『マタニティハラスメント』を読んで考えたこと

マタニティハラスメント (宝島社新書)
溝上 憲文
宝島社
売り上げランキング: 108,804

 連合が取り組んでいる、出産・育児に関わる職場での不当な扱い「マタニティハラスメント」(参照)については取材する機会があって、そのご縁もあって溝上憲文氏のご著書をご恵投頂きました。ようやく読了したので、ざざっと感想を。

 本書では、マタハラ問題が男性上司の無理解だけでなく、しばしば女性上司や同僚からのものもあるということを再三強調し、働きながら出産・育児をする難しさを浮き彫りにするだけでなく、女性が一つの職場に定着せず、管理職へとキャリアアップの道を選ぶひとが増えない、といった課題にも触れている。
 その上で、大手企業による対策の先行事例を紹介し、安倍政権で遡上にのぼった「育休三年」の有効性に疑問を呈しつつ、「経営トップが旗を振らない限り、女性の活躍はない」と結論づけている。マタハラ関連の諸問題を、実際の職場から人事関係者の声を拾いつつ整理しているので、関心のある方は一読する価値のある内容なのではないだろうか。
 
 とはいえ、本書に限らず連合関係者のお話を伺った時も感じたことなのだけど、例えばキャリアアップに関することまで「マタハラ」に絡めるのは、戦線広げすぎなのでは、という疑問も持たざるを得ないというのが正直なところ。
 「女性が働く権利」は労働基準法でも男女雇用機会均等法でも守られており、育休が取れなかったり、妊娠をきっかけに退職を勧められるというのは違法行為。こういった権利が侵されている現実はただす必要があるし、遵法意識に欠ける経営者・管理職を「啓発」していくのも労働組合の役割だろう。
 しかし、キャリアプランは個人でも考えが異なるし、職場ごとにも状況が違う。本人がそれを望んでも能力が追いついていないというケースもあるから、「育休を取ったから出世が遅れる」ということまで「マタハラ」なのか、議論の余地があるのではないだろうか。
 本書では、均等法の影響で女性の採用率を増やしたり、管理職の採用に数値目標を掲げる企業についても言及がある。氷河期以降の男性の場合、そもそも就職するのに女性より不利だと感じる職種も少なくないし、数値目標の影には昇進が遅れる男性社員もいるはずだ。そういった人たちの視線が厳しくなるのも自然だし、それを感情論と断じれば、「育休でキャリアを絶たれる」という話も同様になってしまう。

 なので、ひとまず育休が取れない、あるいは退職を強要されるといった行為が違法であるという認識を定着させ許さない空気を醸成させることが先決で、それ以外の諸問題は別個に扱わないとブレる、というのがParsleyの意見。語弊を恐れずにいうならば、キャリアアップとか正規雇用者の既得権益と見られていますから。
 ただ、スマホやクラウドを活用することにより、メールの確認や指示などはオフィスにいなくても出来るインフラは既に整いつつあり、「育児をしながら働く」のは各オフィスや個人での運用次第になっているようにも思える。そういった自由で多様な働き方が認められるようになれば、自ずと解決に向かうのだろうから、やはり溝上氏のいうように「トップが本気で取り組む」のかどうか、なのだろうなぁ。

『Real Sound』紅白記事炎上事件に思うこと

 あけましておめでとうございます。…といっても、私自身は1日から稼働していたので、がっつり休んだ感はないのだけれど。まぁインフラ関係とか飲食チェーンとかサービス産業とかと同様、メディアでお仕事をする以上は仕方ないね。
 そんなわけで、年末年始はNHKの『タイムスクープハンター』と『歴史にドキリ』くらいしか見ておらず、『あまちゃん』の話題で持ちきりだった『紅白歌合戦』すらちゃんと観れなかった。話題に乗れないで歯噛みしていたところ、『サイゾー』系の音楽メディア『Real Sound』に掲載された記事が炎上・削除という事案があった。

 【お知らせ】1月1日掲載の紅白に関する記事について – Real Sound|リアルサウンド

 ちなみに、未だにGoogle先生のキャッシュが残っているあたり、ネットの残酷さが鮮明になる。

 記事の内容については特に感想はない。何より『紅白』も『あまちゃん』も語れるほどちゃんと視聴していないし、「あなたはそう感じたんだね」という情報しかないように思えるからだ。逆にいえば、これだけ内容がないものに対していろいろ語るなんて、(私を含めて)もの好きだなぁ、といえるかもしれない。

 それよりも、記事を削除してお詫びを掲載するということは、メディアとしての覚悟や責任の処し方としては拙すぎるだろう、と強く感じざるをえなかった。
 今回の記事は、いちライターの私見が記されているにすぎず、「誤報」ではない。にもかかわらず、批判が集まったから消します、というカジュアルな方針のサイトだと示してしまったわけだ。個人的には、編集者って書き手を「守る」のが最低限の役割だと考えているのだけど。そういうサイトで、忌憚のないタブーなしの「レビュー」なんて不安だし怖いしとても書けない。
 というわけで、クオリティーに疑念のある記事を掲載したことよりも、その後の対応の方を問題視すべき事案。『Real Sound』に限らず、たまに新聞社のサイトやポータルサイトでも記事がしれっと削除されることもあって、そういうことが続くとネットのメディア全体における信頼を損ねているのではないか、と思う。私自身も他人事ではないから気をつけます。

 一方で、媒体の名前で全てのコンテンツを同一視するような見方はリテラシーに不足するのではないか、ということも同時に感じた。
 『Real Sound』はこれまでも「?」という内容の記事や連載が載ることがあったけれど、中には他の音楽メディアとは違った視点を提供するようなものも少なくない。それを今回の一件で全て切ってしまうのは惜しい。例えば朝日新聞だって全部「左翼」な内容の記事ばかりでないわけだし、メディアのカラーよりも個別の記事や書き手、あるいは編集者ごとに取捨選択や評価することが大事なのでは?
 だいたい、今や各サイトのトップからよりもソーシャルメディア経由で読む記事の方が多く、記事単体とメディアが必ずしも紐付いていないことも多いわけだし。「質」をメディアの名前で判断するというのは、ぶっちゃけ情報弱者の方法で時代にそぐわなくなっていると思う。
 逆にいうと、コンテンツのクオリティーや方向性でしかメディアや編集の存在意義を示せないということだと、かなり脆弱であるから別の付加価値を探す必要があるなぁ、とも強い危機感を個人的には覚えています。
 
 そんなこんなで、いろいろ書いてきたけれど。私自身も『ガジェット通信』に多少なりとも関わっている身として、『ナタリー』の大山卓也氏がこんなことをツイート(参照)していることにはちょっと「イラッ☆」とした。い、いまにみてろよっ!!

 今年も拙ブログをよろしくお願い申し上げます。