ライターとは「書く労働者」であるということ

 煮詰まったので息抜きに。ちょっと前に、青柳美帆子女史のブログエントリーが話題になっていたことに関して、なるべく手短に。

 「ライターになる方法をおしえて」と訊くような子はなれないでしょう – アオヤギさんたら読まずに食べた

 個人的には枡野浩一氏の短歌をタイトルにするセンスが受け付けないのだけど。彼女が「今はいろんな媒体がライター募集してますから、一本2000~5000円でスタートして徐々に書く量や単価を上げていけばいいんじゃないですかね」としているところに、諸先輩方からツッコミが『Facebook』で入っていて、「上限5000円の原稿しかやっていないといつまで経っても上限5000円のまま」というのが大方の見立てだった。

 そんなことはない。私自身もそうだし、数千円の案件を愚直にこなしているうちに数万円の案件が舞い込むようになったライターを幾人も知っている。というか、最初ネットから入れば最初は単価が安いので当たり前なのだけれど。

 まず前提として。メディアあるいは物書きを仕事として志望している学生さんにアドバイスするなら、「どんな手段を使ってもどこか出版社か新聞社に入るのが最善」だと伝えるだろう。次善がポータルサイトのニュース編集職。最初に様々な媒体のライター募集から入るのは「悪手」だ。
 それでも、新聞・出版・大手ポータル運営会社に就職できるのは一握りだろう。雑誌のアルバイトに応募したり、編集プロダクションに進むといった道もあるし、PR会社でプレスリリースを書きまくって数年後に転職を狙うというキャリアプランもありだ(これは逆も同じことが言える)。
 しかし、それでもあぶれるライター志望の人は出てくる。出てくるからこそ、「一本2000~5000円でスタート」という悪路に迷い込む人が後を絶たないわけだ。

 ただ、この単価の安い案件を数多くこなすことは悪いことばかりではない。筆の早さと、情報を集める早さと、適切な表現をするための判断力が磨かれるからだ。私の場合、多い時で月70本ほど書いていた時期があったが、タイトルづけ、読者の反応がどうなるかという事前の読み、媒体に合った適切な文体に合わせる柔軟性が身についたように思う。やっぱりこなした数は裏切らない。
 それで。どうして「一本2000~5000円でスタート」でその先に行けないのか、といえば「数多くはこなせない」人が多数派だからだ。これには兼業だからということもあるだろうし、単価が低く生活が苦しくて折れてしまうことだってあるだろう。私も70本書いて月20万円ちょっとという時期は本当にしんどかった。
 そこを折れずに書けたのは「もう後がない」という状況で必死だったからで、実際折れたら路頭に迷っていた。あとはかなり運にも人にも恵まれた。必死さが伝わったのかもしれないし、気まぐれに「こいつに書かせてみよう」という感じだったのかもしれないけれど、私にとってはどちらでもよかった。

 最近のライター談義でちょっと違和感があるのは、「単価が上がれば生活できるのか」ということ。仮に3万円の案件を月3本受けたとして9万円(実際源泉が引かれるから手取りは下がるだろう)。それだけで暮らしていくのはキツイ。逆に3000円の案件を月に100本書けたとすれば30万円になる。これなら食べていけるだろう。
 あと、「時間」や「工数」といった要素も今のところあまり俎上に載せられていない。個人的には1本1万円の案件で、初稿から戻しが2回以上発生する場合は、「割に合わない」と感じる。逆に2000円でもノーチェックで掲載・支払いということならば、「2時間で5本書けたら上出来」となるだろう。
 こういった「工数」に関して、意識があまりないライターは長く続けていけないと思う。最近のネット媒体では数千円の原稿でも何度もリライトを要求してくるところはザラにあるが、それに付き合うのは本来書けたはずの原稿が書けない=発生したはずの報酬が消える、ということなので、なるべく早くにそういった媒体からは抜ける、といった判断も必要になる。

 こうして記してみると、ライターとは「書く労働者」であるということをつくづく感じる。あまり人から羨ましがられる要素はそんなにないと思うけれど、私自身はこのお仕事が基本的には楽しい。愚直にキーボードを打ちつつ、ネットを周回しつつ、時に取材に出て人に会ったりヘンな体験をしたり、それをどう言葉を選べば上手く伝えることができるのか、考えるのが楽しい。
 逆にいえば、「労働者」であることが楽しいと感じられないのであれば、このお仕事は向いてない。ワーカーホリック上等という人のみが、残っていけるという意味においては、厳しい隘路であるということも言わざるを得ないだろう。

 まだまだ言いたいことはあるけれど。明日は1日取材が重なって都内を行ったり来たりなので、この辺で。

 

2016年メディア展望に関する所感のようなもの

 遅ればせながら、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

 年末年始は、初詣行ったりお雑煮作ったり新日本プロレスの東京ドーム大会のネット配信を見たり、それなりに満喫しつつも、お仕事の方も通常運転。ネットにしろリアルにしろ、365日何かしらの出来事が起きているわけで、ネットメディアはそれに対応しなければいけない。ただ、毎年年始になると「テレビは強いなぁ」と実感させられますね……。

 それはそうと、年末年始にはネットメディアに関してさまざまな言説が飛び交っていた。主だったところでは、朝日新聞の平和博氏が欧米のトレンドとなっている「分散化メディア」に関する論考を紹介していたり、SmartNewsの藤村厚夫氏が「事象を知る」「事象を深く理解する」のがニュースの価値の根本理由として考察を展開されていたりした。『BLOGOS』では、元切込隊長ことやまもといちろう氏がネットニュースの展望を寄稿している。

