なんとか生き残った。

 作業もお掃除もとっ散らかりっぱなしで、どちらも抱えて年をまたぐことになりそうだけど。

 2013年を振り返るとするならば、なんとか生き残った。この一言に尽きる。
 今年のはじめは、明日をも知れないような状況で暗中模索を続けていたし、ぶっちゃけ自暴自棄っぽい日もかなりあった。それでも様々な方々が目をかけて頂いたおかげで、どうにかこうにか、あぶなっかしい足取りながらも現世に踏みとどまることができた。そもそも、去年の段階だとこれだけお仕事がある状況になるとは想像できなかったし。ほんとうに感謝しかありません。

 また主に体調面の部分と、スケジュール管理の失敗などで、ご迷惑をかけてしまった場面も多々あった。来年以降はそういうことをなくしていくように、自己管理していかなければと思っております。

 2011年から12年までは、読書や映画鑑賞どころではない状況だったけれど、今年はもっと読みたい・観たいという欲が少しだけ戻ってきた。ギャラリー巡りを含めて、こういったことにもっと時間を作っていくのが課題かなぁ。
 あとはブログがこことYahoo個人、それに『誠』ブログと増えたにも関わらず、満足にエントリーを投下できなかったのも反省点。まずは週一本ずつというところから、徐々に増やしていければと考えています。

 そんなこんなで、2013年中はご愛顧頂きましてありがとうございました。

 2014年も、どうかよしなに。
 

朝日新聞メディアラボは何がしたいか分かりません

 なんかいらいらが止まらない。超いらいらする。いらいらするから、朝日新聞が新たに「社内ベンチャー」を立ち上げたというニュースにぶつけることにする。ごめんね☆

 メディアラボ 未来メディアプロジェクト – (朝日新聞社インフォメーション)

 サイトには「朝日新聞社とグループ企業の事業を刷新して成長をめざし、新たなメディアの創造を含む新商品・新事業の開発、新市場の開拓に取り組みます」とあり、さらに「最新のIT技術動向やビジネスモデルの情報を収集して分析する役割も担います」とある。ふうむ…。

 それで、どんな事業を展開するのか、とFacebookページをささっと覗いてみると…『日刊イトイ新聞』『秘密結社鷹の爪』といった関係者や専売店の話を聞きに行ったり…聞いているばかりですね…。

 『メディアラボ』のスタッフでは、竹下隆一郎氏が積極的に発信をしており、既に『ハフィントン・ポスト』や『アドタイ』に記事が出ている。

 メディアの実験は成功するか – 竹下隆一郎 朝日新聞メディアラボ
 「記者は、頭を下げられるのか」金融庁幹部から突きつけられた言葉 AdverTimes(アドタイ)

 これを見ると、レシートに『天声人語』をプリントするシステムを作ったりする一方で、記者時代に培った情報収集やインタビュー術を活かしていきたい、といった希望が綴られたりしている。うん、それは分かる。それで。一体何を目的にして、それを達成するためのプロセスはどうするのか、さっぱり分からないのですけれど…。

 『アドタイ』の記事によると、「売り上げ目標はありません」とのことで新規事業の立ち上げそのものが目的の模様。普通は何らかのアイディアがあってそれを実現するための予算確保や戦略立案を積み上げていくのがベンチャーに限らず事業のあり方だと思うのですが…。とりあえず器は作って中身はアイディア待ちという印象が拭えないなぁ…。
 竹下氏は金融庁幹部に「100円の利益のため、1人のお客さんのために頭を下げられるのか」と言われて「結果を示すことで倍返しをする決意をしました」というエピソードを披露しているけど、まぁナメられても仕方ないと思う。というか、売上目標がないビジネスって、何? 

