「ライターになりたい」ではやめた方が無難

 安田理央氏のエントリーを拝読したので、ざざっと考えるところを記しておきます。30分で書けるかな?

 ライターになりたいという若者がいたら – ダリブロ 安田理央Blog

 Parsleyの場合、ネットでのお仕事がほとんどだけど、一本1万円以上する案件は月に2~3本というところが平均。一本あたり3000~5000円の案件が多いので、2000字前後の記事を日に3~5本、土日関係なく常にアウトプットしている。この「アウトプットしている」という部分が重要なのだけれど、それはそれとして。で、合間にこのブログとか書き散らしているというわけです。
 それでだいたい月に60~80本ほど出して、月収が約20万円くらいになるよ、という話は以前にもエントリーにした。

 ライターになるために必要なたった1つの資質 Parsleyの「添え物は添え物らしく」
 
 ネットにおいて、1本1万円以上の案件は、専門的な内容に関するコラムか広告案件のどちらかで、前者には継続して活動してきた実績、後者にはメディア関係者とのコネクションが必須になる。どちらも新しく入ってきてすぐに獲得できるようなものではない。
 そして、言うまでもないけれど毎日記事を書き続けるのには多ジャンルに関する知識がないと厳しいし、時には取材するだけのフットワークの軽さも求められる場合もあったりするので、常に時間に追われつつ書いて出さないといけない。
 一方で、書きつつ自分の価値を上げて、「集客力のある書き手」にならないと先々の展開が見込めないのも事実なので、地道に勉強する時間も取らないと詰む可能性が高い。
 というわけで、「ライターになりたい」という学生のひとに対しては、一生懸命に研究に打ち込むのが、回り道に見えるけれど一番の近道だよ、というアドバイスをしています。多くは納得して貰えませんが(笑)。

 Parsleyも「どうやってライターになれるのですか?」という質問をよく受けるようになって、「いやいや自分が知りたいくらいだよ」と思うわけなのだけど(笑)、一ついえるのは、「ライターになりたい」というぼんやりとした願望だけならば、続けていくのは難しいということ。
 例えば「ライターを職業にして生活していきたい」ということであれば、出版社や編集プロダクションに入って3~5年務めて人脈を築いておいた方がいいよ、という話になる。ネットポータルのニュース部門なども、ユーザーの動向を知ることが出来るので悪くないかもしれないけれど、いずれにしても「職業」にするのであれば、メディアの中の空気を体感しておくといろいろ有利だと思うな。
 一方で、何か一つのトピックを伝えていきたい、ということであれば、毎日ブログを書いて、年に一回か二回くらい同人誌即売会で売るミニコミを作るか、kindleなどのダイレクトパブリッシングをはじめてみるといいのでは、ということになる。そのためには「書く」ということだけでなくhtmlやDTP、KDPが自分ひとりでも出来るようにスキルを身につければいい。
 とはいえ、自分のところに相談に来るひとは、そのあたりの志望や将来像を描けていないし、「伝えたい!」という熱意を前面に出すのが苦手な印象が強かった。
 電子書籍をやりたいという話も、コンセンプチャルにこれまで紙では実現できないメディアを作りたい、というのならばともかく、「紙媒体が伸び悩んでいるから電書で」というのでは志低いし、どっちも出来るのに紙とかWebとかを敢えて選択するだけの理由を説明できないのならば、「そのような考え方ではあきらめた方がいい」という以外の適切なアドバイスはないよなぁ、と思ってしまう。

 というわけで、「ライターになりたい」のは、出版メディア業界で生活をしていくだけの収入を得たいのか、それとも何か「伝えたい」というジャンルがあってその手段としてライターをしたいのか、まずはっきりとさせるところからはじめましょう、というお話でした。案外30分でも書けるものですね。

 ついでなので、Parsleyが以前に安田氏と荻上チキ氏の対談をまとめた『日刊サイゾー』の記事をリンク。木っ端ブロガーふぜいでもいろいろなひとに会えたりお話聞けたりするので、お金にならないかもしれなけれどライターというお仕事が楽しいのは間違いないですよ。

