仕事がなくならないひと

 体調が優れない上に舌が痛くて満足に味が分からず、タスクがなかなか進まず積む一方という状況なのですが、焦っても先に進まないので気分転換。

 福井県鯖江市が、「JK課」とやらを立ち上げるという話。

 課員は全員女子高生「JK課」 福井・鯖江市設置へ:朝日新聞デジタル

 これについては、西田亮介氏が批判記事を出されている。

 自治体は革新性を求めるあまりに「JK」という実はハイリスクな表層的記号に安易に飛びつくべきではない。(西田 亮介) – 個人 – Yahoo!ニュース

 個人的にも彼にほぼ同意なのだけど、付け足すとするならば「女子高生」というアイコンをありがたがる構造はオヤジ的かつブルセラ的で、「教育」という観点から非常に筋が悪いと見なされるだろう。というか、「若者の発想を活用」って別に新しくもなんともないし。鯖江市の担当職員とやらが大丈夫なのか外野ながら心配になる。
 ついでにいうと、西田氏は著書『ネット選挙とデジタル・デモクラシー』でオープンデータの推進事例として鯖江市をピックアップしており、鯖江と明示せずに「当該自治体」としているあたり、複雑な心境が読み取れる。おまけに、「JK課」を仕掛けた若新雄純氏と西田氏は同じ慶応大SFC出身という間柄というあたりも踏まえると、なかなか味わい深い陰影を帯びた記事に読める。

 それにしても。若新氏は2009年の衆議院選挙で民主党東京都連の若者向け政治参画プロジェクトを企画しており、2013年の民主党大反省会のコーディネートにも携わっている。その時、独自の集計システムや司会進行のグダグダっぷりを見て、「民主党以外でお仕事出来なくなるんじゃないですかね…」という感想を持ったのだけれど(参考)。少なくとも政権交代後に注目を失っていた民主党にメディア各社が取材に訪れるイベントになったことは確かだ。
 その後、2013年12月に『NEET株式会社』なるものができ、代表取締役会長として若新氏が登場して、私の予想は裏切られることになった。「若者の発想を生かした企画の実現」というのはこれまた新しい発想ではなく、若者自身による共生というテーマはシェアハウス運営などが先行しているようにも思えるのだけど、各メディアは飛びついていた。
 そして、今回の「JK課」と来ている。なんでこのひと、仕事なくならないんだろうなぁ…。

 西田氏が「提案を行った人物が、過去にきちんと顕著なアウトカムを創出しているかどうか、あるいは提案が具体的な工程表にもとづいているかを精査すべき」と指摘するように、過去に携わったプロジェクトがどのような顛末になったのか普通は調べるだろ、と思うわけなのだけれど。
 メディアを動かしてアテンションを集めることありきの企画には、まだまだ価値があるという現実も認識しつつ、やっぱりこういうお方のお仕事がなくならないということを不思議に感じる気持ちをなくしたくないというのも本音だったりするのだ。

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「新保守」と「ぼくら」に欠いている要素

 タスクが溜まりすぎてわけわからなくなっているので現実逃避。

 先日の都知事選で、田母神俊雄氏が約60万票獲得したことについて、初の「新保守」候補の成果、と見る向きもあるようだけど。たしかに20代と40代に一定の支持を獲得したということは意味があるのだろう。
 ただ、各メディアによる出口調査によると、男性が6割で女性が30%台と他の候補よりも偏りがあるという結果になっている。つまり女性からの支持がないわけだ。この点、関係者がどのように分析しているのか興味が湧く。
 ただ、外野から見れば「ネット発」の保守論壇って積極的に発言する女性が極端に少ないし、ホモソーシャル色が強すぎる故の「壁」があるように思う。

 一方。家入一真氏とインターネッ党とやらも、やはり男性のコミュニティという空気が濃い。だって「ぼくら」、だもん。
 「ボクっ子」という存在があるにせよ、一般的に「ぼく」というのは男性の一人称。少なくとも、ジェンダーに敏感なひとならば「ワタシ」にするだろうし、家入氏自身にも陣営にも支持者にもそういう感覚のひとはほとんどいないと見なしてもいいのかな、という感想は持つ。
 前のエントリーでも触れたように、個人的には家入氏が都知事選で示した明確な公約を掲げずネットユーザーから政策を募集するというスタイルは、広範な支持を得るポテンシャルがあると思う。ただ、その言葉の選び方が上手くないというか、あまり深く考えていないということを「ぼくら」が象徴しちゃっているんじゃないかなぁ、とも感じてしまう。
 
 「新保守」とやらにしろ、インターネッ党やらにしても、その存在を誇示するという目的で、国会なり地方議会に席を得るというのはアリかもしれない。でも、これが国や自治体の「トップ」ということになると、全体を「守る」役割が課せられる。となると、「排除」の論理が働きそうな候補が選ばれるに足るだけの支持を得るのは困難なのはないか。

