ロスジェネ世代本を読むの、しんどいです。

 こんな時間にごきげんよう。某同人イベントで売り子したり取材したりして、さすがに体力を消耗しているうちに、元切込隊長氏からちらりと触れた部分へ言及頂き(参照)、恐れおののいています。
 ぶっちゃけ、1000枚は格が劣るParsleyですが、木っ端とはいえブロガーなので、勉強不足を承知で改めてレスポンスしたいと考えております。ほんとしんどい。夜は寒くて喘息気味になるし。

 しんどいといえば、自分と同じロスジェネ世代の男性を扱った本をいくつか読み進めているのですが、これが本当にしんどくてしんどくて仕方がない。私自身は自分にまったく自信が持てない人間なのだけど、この世代に生まれたということを「こじらせて」自信がいつまでたっても持てないのではないか。でもそれって他罰的ではないか……などと考えて、しんどいわけです。

 まず、そもそも同世代の男性を扱った本を読もうと思ったきっかけは、というと……。インタビューを担当した湯山玲子女史(参照)と菊地成孔氏とのトークイベントで、湯山女史が自著『男をこじらせる前に』についてこんなことを話していた。

 「これは、男自身が書くべき(内容)ですよ」

 ご本人にとっては何気ない一言だったかもしれない。でも、私にとっては全身に電流が走る思いだった。

男をこじらせる前に 男がリアルにツラい時代の処方箋 (角川書店単行本)
KADOKAWA / 角川書店 (2015-03-01)
売り上げランキング: 4,313

 自分が書くには手に余るかもしれない。でも自分の立ち位置も含めて、社会と「自分たち」を相対化させることにより、日本における「男性像」をアップデートすることに少しでも役に立てることができるならば、何らかの発信はしなければならないのではないか。渋谷からの帰り道で、そのようなことを考え込んでいた。

 同時期に、面識のあるライターの小林拓矢氏が、ご自身の経験をもとにした単著を上梓された。

早大を出た僕が入った3つの企業は、すべてブラックでした
講談社 (2015-04-10)
売り上げランキング: 36,870

 彼の本を読むのは、Parsley個人が正社員あるいは派遣社員としての経験ともオーバーラップするシーンが随所にあって、胸が苦しかった。無理ゲーとしか思えないタスクや、上司・同僚からのパワーハラスメント、コミュニケーションが不足している現場、「自分はこんなもんじゃない」といった感情との折り合い、そういった環境にしがみつくしかない感覚……どれもが自分も味わってきたことだ。
 だけど。この本には小林氏が「つらかったこと」「しんどかった」ことに終始していて、なぜそうなったのか、どうすれば避けられたのか、といった考察は一切入っていない。どこを切っても小林氏がそこで「不当な待遇を受けた」という主張しか切って出てこないのだ。これがいち読み手としては非常につらかったし、この本が刊行された意義について、小林氏ひとり(あるいはご家族)が救われること以外に見出すのが難しかった。

 次に引っ張りだしてきたのが、『アラフォー男子の憂鬱』(日本経済新聞出版社)。2013年12月の刊行で、やや時間が経過しているが、これもロスジェネ男子の立ち位置の難しさについて論じられている。