参照されないネット「議論」

 家入一真氏のブログエントリーがどこからともなく流れてきたので、ざざっとメモがわりに。

 プロとアマの違いなんてなくなる IEIRINET™

 これ、3月2日の読売新聞の記事で大阪市天王寺区の広報デザイナー募集に対する批判が集まって見直しを与儀なくされたことについて、家入氏が持論を展開されたツイートのまとめなのだけど…なぜ一ヶ月以上たったタイミングでブログエントリーが出てくるのか? リンク先の読売の記事、公開期間終えて読めなくなっているし。

 天王寺区の募集に関しては、区のホームページに掲載された時点で相当な議論が巻き起こり、Parsleyも2回に渡ってエントリーを記している。

 天王寺区広報デザイナー募集で考えたこと Parsleyの「添え物は添え物らしく」
 学生や若手デザイナーは「プロボノ」じゃないよ Parsleyの「添え物は添え物らしく」

 ちなみに天王寺区ではその後、批判を受けてデザイナーとの意見交換を兼ねたワークショップを開催している(参照)。これは両者を隔たりを認識した上で歩み寄っていくという試みは評価される必要があると思うし、ネットでの議論がきっかけとなって行政の意思決定のプロセスに影響を与えた事例の一つとして記録されるべきだろう。

 だから、読売新聞の記事が出た時点で既に周回遅れで、それを家入氏が使いまわしているという構図ということになる。
 Google先生などのおかげで、数分程度集中して検索すれば揉めた背景やどんな意見があったか調べることが可能だけど、その際の「議論」が参照せずに、メディアでの情報をもとに文脈をぶったぎって好き勝手に意見が表明され、同じことを何周も繰り返さなければならないという残念なケースがまた一つ名を連ねた、ということになるかしら。そういったことをそこそこ影響力のある方がやってしまうと徒労感覚えますね。
 このあたりも、前回のエントリーでも触れた、ネットに限らず日本の論壇が成熟できない原因の一部を垣間見ることができるような気がする。

 家入氏のエントリーに限るならば、無報酬と公表されている案件に手がけたとしても「実績」としては認められない可能性が高いので、まず前提が崩れている。「単純な請け負い制作の単価はどんどん下落していく」という現状認識はParsleyも同感だけど、だからといってそれを無批判に受け入れて行政や企業のフリーライドを許してもいい、という話にはなりませんよね、ということになる。
 前から感じていたけれど、家入氏自身の生き方はともかく、事業とかやっているとかおっしゃることはぜんぜんイノベーティブではなく、むしろ現状にアジャストすることに汲々としているように見える。まぁこのあたりは機会があれば別のエントリーにて。

「ブログ論争」から遠く離れて

 なんかタスクがどんどん溜まっていくしアウトプット追いつかないし部屋はどんどんきたなくなっていくしむちゃくちゃストレス溜まってきているParsleyです。皆様いかがお過ごしでしょうか。
 そんなわけで、元切込隊長氏とイケダハヤト氏のトークセッションは行けず、生放送もタイムシフト予約をしたもののまだ未視聴。司会を務められた徳力基彦氏の応援をしたかったのだけど、いろいろなメディアが行くという時点でモチベーションが下がったのも正直なところだ。というか、会場を提供した講談社といい、まとめを随時更新したNAVERといい、こんなしょーもないことにリソース割ける余裕があるのって素晴らしいですね。

 だから、今のところNABERまとめの書き起こしとtwitterのハッシュタグ「#ブログ論争」が流れてくるのを横目にしていただけなんだけれど…。なんか無性にむかつく。ちょーむかつくので、適当に記しておく。

 まず、徳力氏が事前にこんなエントリーをアップしていた。

 金曜日のやまもといちろう×イケダハヤト対談イベントで、あえて真剣に考えてみたい #ブログ論争 の目指すべき姿(tokuriki.com)