 そんなこんなで。「新保守」にしろ「ぼくら」にしろ、女性の支持や理解を得るようなコミュニケーション策を取らないと、政治勢力としてのプレゼンスは限定的になるのでは、という話でした。今回の都知事選では総投票者数で男性よりも女性が上回ったそうだし、「自分たちが正しい!」と前のめりになることから次のフェイズに移行できるのか、そこにジェンダーという要素が絡むのは避けられないように思う。たぶん世代間ギャップより、そちらの方が大きいんじゃないかな。

シングルイシューの強度と限界

 東京都知事選、大方の予想通り舛添要一氏が圧勝した。投票率が46%と低調に終わったが、前日の大雪の影響やそもそも争点がないということもあり仕方ないよね、という感想を抱いてしまう。選挙が大好きなParsleyでさえ、雑事や作業に追われてテレビの特別番組を一回も見ることがなかった。
 
 東京大好きとはいえ都民でない身としては、各政策よりも今後リベラル支持層の行方や理論の再構築をどのように進めるのか、といったことの方に興味が向いていて、以前にも『Yahoo!個人』の方でエントリーを書かせて頂いた(参照)。なので、今回は「シングルイシュー」ということについて適当に考えて書き散らしてみたい。

 今回、「脱原発」を掲げた細川護熙氏の応援として登場してきた小泉純一郎元首相は在任中「ワンフレーズ・ポリティクス」とその手法について揶揄や批判されることが多かった。実際、2005年の衆議院議員選挙では「郵政解散」と命名し争点を明確にして圧勝。小選挙区・比例代表ともに約67%という高い投票率を記録している。細川氏の「脱原発」に関しても、小泉氏は過去の成功手法をそのまま踏襲したようにも見える。
 とはいえ、彼の持論である「郵政民営化」は国債の増発により悪化した財政を再建させるためという確固たる理由づけがあった。実際、小泉政権では郵政だけでなく道路公団や独立法人の民営化も推し進めており、国債を30億円へと抑制している。
 となると、小泉氏の「信念」といえるのはむしろ「財政健全化」であり、「郵政」はその象徴しての存在だったといえるだろう。彼の言葉で「一点突破、全面展開」というものがあるが、郵政改革によりその他の公団や政府機関の民営化にもつながり、それが他の構造改革にもつながり、財政再建にもつながるという一本筋が通っていたことがこの発言からも垣間見ることができる。
 なので、一見ワンフレーズであっても「郵政民営化」というキーワードは綿密に練り上げられた政策に裏打ちされており、その哲学も反映されていたからこそ、強度のある政策として機能したといえるのではないだろうか。
 翻って、細川氏が唱えて小泉氏も乗った「反原発」は、2011年の東日本大震災での福島第一原発事故に基いてのものであり、言葉を飾らないならば「危ないからやめよう」というものだ。「地球環境」ということならば、火力発電を中心としているほうがやさしくないし、天然資源の確保や経済性という面だと後退しているのも明らか。ならばそれらを上回るロジックが必要になるが、少なくとも現状の「反原発」論は「核燃料処理をどうする?」といった根源的な問題にさえ答えを出せていない。
 要するに、シングルイシューとして「反原発」は哲学たり得ておらず、政策としての強度が不足しているから、100万以上の有権者を有する選挙戦では十分に支持されないのではないか。小泉氏自身、映画『100,000年後の安全』を観たのがきっかけだと公言していて付け焼き刃感が否めず、「郵政民営化」と比較すると言葉に芯がないように感じるのは私だけだろうか。

 そういえば。家入一真氏のいう「ぼくらの政策」もシングルイシューといえるかもしれない。明確な公約を掲げずネットユーザーから政策を募集するというスタイルは、オープンソース的でもあり間接民主制を漸進させるチャレンジでもあるようにも思える。
 ただ、当の家入氏自身がそういった「理論」を組み立てることに関心を持っていないようにも見える。というか、そこも「やりたいひとがやればいい」というスタンスだろうから、「伝わるひとには伝わる」というレベルに留まったのは、「ぼくら」の中身が未熟で言葉として強度不足だった、ということなのではないだろうか。
 もっとも、これは今回の都知事選に限った話で、今後サイトやソーシャルメディアを活用して意見を公募するという手法により、民主政治をハックすることが「社会をよくする」とプレゼンテーションできるまでになれば、「ぼくらの政策」というイシューが現在よりも広範な支持を得られるポテンシャルがあると思う。まぁ、必ずしもそれを家入氏だけが担い続けなければならない、というわけでもないとも思うけど。

 そんなわけで。シングルイシューを全面に掲げて選挙を勝ち抜くには、それが他の諸課題にも関連し全体を解決へと導く糸口になると理解できるくらいには強度がないと支持を得られない、ということを考えてみた。
 これは選挙を戦う候補者だけでなく、例えば投票率向上の運動にも同じことがいえる。そもそも「なぜ投票に行かなければいけないのか」といったことが、世代間格差による実現政策の偏りや有権者の意識に訴えるのには限界がある。個人的には棄権するのも政治行動だという考えだけど、今回の都知事選が「投票に行こう」といったお決まりのフレーズが見直される契機にもなればいいなぁ、と願う次第です。