アラフォー男子の憂鬱 (日経プレミアシリーズ)
常見 陽平 おおたとしまさ
日本経済新聞出版社
売り上げランキング: 162,197

 この本も、刊行当初も感じたが、個人的に「キツい」本だ。
 速水健朗氏が90年代のCM、ドラマ、Jポップを紐解いて時代感覚を振り返りつつその影響を論じたパートと、おおたとしまさ氏が「学歴」の変遷を通じてロスジェネ世代が受けてきた教育について詳らかにした章はいいのだけど……。まずは常見陽平氏のバンド語りがツラい。バンドブームの盛り上がりと終焉のタイミングと、就職氷河期を結びつけて論じられているのはさすがなのだけど、なぜ再結成したバンドについて「いい感じに歳を取っていた」と日和った結論なんだよ、と正直思ったし、再読してもやっぱり「生きて働くのがロック」というのは常見氏個人の切り口しか見いだせなかった。
 それ以上にしんどいのが、赤木智弘氏のパート。ゲームからネットと、それを取り巻く社会について論じつつ、ご自身の経験と結びつけたエッセイになっているのだけど……。「10年前、あるいは10年前に生まれたかった」というのはちょっと……。まぁ、私自身バブル世代に関しては厳しい視線を向けていることを自覚するので人のことは言えないのだけど、『ニコニコ世代』を羨んで「ズルい」というのは成熟からほど遠い。自分にもそういう面があるのを痛感しているだけに、読んでいてしんどかった。

 ちょっと別の視点が欲しくて、読んでみたのが、奥田祥子女史の『男性漂流』。

男性漂流 男たちは何におびえているか (講談社+α新書)
講談社 (2015-03-06)
売り上げランキング: 1,355

しかし、挙げられている例が婚活が上手くいかないとか、「イクメン」の実態とか、家族の介護に疲弊している例とか、アンチエイジングにハマる例とか、どれもケースに終始していて、世代あるいは性別としての「男性」にとっての問題が浮かび上がってこないような印象を受けた。そして、どのケースに登場する男性も、ほとんど「自分語り」で、それをとにかく聞く、という構造が、読んでいてしんどかった。

 そして。中村淳彦氏の『ルポ 中年童貞』。

ルポ 中年童貞 (幻冬舎新書)
幻冬舎 (2015-01-30)
売り上げランキング: 4,347

 本を買って読んで後悔することがめったにないParsleyだけど、この本に関してはげんなりした。中村氏自身の介護施設での経験をもとに、童貞であることイコール社会不適合者としてフレームアップされているわけなのだけど。中にはそういう人もいるのだけど、それが童貞であることを主因とするのは少し乱暴なのではないか。わざわざ我儘な人をサンプルとして集めたようなきらいもあって、読み物としての面白さを出そうとして、返って問題を矮小化させているように感じざるをえなかった。

 こういった、40歳前後を迎えたロスジェネ世代を扱った本を読んでいて、常に疑問なのは、「どうして自分たちは”自分語り”しかできないのか」ということだ。なんというか、他の世代に比べて、社会に出てから上手く経験が積めてないせいなのか、薄っぺらに見えるし、そういった経験を積む機会を社会から与えられなかったと他罰的になっている。もちろん、これを書いている私自身にもそれが当てはまるので、とにかく読んで考えることで、気が滅入るばかりだった。「もしかして、自分たちの世代をトリアージとして社会から切り離せば、日本ってもっとよくなるんじゃね?」みたいな妄想がよぎるくらいには、打ちのめされていた。

 とはいえ。常見氏がいみじくも語ったように、自分たちだって生きて働かなければいけない。それならば、よりよく社会とコミットしていくための方法や、同じような世代を繰り返さない知見を築いて残すことは、無駄にはならないはず。なんとかそこまで考えるためにできることは何か、ということを自問自答しているわけなのだけど……。

 とりあえずようやく薬が効いてきたのか、咳が収まったみたいなので、一旦お布団にくるまってみようかと。眠りさえすれば、一時にせよ自意識を遮断することができるはずだから。
 これをお読みの方はおはようございますだったかもしれませんが、そんなこんなで、おやすみなさい。

 

お金があろうがなかろうが勉学に励むと良いことあるよ(たぶん)

 ゴールデンウィーク中も作業、作業、作業……と、いっても、合間には40度のウォッカ飲んで、ふわふわした感じになったり、普段と比べればのんびりとやっています。連日ブログ書く程度には。

 そんなわけで、「ビリギャル」に関連して、映画が公開になったタイミングということもあり、『LITERA』がこんな記事を出していた。

 ビリギャルに実は“ビリ”じゃなかった疑惑が…正体は名門私立中高一貫校のお嬢様! (LITERA)