 Parsleyも元隊長氏と木村剛氏の喧々諤々のやり取りに固唾を呑んだり、梅田望夫氏のご発言をベースにあれこれ考えたり書いたりしたりするから、徳力氏の感覚はよく分かるし、ブログというメディアに愛を持っている。本格的にブログが普及した2004~2006年には理念的な考えを開張する方から実務家まで全部を取り込むだけの懐の深さがネット空間にはあった。
 だけど、それはあくまで一過性のもので、結局無料で専門的なことや手間のかかるものを出してもインセンティブは充分に確保されないしリスクも多いので、徐々に飽きられてしまったという経緯もある。特に実務の前線にいる方々のアウトプットって本当に目立たなくなった。
 元切込隊長氏はともかく、イケダ氏は理念は未成熟なのにここまでピックアップされていること自体がおかしいと個人的には考えているのだけど、結局のところPVが取れて目立っているというだけでメディアが巻き込めるという時点で、ネットに限らない日本の論壇の残念すぎる現状だといえるんじゃないかしら。
 あと、徳力氏は思い入れからブログでの論争をフューチャーしているけれど、当時のブログでのやり取りが特別生産的だったわけじゃないことははてなでの「オシャレ事変」を紐解けば分かる。
 逆に、2000年前後の2ちゃんねるにも、中には冷静な議論が展開するスレはたくさんあったし、今のtwitterでも一つのトピックでちゃんと対話をしながら議論が進んでいるケースもあって、それがtogetterにまとめられてコンテンツとして機能している。だから、徳力氏のおっしゃることって「あの頃のブログはよかった」という郷愁に過ぎないと思うわけ。
 今回のイベントは、そういった郷愁を持つひとの同窓会的な側面が強くて、それはそれで否定するようなことではないのだけど、それが若い世代にも共感されて継承されるかといえば難しいと言わざるをえない。そもそもブログ辞めているひと多いし。それでクローズドに説教しようって、自分達が過去になりたくないと思っていたおじさんおばさん像そのものだし、自分の意見を表明している若い層からしていればフェアじゃないと感じるんじゃないかな。
 なんというか、みんな気分が若いままの方ばかりだけれど、それなりに年齢を重ねて地位もそれなりに得ているわけで、その振る舞いが変わらないままでいいのかということに直面していると思う。元隊長氏はそのあたり自明的でさすがだなぁと思うわけですが。

 それで。イベント終了後に帰宅しようとするイケダ氏を酒席に連れだそうとする動きがいくつもあったみたいなのだけれど、そういうモヒカンでマッチョな体育会系的男性メソッドがまかり通っているあたり、現代社会の病理の表出だって大げさじゃなく感じちゃうんですよ。Parsleyはイケダ氏を擁護する気持ちは毛ほどもなくて、むしろどう潰そうかいつも妄想しているけれど、年長者としての慮りを態度で示せる大人がいない状況では、イケダ氏みたいな方が登場するのも無理はない。まぁ、だからといって妄言を垂れ流すことが免罪されるわけではありませんが。
 
 あー。なんかほんとうにむーかーつーくー。むかつくけれどとりあえず時間切れなので作業に戻りますが、最後に一言だけ付け加えるならば、自分の責任においててきとうなことを記してもいいブログというメディアは素晴らしいと思います!

『月刊ギャラリー』騒動で考えたこと

 『月刊ギャラリー』はいつも本屋で見かけた時にぱらぱらと立ち読みする程度だったので、「東京都現代美術館が閉鎖する!」という記載があるのを完全に見落としてました。

 MOT STAFFブログ 当館に関する『月刊ギャラリー』の記事について

 これを受けて、『月刊ギャラリー』側が、「エープリルフールネタでしたサーセンwでもマジレスまじカッコわるいんすけどwww」としか読み取れない謝罪を掲載している。

 月刊ギャラリー4月号「評論の眼」名古屋覚の記事に対するお詫び

 「本誌発行日には」(4月1日のこと)とヒントまで書いたのに、世界で楽しまれているエープリルフールのジョークが分からない方々が美術館や文化行政や報道に携わっていたり、美術に関心を持っていたりするらしいこと、また中には実際の記事も読まずにツイッター等の情報をうのみにする方々もいるらしいこと、そしてそれ故、このたびそうした方々をお騒がせしてしまったことは、大変遺憾であります。
 わが国の社会や美術界の特異性を示す現象かもしれません。