 「分散型メディア」本格化の年か? 2016年、ジャーナリズムの行方(新聞紙学的)
 ニュースメディアの原理/ビジネスを構想するための視座として(藤村厚夫 Media Disruption)
 2016年ネットメディア展望 ウェブ媒体がただの出版社になっていくまで – 山本一郎(BLOGOS)

 また、『WIRED』がPV至上主義から脱却し、新たな指標の導入を模索する提言(?)を年初からぶつけてきて、こちらも関係者の間で話題になっていた。

 ウェブ関係者よ、PVの話をするのはもう止めよう(WIRED.jp)

 私もネットメディアの隅っこにいる身として、それぞれの「2016年現在のネットメディア像」には頷ける部分が多かった。というより、現状では既に「そうなっている」ことも多く、「すべてのニュースが賞味期限切れである」というタイトルをつけた『cakes』はさすがだなぁ、と妙に感心してしまったりしていた。
 平氏が紹介している「分散型メディア」というのは、要するに各サイトのトップページ(ホームページ)が機能を失いつつあり、トップからよりも記事単位でソーシャルメディアなどから読者が流入してくるため、そこに対策なり適応しましょう、ということだと思うのだけど、日本においては既に多くのメディアはポータルサイトやTwitter、Facebook、それにニュースアプリからの流入の方がよほど多くなっている。また、PCとモバイル(スマホ)からのアクセスでは、3対7になってきており、こと日本のメディアに関しては「スマホファースト」にほぼ適応されているといえるのではないか。

 そんな中、コンテンツ(記事・画像・動画)の価値が上がるという話になっているが、各メディアにとってはユーザーに「どういったメディアなのか」といったブランディングをトップページに頼らずにどのように設計していくのか、といった課題に直面することになる。
 これは、藤村氏が指摘する“一次情報メディア”から、“ゼロ次情報メディア”へと向かって幅広く情報をカバーしていくのか、より専門性を高めていくのかによっても変わってくるだろう。前者は物量で露出を増やすといった作戦でもいいが、後者の場合はアクセスのあったコンテンツとユーザーの関心がマッチする別のコンテンツへの誘導をスムーズにして滞留時間を長くする工夫がより求められることになるだろう。……って、これもどこも試行錯誤しているよ、って話になりますが。
 また、ブランディングということならば書き手にもそれが求められるだろう。ひとりの書き手が一つのメディアで書くという時代から、複数のメディアでさまざまなジャンルを書いている場合、その専門性なりユーティリティ性なり、読者にとって書き手が入り口になる、といったモデルもあり得るだろう。そういった意味では、これまで「メディア>書き手」という図式だったものが「メディア<書き手」と長い目で見れば逆転していく可能性も見据えていきたい。

 また、どの関係者も指摘しているのが動画の重要性で、中には「動画元年」になるという声もチラホラ聞こえる。これも「何回目だよ」と正直いいたくなるが、iPhoneで簡単に撮影できる時代でもあり、より「現場感」を生み出すための重要なコンテンツとしても有効なのは分かりきっている。また、動画を軸に、関連のテキストや画像を紹介していくという形態のコンテンツも日本では2013年ごろより急速に増えている。
 逆にいえば、動画の制作能力があるだけでも十分でなく、それを補足・補強するテキストや画像も合わせて見せれるような「記事」にすることではじめて、ユーザーフレンドリーなコンテンツになる。このあたり、「これからは動画だ!」と声高に叫ぶひとほど理解していない印象があるのだけど……。いずれにしても、ここも前述したユーザーの関心とマッチしたコンテンツへスムーズに移行できるようなUIを構築できるかどうか、という話だと思う。

 さて、PV史上主義からの脱却に関しては……これも数年前から何度も出ている話題で、特にニュースアプリの登場によって状況はだいぶ変化している。昨年にメディア関係者最大の関心事と言ってもいいだろう「ステマ」問題も、いかにポータルサイトやニュースアプリに情報を露出させるか、という「抜け道」を皆が探っていたことが顕在化したと捉えるべきだろう(個人的には、ユーザーファーストな議論でなかったと思うが)。
 これは、メディアというよりも本質的には広告代理店・PR会社・各クライアント担当者が「どのように考えるか」「どのように出稿するのが効果的か」という話で、読者にとってはあまり影響のない、もしくは「見たくもない広告を見せられる可能性が上がるか下がるか」といった話題だ。とはいえ、私もメディア上で売文することでごはんを食べているので、無視することのできないトピックでもある。
 メディアあるいは書き手の側からしてみれば、ユーザーにとって有益な情報を提供することに存在価値がある。そのためには、まず「存続」あるいは「生存」していく戦略が求められる。そういった意味では、PVが莫大なポータルサイトにとってはPVが今後も指標として機能するだろうし、PVが少なくてもユニークなユーザーを抱えている小規模サイトにとってみれば、そのユーザーこそが財産となるはずだ。PV以外の指標、「インプレッション」でも「回遊率」でも「「エンゲージメント」でも何でもいいけれど、そういった濃いユーザーが「増えた」ことをどこで見るか、といった分析力が問われていくのではないだろうか。

 そろそろPCの電源が切れそうなのでこのくらいにして。個人的には今年も良質なコンテンツをより多くのひとに読んでもらえるよう、昨年以上に努力していきたい。重ね重ね、本年も当ブログを何卒よしなにお願いいたします。