 ざざっと記事の趣旨を要約すると、私立の中高一貫校に通っていたので「進学校でビリ」だったに過ぎず、「小学4年の学力」というのはあり得ないと疑問を呈し、さらに塾に通って「百数十万円」を前払いできるような家庭環境だったことを挙げて、「中学受験のあと何年か遊んでいても、高いお金を払っていい塾に行けば大学受験はなんとかなる」と教育格差の問題だとまとめている。

 個人的には、「慶應?ふーん」という感じなので、本を読んで特に感銘は受けなかったが、ある時期より彼女が努力したということは確かで、その価値は目減りしない、と思う一方、上記の記事で指摘されていることも事実だろう。

 Parsleyに言える事といえば、勉強は「受験勉強」だけではないし、生きているどこかのタイミングで本を読みまくったり映画を見まくったり、音楽を聴きまくったり、そういったことも勉強だし、本人の努力と運次第で活かす時がやってくる、ということだ。
 自分の場合、本を月100冊ペースで読んでいた10代後半から20代前半にかけての「おつり」でやっている、という意識が常にある。100冊も買える財力はないから、そのうち75冊くらいは図書館で借りて、10冊程度は古本屋さんで見つけて、残り15冊は当時ハマっていたラノベという感じだった。
 映画に関しても、25歳から30歳くらいまでの間は月10本前後ととにかく見まくっていた時期があった。その時にあわせて先人の演出や脚本の良し悪しについての批評を読んで、自分で学んだ。ぶっちゃけ寝食を削ってやっていたので、こっちは確かにお金が必要だったかな? お金があれば、もっと観たかったしもっと知りたかった。振り返れば人としてどうかという学び方だったと思うけれど、これも今となってはお仕事に活きるようになっている。

 こんなことを書くのは、先日に著述家の湯山玲子女史にインタビューする機会があり、「文化系は人を助けるよ」という言葉に深く首肯することができたから。

 『男をこじらせる前に』湯山玲子さんインタビュー 「文化にハマって”競争”を飼い慣らそう!」 (ガジェット通信)

 先人の知見の蓄積があるものに親しむことにより、様々な失敗やイヤな思いを繰り返しても、ある瞬間に「文化的な喜びがある」という彼女の話には、自分にも思い当たるところがあるし、個人的にこの時期にそういう「大人」に出会えた意味は間違いなくあった。でも、これも前述した本と映画、あとは音楽に浸りまくった時期があったからこそ、得られた機会だったわけで、その頃にフツーの学生生活をしていたならば、会えなかっただろう。

 もうひとつParsleyがいえる事として、大学や専門学校に入るために「新聞奨学生という選択は絶対に捨てろ」ということなのだが、朝夕刊の配達が生活の軸になるために、出たい講義やゼミ、それに資格取得を諦めなければならなかった。当時、それほど悔しい思いをしたわけでなく「仕方ない」程度ではあったのだけれど、学業のメインストリートからは外れなければならなかった、というのは確か。これについては、正直なところ家庭にお金があって学生生活を満喫している人たちのことがうらやましかった。

 でも、その分図書館に通ったり、お昼ごはん代や通学費を削って映画を見に行っていたことで、まがりなりにも物を書くお仕事ができるようになっているわけで、たぶん当時のキャンパスライフが充実していたとすれば全く別の道を進んでいただろう。そちらの方が幸せだったかもしれないし、どこかに落とし穴があったかもしれない。いずれにしても、湯山女史にインタビューできるような境遇にはなかったはずだ。

 こういった本や映画や音楽に打ち込むには、その前段階としての基礎教育があり、それが義務教育や高等教育の場だから、やっぱり授業で学ぶことで無駄なことはないし、どこかで生きる。確定申告をするにも計算しなければならないし、会社のキャッシュフローを見るのに簿記の知識があるに越したことはない。10代の当時は「なんでこんなことをやっているんだろう」と思っていたことが、確かに必要になってくる。
 ここで、大人たちが「もっと勉強しておけばよかった」という言葉を実感するわけだけど。勉強なんて死ぬまでできるので、お金に余裕ができてから大学に入って学ぶということだってアリなわけだし、逆にいえば勉強をやめると人生のどこかでコケる。