 名古屋覚氏は、以前にも新潟市美術館で展示物の管理の問題があった際に東京新聞でコラムを発表しておきながら「一度も足を運んでいない」と告白するなど、お茶目な方だなぁと感じていたのだけれど、ここまでとは思いませんでした。
 J-CASTニュースによれば、都の担当者のコメントとして「あんまりです」とあり、本誌へのお詫びの掲載と再度の抗議を要求しているとのことだが、当然の対応でしょうね。

 東京都現代美術館「閉館騒動」で大混乱 「エイプリルフールでした」に都カンカン J-CASTニュース

 今回の騒動をシンプルにいうならば、雑誌側も名古屋氏もエイプリルフール舐めすぎ。
 例えばWebサイトの場合、ジョークページを作る企画を数ヶ月前から練って動いている。その段階で法的に抵触しないかどうか調べるのはもちろんのこと、誰かに迷惑をかけたり不快にしたりする要素は極力避けるようにしているケースがほとんどだ。あと、平常運転をしているコンテンツもあるから、明らかにネタですと分かるような表記をするようにしているはず。みんな超気をつかっているんですよ。「楽しんでもらう」のに真剣なんです。

 そもそも月刊誌という媒体は発売日当日だけでなく長く店頭に置かれるし、バックナンバーとして後から購入する場合も少なくない。つまり一日限り有効な「嘘」を掲載する媒体として向いていないわけで、いくら「本誌発行日には周知のことになっているだろう」と記載されているからといって、その前段の東京都現代美術館閉館の動きというベタの記載が免罪されることはないだろう。

 そんなこんなで、『月刊ギャラリー』や名古屋氏にしてみればメディアアートのつもりなのかもしれないけれど、こういった「誤報」を出したということで雑誌の信用は相当落ちることになっただろうし、ただでさえ狭いアート業界の外野に対してネガティブな印象を与えたことは後々まで禍根になると思う。まともな編集者ならば名古屋氏の連載を休止する判断を下すだろうけれど。そういった意味で次号が楽しみですね。

「blogかSNSか」は書く量と内容と欲求しだい

 シロクマ先生とか徳力基彦氏とかがブログについて熱く語っていらっしゃるようなのでメモ代わりに。

 ブログがSNSにトラフィックを奪われる時代は終わった。ブログがSNSからトラフィックを集める時代が始まっている。 (シロクマの屑籠)
 ツイッターやFacebookの次はまたブログが流行ると考えて、ブログを今から始めるつもりなら大間違いという話。(tokuriki.com)
 
 Webサービスの流行り廃りはあっても、結局はWebという大枠の中で書くということは変わらない。となると、どこに書くのがより目的に合致、あるいは自分の望みを満たすことができるか、という話になる。
 承認欲求充足系のひとにとってみれば、はてなブックマークのコメント欄は、ブログやニュース記事などにたった100字で注目を浴びられる可能性があるという意味において、費用対効果のよいサービスだった。はてなスターによって他のユーザーからの評価も可視化されているし。
 twitterの場合も140文字という短さで冴えた事を書いて、RTあるいはお気に入りを集めることができるというのははてぶと同じような機能を果たしているといえるが、違うのはオリジナルの発言でも内容次第では相当の拡散が見込めるということだろう。より世界につながっている感が強いというか。

 一方、ある程度のコンテキストを持ってtwitterで連投していくというのは、現状において後日に参照する際に不便がある。そのためにtogetterやNAVERまとめがあるのだけれど、「自分のコンテンツ」として運用していきたいのならば、ブログにまとめておくのが望ましいように思える。
 あと、個人的には一つのサービスにどっぷり浸かるのはリスクが大きいと思うので、そういう意味でも日々のツイートをブログサービスを利用して張りつけておくのはおすすめですね。

 いささかまとまりが悪いけれど。ストック的なものを書くならblogは有力な場所だし、その場その場での反応を得たいという欲求を満たすならばtwitterが適しているし、知り合いに向けた短信ならばFacebookが向いている。流行とかそういうことではなく、各サービスを使いわけるひとはどんどん増えていくし、互いに補完しつつネットなり言論空間なりの生態系が形成されていっているということなのではないかしら。

 と、いうようなことを、ぜんぶぶった切ったLINEというサービスが登場して、世界的に相当数のユーザーを抱えているというのも面白いけれど、それはまた別の機会に。