 Parsleyが個人的にモヤモヤするのは、レガシーメディアが新しい試みをはじめたという一点のみで、各メディアにコラムが掲載されて、「硬直化した組織からの脱却の一歩になる」的な言説をメディア関係者やOBの方々が言い出すこと。確かに、メディア業界に限っていえば「変化」なのかもしれない。が、普通の企業や官庁・地方自治体が同じような試みをしたとしても、ここまでアゲられることはほとんどないと思う。要するに、『朝日新聞』という看板の発信力があるから通じているだけの話じゃん、と申し訳ないけれど感じてしまう。
 
 そんなこんなで。ラボを設立したということだけにとどまらず、事業内容や開発成果、もしくは「資金調達に成功しました!」というニュースを早く発信できるようになればいいですね! 現状では難しいだろうと個人的には思うけれど、というお話でした。
 しかし、「目標」がなく各方面へのヒアリングをしているだけで話題にしてもらえるなんて…正直うらやましい。Parsleyはそんな立場ではないので、今日もちまちま作業に勤しみます。

「自民」コンプレックスvs「民主」コンプレックス

 師走も後半でもう何がなんだか分からない感じで東京中を駆け巡っているわけなのだけれど、訳がわからない状態で江川紹子女史と元切込隊長氏のやり取りを横目にした感想を書いてみることにする。

 江川紹子「気配があったらすぐ速報しないと、特定秘密保護法の二の舞になりますにゃ」 – Togetterまとめ

 個人的には、江川女史が共謀罪や特定秘密保護法に関する懸念を持つのは理解できるのだけど、懸念があるから飛ばし報道はアリ、という考えが支持されることなどないだろう。元隊長氏もいうように(参照)、憲法解釈や人権概念の変更は日頃から研究されていることだし。むしろ研究していないのならば(護憲という立場においても)超問題じゃん、と思う。

 それで。このような対立(?)を乱暴に切り分けるならば、「自民」コンプレックスと「民主」コンプレックスの差なのではないだろうか、みたいなことを考えた。

 江川女史が記者生活を開始した頃は自民党単独政権が盤石で、ロッキード事件やリクルート事件といった政治資金に関する汚職が多発していた。こういった「権力」の不正を指弾する役割をメディアが担い続けている。40代以上のジャーナリストやメディア関係者は、基本的に政府・省庁などは「ズルをするもの」という前提でいるし、実際に80~90年代に「政治不信」というアジェンダ設定が多くの読者に共感された、という感覚が色濃く残っているのではないだろうか。

 一方で、私を含めた30代以下の世代からしてみると、バブル経済の終焉による就職氷河期を経験して、細川・村山政権での「失政」を見てきた。もっというと、政治がまともな意思決定がされないと自分の生活が危ういと肌感覚で分かっている。また、対米・対露というシンプルな図式だった冷戦期に比べて、国際環境でも複雑さが増していることも身に沁みているから、左翼的な論者の反アメリカ的なスタンスも支持しづらい。ましてや、2009年からの民主党政権での「失政」は記憶に新しい。となると、自民党は「まだマシ」で民主その他のリベラル勢力は「絶対ダメ!」という判定をせざるをえなくなる。

 Parsleyの感覚では、現在の安倍政権や自民支持者で、特定秘密法や法案成立のプロセスに諸手を挙げて賛成しているひとばかりではないように思える。できれば慎重に議論した上で決定されるのがいいに決まっている。
 だが、今回の江川女史のように、「権力側に対してならばデマも許される」と捉えられかねないような言明が一度ならずなされると、比較対象として政府側の方が「ルールに沿っているし理屈に合っている」と感じてしまう。
 メディア関係者がしばしば無自覚なのは、今やその言説が政府・官庁・企業といった組織や公人の発言とフラットに比べられて、取捨選択されているということ。そして、「報道」も既得権益視されているということ。この二点を踏まえずに、いくら「権力が~」と吹かれても共感されないし、結果として本当の権力乱用が為された時に無力な存在になり果てるのではないのかしら?

 Parsleyが大好きな西炯子女史の『姉の結婚』の第四巻に、地元議員の女性問題を追っていた地方紙の女性支社長が、疑惑が晴れて「記者としての旬が過ぎたのかな」というセリフが超かっこいいのだけど。リベラル側のメディア関係者の方々も、彼女のようにキレイに引いてもらいたいものだなぁ、と思う今日このごろ。はい、作業に戻ります。

「環境政党」はもう成り立たない?