 繰り返しになるけれど、「ビリギャル」が本で書かれているような「恵まれている」境遇だったというのは確かだろうし、教育格差があるというのも事実だ。でも、だからといって「お金」や「時間」を理由に勉強しない・できないというほど、日本って後進国じゃない。ただ、どこかで一発逆転を狙うにしても、頭の筋力は必須だから、お金がなかったらなかったなりに鍛えることは無駄にならない。
 私もお金がなかったクチだから、お金がある人たちのことを随分と恨んできた。それでも、イヤな思いをしてもしがみついて踏ん張って「知」に触れ続けることは、お金の有無ではなく、本人の意思次第。そういうことをようやく実感できるようになった。

 だから、まぁ。「ビリギャル」も慶應に入ったことで満足して勉学の歩みを止めれば、どこかで躓くだろうし、彼女の境遇を「恵まれている」とうらやんだところで自身を取り巻く状況が変わるわけじゃない。だから、「ビリギャル」とは別の本を読んだり映画を観た方がいい。たぶん、それがどこかで、必ず自らを助くはずだから。

 ただ、どんなにお金がなくても、ほんとうに新聞奨学生だけはやめたほうがいい。これだけは最後に強調して、今日もゆるゆる作業をねりねりしていきます。

教育格差の社会学 (有斐閣アルマ)
有斐閣
売り上げランキング: 115,970

バイラルメディアの書き手のモラルハザードが起きる理由

 おはようございます。インターネットは眠らないし休まない。そんなわけで、Parsleyは本日もいろいろもにょもにょ活動してます。

 さて、元切込隊長氏が下記のような記事を公開して、メディア・広告・PR業界で波紋が広がっている。

 サイバーエージェントなど特定企業の社員が違法なネイティブアドビジネスにぶっこんでいる件で(個人 – Yahoo!ニュース)

 これと同じではないけれど、似たような資料なら見かけて、でもこの案件「タイアップ広告」じゃないよね? ……などと思った記憶がそこはかとなく。
 サイバーエージェントには早速問い合わせをした方がいるようで、以下のような返答が出されている。

 ヤフーニュースに掲載された山本一郎氏の記事について _ 株式会社サイバーエージェント

 この度は、ご心配をおかけしており申し訳ございません。

 該当記事について、当社はJIAAの会員として、
 ネイティブアドの信頼性確保のため広告表示を実施しており、
 当社代表取締役社長の藤田および組織的に、
 ネイティブアドの広告表示外しを指示したという事実はございません。
 該当記事の執筆者にも、上述の通りに連絡をしております。

 現在、現場の行き過ぎた行動があったかどうかについての調査を進めると同時に、
 全ての媒体資料の見直しおよび社員に対する研修の実施により、
 広告提案時のルールを改めて徹底し、
 コンプライアンス体制の強化と意識向上に努めてまいります。

 ふむ。「組織的に指示した事実はない」のに「現場の行き過ぎた行動」があったかどうか、確認が取れていないというのは、これいかに。あと、「意識向上」ねぇ……。

 私個人としては、JIAAのネイティブアドのガイドライン(参照)に端を発している一連のあれこれについて、「なぜこれまでグレーに上手く運用してきたことを、あえて明確にしようとしているのか」ということに疑問をもっている。あくまで自分の感覚では、著作権の二次創作の処理と同じように、景品表示法を厳密に解釈すれば抵触する可能性があるところを、お互いに(これはユーザーも含まれる)利害を調整する形で長年運用していることを、なぜ今になって変える必要があるのか、と考えている。

 まぁ、このようなことについてあれこれいうのは別の機会に譲るとして。もうひとつ、CA絡みでは、バイラルメディア『Spotlight』が、画像を盗用し、抗議した著作者に「逆ギレ」をしたということが話題になっている。

 パクリメディア Spotlightのライターが盗用した先のブロガーを脅している!( 鈴木です。)
 
