JCEJジャーナリストキャンプに参加するワケ

 こんな夜更けにごきげんよう。Parsleyです。

 突然ですが、日本ジャーナリスト教育センター(JCEJ)が開催する『ジャーナリストキャンプ2015浜松』に参加してきます。

 キャンプは6月19日から21日まで、浜松入りし取材。自分のフィールドであるネットメディアのように、「とにかく取材して、そのまま書いて、すぐに出す」という流れでよしとするなら10本程度はアウトプットできるだろう。が、テーマである「家族」を切り口から見つけて深堀りしていくには、あまりにも短い。短すぎる。
 期間内で、まずは担当デスクを納得させ、他のチームや運営委員(特にF氏が難関中の難関だ)との議論に打ち勝ち、その上で記事として完成させたとして、今度は『THE PAGE』や、『Yahoo!ニュース』を読むユーザーがどう反応するのか問われるわけで、生半可な跳力では飛び越えられないのは明白だ。考えれば考えるほど、胸に悲壮感が湧いてきますね……。

 超絶厳しいキャンプだということは知りつつ、今回参加を決めたのは、運営委員のT女史やS氏たちの勧誘を受けたからというのもあるのだけど。一番の理由は、「このままでは自分は負ける」という感覚があるから、といえばいいだろうか。
 いま、自分は非常にありがたいことに、いろいろなネットメディアでさまざまなジャンルの記事を書かせて頂いていて、なおかつ好きな時に好きなことを書ける『Yahoo!ニュース個人』やこのブログがあって、アウトプットの機会に事欠かない。しかも「書いて伝える」ということ以外の専門性が要求される立場にないというのは、特権的ですらあるかもしれない。
 一方、ここ数年来、紙媒体の表現は「ネット化」していて、ソース(一次情報)がブログやTwitter、Facebookのものをポンと出されるのがもはや当たり前になっている。朝日新聞社の『withnews』のようにネット的な題材や表現に本気で取り組むようなメディアがポンと立ち上がったりもするような時代に、資金的にも人員的にもリソースが劣るネットメディアが果たして太刀打ちしていけるのか。厳しいよね、と感じざるをえないわけです。
 加えて、2004年からブログを書き始めて、いくつかの幸運に恵まれてモノを書くことで稼ぐことができるようになった自分は、何らかの専門的な「研修」や、誰かから「レクチャー」を受けることを経ずに、ここまで来ている。もっというと、「ダメ出し」をされる前にダメだった際にはバッサリと切られるので、何がダメかは自分で考えてやっていくしかなかった。
 もちろん、日々アウトプットすることでユーザーからの反応の多寡によって、毎回反省させられて、次に活かしたり、アプローチを変えてみたりすることはできる。だが、凡人がこねくり回して考えることには限界がある。そういう意味では、今回のキャンプは「ダメ出し」をされる格好の機会というわけなのです。

 そんな体たらくの自分でも、ひと様の書いたものを見たりアドバイスしたりする立場でもあったりするので、多くのひとが関わって一つの記事が出来上がるという、紙媒体のチームでの体制を一度は経験する必要があるのでは、というのも理由に挙げられるだろう。スタンドアローンで何でもやってしまうのも良さがあるけれど、さまざまな意見をぶつけつつブラッシュアップしていくプロセスは、「ひとに教える」ためのポイントを盗めるのではないか、と密かに思っていたりもします。

 別件があって、6月6日の事前レク&懇親会に参加できないので、テーマについても言及しておくと、個人的に従来に意味していた「家族像」はすでに変わっていて、そこにどのような存在意義があるのか。意義はない、という「仮説」を立てています。それでは、「家族」という言葉に新しい意味づけをしていくのか、別のコミュニティ単位が代替していくのか。そういったことが見えるといいなぁ……と考えていたのですが。
 依光隆明デスクが、「家族にこだわっては、家族を書けないかも」(参照)とおしゃっていて、ちょっと頭固くなっているな、と自覚もしたので、もうちょっとレンジを広げて物事を捉えていきたいな、と思っているところです。

 そんなこんなで。運営委員各位や、自分と同じく参加される皆様におかれましては、どうかよろしくお願いいたします。