アラフォー男子が自信が持てない理由

週刊東洋経済 2015年 10/17号[雑誌]
東洋経済新報社 (2015-10-10)

 『週刊東洋経済』の「絶望の非正規」特集を読んだ。巻頭の『「中年フリーター」のあまりにも残酷な現実』は途中までネットでも読めるが、誌面では主に40代以上のアルバイト・契約社員が増加の一途を辿っていることを指摘し、雇い止めの実態や労組の変化の現状、マタニティ・ハラスメントなどを多角的に目を配っていて、重層的なこの問題を網羅する内容といえるだろう。

 『キャリコネニュース』でも指摘されているように(参照)、この特集では、40代「中年フリーター」の平均月収は20万円前後と見られ、40代の正社員と比べると15万円以上の所得格差があることを特に問題視しており、この273万人が潜在的な生活保護予備軍とみなされている。

 私も、リーマン・ショック後の2010年に当時勤めていた会社を解雇されて、100社以上を面接してまったく就業に至らなかった経験がある(参照)。派遣会社も含めてあらゆるところに登録して、ほぼ毎日履歴書を書き、週に2~3日は面接に出向き、そしてお祈りされる日々を2年近く続けて、心身ともにずたぼろになったことがあったりするので、今回の特集は他人事ではなかった。でも、もしかしてこういったことって、経験者でないと実感が持てないのかもしれない。

 そう思ったのは、しきたん女史がお書きになられた、下記のエントリーを読んだから。

 「中年フリーター」のあまりにもハッピーな現実 (しきたんの自由なブログ)
 
 お書きになられている「幸せな人生を送るために必要な必要条件とは、(社会ではなく)自分に適応していること(=自分に自信や肯定感を持っていること)」というところなのだけど。特に40代前の氷河期世代は、この自信や肯定感を持つチャンスをことごとく失っているひとが多いわけで。
 まず偏差値世代で大学受験競争を戦い抜いて後に待っていたのが、苛烈な就職活動。そこで数十社受けて一つも決まらず、大学に残ったり地元に帰ったりするひともいたし、『東洋経済』の特集のような非正規の職にありついてなんとか都市部に残った人も少なくなかった。
 その後もITバブルの崩壊やリーマン・ショックといったタイミングで雇い止めにあったり、転職活動が上手くいかなかったりする(私もまさにこのケースだ)。そうしているうちに、履歴書に「空白の期間」があり、これが理由で面接に落とされやすくなり、自信と気力がどんどん削がれていく。
 特に、仕事に就いていることで得られる「経験」がすっぽりと抜け落ち、その期間に費やされた「時間」が失われているということに対する焦り。これがほんとうにキツイ。『東洋経済』本誌で登場する、ゲームセンターでバイトをしている33歳の男性が、それ以外の仕事を経験していないために一歩が踏み出せず、20代に比べて体力の衰えを感じてきたという話も、まさにこの「経験」と「時間」の両方を失い、「自信がない」と本人が繰り返さざるをえなくなる典型例といえるだろう。

 もちろん、迫り来る親の老後の面倒をどのように見るのか、といって問題や、自身の雇用不安といった「お金」の問題が40代以上の高齢フリーターには最重要なのはいうまでもない。だが、それと同時に、経験と自信を失った就職氷河期経験世代=ロスジェネ世代が、どのようにそれを取り戻していくのか、というのも同じくらい重要だ。さらに言うと、その個々が孤立しているために世代的な一体感がなく、個々のケースが「ケース」として扱われ、世代の救済といったところまで議論が進んでいかない現状を、なんとか変える必要がある。
 とはいえ、これを抜本的に解決するのって、国が企業に35~45歳の正社員雇用の数値目標を求めて、強制的に「正社員」という肩書きをもたせ、なおかつ相応の経験が積めるような職業訓練を事前に無償で受けられる、といった絵空事のような政策しか思いつかないなぁ……。それくらい、この世代の負った「傷」は深いのだけど、それを親身になって感じてもらうのは、肉親でさえも難しいというのが、この問題を漆黒の闇にしているのだと思う。
 
 私の場合、たまたまブログを書いていて、そのおかげでたまたま書き仕事を頂けて、たまたま知己に恵まれたから、なんとか食べていけているけれど。数年前には生活保護を受ける相談をしに行くくらいには困窮していた。受給を受けたわけではなく、「相談しました~」的なエントリーを書いただけで各方面からツッコミが入りフルボッコになったことを思えば、個人的にはよく持ち直したというのが実感だし「自信」にもなっている。が、もう少しマクロに考えると、30代の男性が仕事を失って困窮していく状況を他人に理解してもらうハードルは高いことも示している。つーか無理じゃね、とも思う。そこから「自信」や「肯定感」を掴むなんて、よほどの僥倖がないと難しいよ。