 また、同じタイミングで、「無断転載禁止」と書かれた記事から画像を複数のバイラルメディアに使われ続けたブロガーが、各登用先に問い合わせた結果をまとめた記事が『週アスPLUS』にも掲載されている。

 バイラル・キュレーションメディアの勝手な無断転載はどうして止まらないのか? – 週アスPLUS

 この、「どうして止まらないのか」という疑問に対しては、主に以下の理由が考えられる。

 ・執筆者が編集を介さずに投稿して公開できるから
 ・編集が転載に気づかず機能してないから

 『週アス』の記事では、真っ先にCAの女性向けメディア『by.S』が取り上げられているのだけど、もともとは『SELECTY』という名前で、まるで自撮り女子のSNSのプロフィール画像のように短期間で名称変更を繰り返している。つまり、チェック体制を強化して「信頼」できるメディアを目指すよりも、衣替えを繰り返す方がPDCAサイクルは回る、と判断しているのではないかしら、という疑いすら覚える。

 それとは別の問題として、書き手にしろ、編集者にしろ、著作権法について一定の知識を持ってお仕事をしている、と外からは見られているように感じるのだけど。私の知る限り、ネットメディアで著作権に関して体系的に学ぶ研修を実施しているところは五指もない。
 つまり、個々が自分で勉強するしかないのだけど、別に「勉強しろ」と促されることもないから、何か問題でも起こさない限り学ぶ必要性も感じずに日々記事を投稿しているという人の方が多数派なのではないかしら、と思う。

 WordPressやMovable TypeなどのCMSが普及して、ネットでメディアを立ち上げる敷居は劇的に下がった。だが、どのメディアが収益を十分に上げられる構造になっておらず、結果的にライターに払われる報酬も少ない。クラウドソーシングサイトを見れば一記事が300~500円という案件なんて良い方だし、3000~5000円で「原稿料を多く頂いている」とさえ感じている人もいるのではないか。
 とはいえ、仮に3000円だとして、一ヶ月毎日一本書いてそれが毎回採用されたとすれば90000円。生活保護の最低支給額より間違いなく下ですね。

 要は、そういう報酬でお仕事をしているライターに、どこまで著作権法をはじめとする遵法意識を持たせることができるのか。もちろん、法律違反は違反としてやめさせなければいけないのだけれど、報酬面や契約(すら交わしてないケースも少なくないはず)などの体制を整えず、ビジネスモデルすら微妙な状態でカジュアルにメディアを立ち上げる企業・団体が多いことこそが、この問題の本質にあると思う。
 ライターとしては、あるメディアに盗用画像を含む記事が採用されなかった際には他のメディアに持ち込んでいけばいいわけだし、そこが前述のような著作権に甘かったりしたら、その記事が公開・掲載されてしまう。そういうイタチごっこが、ここ数年続いているように思う。

 まぁ、要するに。メディア全体でお支払いする報酬・原稿料のベースが上がらない限りは、編集者・ライターのモラルハザードは起こり続けますよね、というお話なのだけど。
 これには上記のネイティブアドの話が密接に絡んできて、ここを厳格化しようとすると、これらのメディアは今まで以上にアドセンス・アドワーズ・アドネットワークに頼ることになるために、PVを稼ぐために記事の量産が求められ、少ないリソースの中でチェックがあってなきようなものになり、100円ライターからの著作権違反の記事の掲載がまかり通り、ライターの収入も上がらない、というスパイラルに陥る可能性が高い。

 まぁ、JIAA的には体力のあってガイドラインを順守できるレガシーなメディアと広告代理店・PR会社が残ればいいのかもしれないけれどさ。前述のようにCMSで個人でもメディアが作れるわけだし、そもそもJIAAの会員企業の中にも遵法意識が低い企業が混ざっているわけだし、あえて言葉を飾らずにいえば「論外ですね」というのがParsley個人の意見になります。

 そんなこんなで時間切れ。今日もお仕事お仕事…っと!