ニュースアプリを離れるのは「飽きる」せいでないと思う

 ゴールデンウィーク期間とはいえ、課題山積で絶賛作業の日々です。ごきげんよう。

 ちょっと前に、ビジネスメディア誠『Gunosy』の福島良典社長のインタビューが掲載されていて、「ニュースアプリが飽きる理由は?」といった話が展開されていた。

 仕事をしたら“ニュースアプリ”ができた(後編):なぜニュースアプリを使うと「飽きる」のか――原因は“釣りタイトル”(たぶん) – Business Media 誠

 ここでは、吊りタイトルのがっかり感がある記事を滞在時間の短さから弾くなどの方策や、ユーザーログの解析による改善の必要性を強調しているのだけど。個人的には、『Gunosy』に限らずニュースアプリが新しい価値観を提示しているようにはさっぱり思えないので、小手先で泥縄式なプログラムの変更でどうこうできるものではないのでは、という感想を持ってしまう。まぁ、ブログでもニュースの記事でも、私は「煽り」はするけれど「吊り」はしないのを信条としているので、実際のところよくわかりませんけれどね。

 さらに、『誠ブログ』で山本恵太氏が、上記のインタビューの「物足りなさ」を「メディアに対する思い」のなさが「飽きる」原因であると指摘していた。

 Gunosyには「メディアに対する思い」が感じられないから 飽きる のかもしれない – やまとぴBlog

 メディアとしての挟持こそがメディアたらしめる、というのは、その末端で席を汚させて頂いている私にとっても共感できる部分が大きい。
 しかし、そもそもの話、ひとは「飽きた」からニュースアプリを使わなくなるのだろうか? 

 暇つぶしでニュースを読もうという際に、趣向に合った記事が自動でレコメンドされてくる、というのは確かにラクだ。そのように情報を受容するユーザー層がいる事は確かで、だからこそこれだけの利用者数を集めることに成功しているというのも分かる。
 しかし、何にもしないで情報が集まってくるということは、自分で記事やコンテンツを探す楽しみは得られない、という事と裏返しでもある。自分に合った記事を「読みたい」のではなく「見つけたい」という欲求が、趣向に合っているとは言いがたい記事を「おすすめ」されることによって高まっていき、懐かしき「ネットサーフィン」という言葉に示されるような暇つぶしへと回帰していくのではないだろうか。
 ユーザーが「読みたい」ではなく「探したい」へと指向がシフトしてしまった場合、本質的にアルゴリズムでどうなるものでもない(ユーザーの趣向性によりマッチさせることで、離脱するのを先に伸ばすことができるかもしれないけれど)。これは、『Gunosy』に限らず、既存のニュースアプリが共通して構造的に抱えている弱点なのではないかしら。

 ネットメディアにおけるシステムの中で、ニュースアプリからの流入は無視できなくなっているという現状は踏まえつつ、個人的にその影響をひとまず考慮に入れずにいるのは、ソーシャルメディアの反応数やPVはコンテンツの喜怒哀楽の振り幅が大きかったり、記事で取り上げている対象のバリュー(有名人とか)に左右されるわけで、そういったものを扱っているわけでない以上、一喜一憂してもどうしようもないよね、と思っているから。
 私自身、気になる情報は自分で探してやってきたし、インターネットはそのような「自由」を拡張するという哲学が根底にあるという認識なので、それとは真逆のアプローチを摂るサービスやひとを否定することはないにしても、過度に意識する必要性も感じられない、というのが正直なところだったり。自分で知りたいことを自力で探す、というひとにとって少しでも有益なことが提供できるように、これからも精進したいと思う今日この頃なのです。