なんとか生き残った・2015

 大晦日。コミケに取材に行って、先ほどまで原稿書きに追われていて、ブログでの挨拶もままならないかもといった感じだったけれど、なんとか例年通り挨拶程度は書けるところまで来た。このギリギリ感が2015年を象徴している。中にはギリギリすぎてダメにしてしまったこともいくつもあるのだけど……ほんとうに申し訳ないです。

 とはいえ、今年もなんとか生き残った。経済的にはだいぶ好転したものの、その分だけ多忙にもなったし、ただでさえなえ体力の衰えをイヤというほど実感した。無理ができない。でもしなくちゃいけない。……というのがParsleyのここ数年の意識だったので、これを本格的に見なおさなくちゃいけない。

 なんにせよ。2015年もさまざまな方々にお世話になりました。改めてありがとうございます。
 2016年も、皆様にとって何らかの佳いことがありますように。

Webだけでライターが食べていくのに必要なこと

 予定よりも早く目覚めてしまったので、自分もお世話になっている宮脇淳氏率いるノオト主催のトークイベント『2025年も生き残っているか? 定年なきフリーライター、フリー編集者の未来』について簡単に。

 五反田でフリーライター・編集者の交流会 10年後の生き残りを議論 (品川経済新聞)

 残念ながらParsleyは参加できなかったのだけど、すでにいくつかのレポートが上がっているので、それをもとにいろいろ考えてみたい。

 フリーライターはWebだけで食えるの?ギャラ交渉はどうやる?10年後どう稼げばいい?を聞いてきた! #ライター交流会( らふらく^^)
 ライター交流会参加してきたよ「2025年も生き残っているか?定年なきフリーライター、フリー編集者の未来」 ( 飛び立つマーケターブログ|SEOとかイベントレポとか夢とか)

 まず、最初に思ったことを率直に記すならば。「おまいら交流会行っている暇があるなら書け。書く仕事がないならブログ書け」ということ(笑)。
 現在、紙媒体は発行点数・部数ともに減っているという現実があり、これからライターになりたいという人は必然的に何らかの形でウェブでの仕事から入るケースの方が多いだろう。かくいう自分もウェブのニュース記事のライティングから入っていて、2013年の時点ではひと月あたり60~70本の記事を書くことが主な収入源となっていた(摂エントリー参照)。
 だから、これからライターをやって、しかも食べていこうという人は、例えば1000~2000文字の記事を月間でどれだけ書けるのか、ということを考えてみるといい。仮に原稿料5000円の記事を50本書けるならば25万円になる。
 もちろん、それだけの記事を書かせてくれる媒体とつながりをもてるか、といった課題に直面することになるのだけど、まずはどれだけの早さで、企画・執筆・納品を回すことができるのか、実力を磨く必要がある。

 宮脇氏も指摘しているが、今のウェブメディアは企業が立ち上げたオウンドメディアや特設サイトなどの存在もあり、単価が上昇傾向にある(おかげでだいぶ経済状況も好転した)。その際にも上記のような「筆の早さ」が役に立つし、何よりアウトプットが多ければ多いほど人からの目に留まってお仕事につながる話が舞い込むようになる。だから、とにかく書く記事の本数をこなすべきだし、仕事がないのならばブログを書いてアウトプットに慣れるべきだ。
 Webだけでライターが食べていくのに必要なことは、極論をすればこの一点がクリアできていればできる。それを支えるのは、以前にも記したけれど「好奇心」があってどんなジャンルでも95点くらいのコンテンツを制作できること。そうすれば数多く書いているうちに120点が取れることもあるだろうし、自分が得意なジャンルというものも見えてくる。それを伸ばしつつ、数をこなすことを止めないでいれば、ある程度のメディア環境に変化が起きてもライターというお仕事は続けていけると思う。

 もう一つ。過去に紙ではページ単価数万円とか、これからライターをやろうという人に過去の話はまったく意味がない、ということだ。ここでは小川たまか女史も述べているけれど、私も「Webが安い」という認識は正直いって、ない。1記事あたりどれだけのPVを稼げば原稿料が適正か、KPIを見ていると3000円でも高いという案件はゴロゴロある。そんな中で、より高い値付けをするのであれば、PVなりSNSでの拡散なり、もしくはそれ以外の価値を示す必要がある。それができるかどうかも、ライターとしてやっていけるかどうかの指標になるはずだ。 

 まぁ、偉そうに語っているけれど、私自身もまだまだで、それが理由でご迷惑をかけることも多いのだけれど。とにかく数をこなすことで、道筋というものが見えてくる。私も2012~2013年くらいは、「ほんとうに書いていくだけで食べていけるのか、本当に不安だったのだけど、結局のところ案件が数千円のものを量産することで先につながる気配を感じることができなかったからだった。
 でも、最終的にはちょっと単価の高い案件や、いろいろな媒体から声をかけられるようになったのは、それだけ数をこなしてきた結果が出た、といっても過言ではないと個人的は思っている。だから、今は暗中模索という人は、短距離走を繰り返すように、とにかくネタを仕込んで執筆して、世に配信するところまでを高回転で回していくことにチャレンジするといい。
 反対に、それが無理だという人は、宮脇氏や小川氏のように会社に入る(もしくは作る)といいだろうし、ニュースメディアの編集に回るというのも選択肢になるだろう。それはそれで大変な作業ではあるのだけど、今日はこの辺で。

