を引っ込めた決断に関しては、評価に値するのではないかと考えた次第です。

 ちなみに、ここで示したソーシャルでの反応から見る「面白さ」の指数はもう2段くらい複雑な公式も考えだしていたりしているのだけれど。たまにはもったいぶりたいので、今晩はこの辺で。