 先週の木曜日に、前回の参院選に立候補した三宅洋平氏を迎えて、西田亮介氏がトークセッションをするということで見物に行ってきた。

 西田亮介(情報社会学者、公共政策学者)×三宅洋平(ミュージシャン) トークセッション「ネット世代の選挙のゆくえ」

 テーマが「ネット選挙のゆくえ」ということだったのだが、パートの大半を三宅氏の政治スタンスについてに終始。西田氏が研究しているtwitterの定量観察に触れる場面もあったのだが、多くの政治家アカウントの場合、活動の告知ツイートが大半でユーザーのメンションに対して応えるケースが少ない、といったことは著書にも既に指摘があり、ぶっちゃけ内容に乏しかった(これは予想していたけれど)。
 一方で、地球環境の保全という立ち位置で活動している三宅氏と、「消極的民主党支持」を言明する西田氏との間でなされていた、リベラル勢力がどのように現在の自民・公明党政権と対峙していくのか、という方法論に関するトークは、現在進行形で進んでいるということもあり、なかなかスリルがあった。
 みどりの党から共同代表の就任を打診されているという三宅氏は、「左翼は分裂しやすい」といったということを述べ、先人への敬意を払いつつも、政治について考え語ることの「かっこわるさ」からの脱却を図っている。そのために、「選挙フェス」で若年層を巻き込み(取り込む、ではなく)、当事者となることにより「みんなで考える」契機を作る、というスタンスを強調。ツールとしてtwitterやFacebookを活用したことに言及したあたりが申し訳程度の「ネット選挙」要素だったが、ソーシャルメディアでゆるい「つながり」を形成することにより組織を凌駕しようというのは、一定の成果を上げた三宅氏が語ると説得力があった。
 面白かったのは、西田氏が三宅氏に「民主党に入るという選択肢はないのか」という問いを発した時。曲がりなりにも与党として政権を担当した経験があり、地方組織もある民主党の方がより政策実現に近いのではないか、ということだったが、三宅氏は含みを残しつつも「泥船」に乗ることに慎重な姿勢だった。まぁ、そりゃそうだよなぁ。

 トークを拝聴してのParsley個人の感想を書くならば。もはや政治勢力として保守対リベラルという軸で組織なり政策なりを組み立てていくというのには限界が見えているのではないか、という疑念を持たざるをえなかった。
 三宅氏は、「日本には環境政党がない」といい、確かにドイツをはじめとするEU圏の緑の党のような環境保護を軸とする政治勢力がプレゼンスを発揮していないのは事実だろう。とはいえ、中国のpm2.5が飛散が日本にも影響してくるように、環境問題も複雑化しており、現行のリベラル勢力は理念においてさえ対応力があるとは言いがたい。
 2012年の衆院選に続き、参院選でも自民・公明の与党勢力が勝利したのは、「原発・反原発」というアジェンダよりも、経済好転の方を有権者が取った結果ともいえる。山本太郎氏が議席を獲得したように、一定数の支持者がいるとことも事実とはいえ、例えば環境エネルギー転換に向けた研究開発費の増額といった主張をするわけでもなく、「エコ」を全面に出して戦っても現状以上の支持を得るのは難しいだろう。
 バブル崩壊や景気の低迷に直面し、それがあらゆる生活の危機に直面するということを身に沁みている世代のひとりとしては「エコ」という価値観は強者の道楽に見える。社会保障が揺らいでいるのも、もとを探れば間違った経済施策と社会制度の再設計を先延ばしを続けているのが原因だし。少なくとも細川・村山内閣と民主党政権で2度のチャンスがあった現行リベラル勢力の信頼は地に落ちている。

 もうひとつ。三宅氏が「街を動かしているのは街を歩いているお兄ちゃん達」という発言があった。これはその通りなのだけれど、一方で転勤などで土地に根付くことのないような人のように「つながり」とは無縁の存在も常態となっている。となると、「つながり」を強調すればするほど、「つながっている人」と「つながっていない人」の対立がより顕在化することにはならないだろうか?
 もしかして、「保守」対「リベラル」に替わる対立軸はこれになるのではないのかもしれないな。良し悪しは別として。

 かなり取り留めもなく書き散らしてしまったけれど。三宅氏についていうならば、たしかにかっこいい(笑)。トークの最中、暑くなったのかおもむろに着ているニットを脱いでスタッフに投げるシーンとか超キマっていて、「支持者増えるのも無理ないわー」と実感。こういうひとが政治家になるんだということを間近で感じることができたので、行った甲斐がありました。

ネット選挙とデジタル・デモクラシー
西田 亮介
NHK出版
売り上げランキング: 183,050
三宅洋平の言葉
三宅洋平の言葉

posted with amazlet at 13.12.09
TruNatt編集部
ブルーロータスパブリッシング(インプレス)
売り上げランキング: 2,208