『ソーシャルメディア論』を読んだ&イベント感想

ソーシャルメディア論: つながりを再設計する
藤代 裕之
青弓社
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 『Twitter』や『Facebook』といったソーシャルメディアとの付き合いをどうするのか。個別の「活用法」についての書籍はいくつかあるが、SNSどのような歴史的経緯のもと生まれ、社会や生活にどのような影響をもたらすのか、網羅された本はこれまでなかった。そんな中で刊行されたのが、法政大学社会学部准教授でブログ『ガ島通信』の藤代裕之氏が中心となった『ソーシャルメディア論: つながりを再設計する』である。共著者としては、駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部教授の山口浩氏や、敬和大学人文学部国際文化学科准教授の一戸信哉氏といったメディア、法律の専門研究者だけでなく、Yahoo!ニュース編集チームの伊藤儀雄氏、弁護士ニュースドットコムの新志有裕氏といったポータルサイトやネットメディアの一線級、小林啓倫氏のようなコンサルタントまで名を連ね、それぞれの専門的見地から、SNSが社会もしくは個人に与える影響を論じている、なかなか豪華な一冊になっている。

 本書が面白いのは、誰もが多少なりともSNSを活用している中、現在の人々が「つながりすぎている」というところに立脚点を置いているところ。「都市」の章を担当している小笠原伸氏のパートでは、人口30~40万人の都市をモデルに、「知り合いに偶然遭遇しない」ことが都市の魅力であるとし、それがSNSでのつながりによって自由や匿名性が成約されている、と指摘している。この主張には、家庭や学校・会社といった組織以外の「サードプレイス」といった複数のコミュニティに出入りして交流することで、人と都市の魅力が維持できるといった考え方とコインの裏表になっているところが興味深く感じられた。

 また、山口氏は「分人」という概念でリアルな人とSNS上の「人格」を分けることによって、「炎上」や「デマ」のリスクと切り離して加害者・被害者になる責任を回避する、という大胆な提案がなされている。
 最近では新潟日報の上越支局報道部長が『Twitter』で暴言を繰り返していたことが暴かれて無期限の停職処分に追い込まれたし、Jリーグのガンバ大阪のパトリック選手に差別的ツイートをした高校生も通学先の高校が謝罪をする事態になった。たとえ、「ツイートは個人的な見解です」と但し書きをしておいたとしても、それが通用しないことは、2013年に復興庁参事官が出席会議について「左翼のクソども」とツイートしたことがメディアに問題視され、担当副大臣が謝罪して当人は担当から外れたという事例がある(拙記事参照)。
 そういった意味からも、このタイミングで「分人」という考え方を検討しているというのはタイムリーだし、仮に匿名やハンドルネームであっても、何か問題が起こればすぐに本人特定されて、所属組織まで謝罪などの対応を取らざるを得ない現状に対するアンチテーゼとも読めた。

 さて、2015年12月19日には、共著者のほとんどが揃ったイベントが開催された(参照)。ここでの対象は「高校、大学、大学院、企業やNPOなどでソーシャルメディアに関して教える機会がある方」ということだったが、私も「炎上」を報じる側、もしくは「炎上」の後始末をする側としての知見を広げることができれば、と考えて参加してみた。

 ここで興味深かったのは、大学教員が直面している「つながりすぎ」の弊害。藤代氏によると、「自宅から通う学生が増えて、小中高のつながりを持ったまま大学に入ってくると、地元の中学の友達と遊んでしまう」といい、人間関係がシャッフルされないことによってスパイラルダウンしていくという。彼はそのことを「高等教育の崩壊が迫っている」とまで述べていた。
 それに対して、小林氏が大手企業のコールセンターで、コミュニケーションをより取っているオペレーターの方が生産性が高い、という結果をもとに、ランダムに取っていた休憩をチーム単位にすることで全体の生産性が10%伸びたという例を紹介した。このあたりに「産」の知見が加わることも、「シャッフル」を促す好例になるのでは、と思わせた。

 また、明治大学専任講師の五十嵐悠紀女史が、『Twitter』で情報を出す小学校や幼稚園の存在を挙げて「フォローしてしまったら自分が子どもがいてどこの地域に住んでいるか特定されてしまう」と指摘。フォローをせずに非公開のブックマークに入れて見ていると述べていたのも面白かった。こういった、何気ない自身の情報を出すことによって、意図しない使われ方をしてしまう、ということに関して、年齢に限らず多くの人々のリテラシーはまだ不十分だし、口をすっぱくして指摘し続けなければいけないことなのでは、と思わされた。

 あと、本書でもイベントでも、「ステマ」問題についての取り組みが紹介された。これに関しては個人的に異論を持つ立場ではあるけれど(摂エントリー参照)、少なくとも各記事がどのような意図をもって掲載・配信されているのか、読む訓練をするのは誰にとっても必要なリテラシーであるということは間違いないとは感じた。

 そんなこんなで。SNSとの関係性について知見を広げるためには一読しておいて損はない一冊。年が明けてからは書店で一般向けのイベントも開く予定とのことなので、こちらもチェックしておきたい。