 だから正直に言って、「自信や肯定感を持って」とか、軽々しく述べて欲しくないんだよね。それが得られる機会と時間を与えられなかったのだから。その与えられなかったことを「自己責任」の四文字で肯定されてきた世代には、あまりにも残酷すぎる言葉なんですよ。
 もし、お願いすることがあるならば、どうか就職氷河期経験世代の「実情」を理解しようと努めて欲しい。そして、その世代で苦しんでいる人たちが健康で文化的な生活を送るにはどうすればいいのか、一緒に考えてもらいたいと思う。

『グルコミ6』出店&『もじめし』のこと

 明日、というかもう今日なのだけど、10月3日にさいたまスーパーアリーナで開催される『グルメコミックコンベンション6』に出店します。といっても、Parsleyがというより、相沢ナナコ女史のサークル『タヌキリス舎』がブースを出して、そこで頒布する『川崎の空の下、焼き鳥の煙は流れる』という同人誌を共同で作った手前、自分も売り子をします。

 『グルコミ』についてご存知のない方にざっくり説明すると、調理OK、飲食OK、飲酒OKな同人誌即売会です。出店ブースの気合の入った調理に舌鼓を打つだけでなく、一般参加者の方の中にはなぜか珍酒を振る舞う方がいたりして、なおかつ同人誌も頒布されています。はっきり言って楽しいです。
 イベントの雰囲気は下記の記事でもご参照下さい。

 飲み食いしつつ同人誌も買える! 『グルコミまんぷく大宴会』がカオスすぎた件(ガジェット通信)

 『川崎の空~』は、我が家の近所にある『竹沢』という焼き鳥屋さんの非公式ファンブック、という位置づけです。売られている焼き鳥のほぼ全部を食べ比べてレビューしたり、コラムを書いたり、写真を撮ったり、DTPをしたりしました。ナコ女史いわく「愛が高じて作ってしまうのが同人誌だとしたら、これはまさしく同人誌であると胸を張って断言できる本」というのに、Parsleyも全面的に同意できます。つまるところ、そんな本です。
 ちなみに、オールカラー。一冊500円です。

 もう一冊。『タヌキリス舎』から出す新刊の『もじめし』についても。こちらはナコ女史と、添嶋譲氏、たかなしみるく女史のオリジナルレシピ15品と短いエッセイが添えられています。Parsleyはちょこっと編集に協力しました。
 詳しくはお手にとってほしいのですが、三者三様、好対照なレシピは「文字」なだけに、読む者は想像力が膨らまされます。
 添嶋氏のものは小林カツ代リスペクトというだけあって端正だけど、男子っぽいざっくり感がそこはかとなく感じられるし、みるくし女史のは「たるいな~」と思いつつきっちり真面目に作ってしまう光景が見えるような気がする。ナコ女史のは食材や調味料が少ないのに、「そうきたか」と唸らされるようなメニューで、試行錯誤が好きなんだろうな、と思わされるはずです。

 また、エッセイも「文章書き」が書いているだけに、どれも素敵。みるくし女史の「自分のためのごはん」に至るまでのプロセスには自炊経験者ならばグッと来るところがあるだろうし、「書く」ことと「ご飯を作る」ことをリンクさせるナコ女史の話の地に足がついた感性は、『もじめし』という本を明確に位置づける役割を果たしています。
 そして。個人的には、添嶋氏のエッセイにはきゅんきゅんさせられてときめいたことを告白しなければなりません。彼は創作文芸同人のコミュニティではひと目置かれている存在で、それは「本来自分が経験してこなかった少年・青年時代」というノスタルジーを圧倒的な説得力で読ませるからだと個人的には考えていて、だからこそ一部の男子に熱狂的な「添嶋ファン」がいたりするわけなのだけど、このエッセイでは彼の書く話に欠いている「過去」がノスタルジーを補強する役割を果たしていて、かえってそれがある種の人にとっては妄想を掻き立てることになるだろう、と思うわけです。そういったものを、さらっと短い文に瑞々しく込められていて、フィクションよりもフィクション的。根っからの書き手なんだと、尊敬の念を新たにした次第です。

 いささか語りすぎてしまった感がありますが、『もじめし』の方も500円。「竹沢本」と合わせて、お手にとって頂けると嬉しいです。
 お時間がある方は、さいたまスーパーアリーナ、通常24ブースでお会いしましょう。ではでは!