音楽ビジネスの衰退は音楽の衰退じゃないよ

誰が音楽を殺したか?
誰が音楽を殺したか?

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ダイヤモンド社 (2013-01-28)
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  『週刊ダイヤモンド』1月12日号掲載の特集『誰が音楽を殺したか?』がkindleで100円だったので読んでみました。

 まず、1998年に約6000億円だった日本のCD市場が1/3近くまで減少、100万枚超のシングルは20タイトルだったのが、2011年にはAKB48の5タイトルしか生まれなかったというデータを紹介。その原因として、iTunesをはじめとするダウンロード販売への乗り遅れや、YoutTubeなど動画サイトによる無料コンテンツの増加、若手に育成費を出せなくなったことで大型新人が現れなくなり、中堅ミュージシャンの売り上げの落ち込みが激しいことなどを列挙し、最後に次世代のサービスとしてストリーミングサービスのSpotifyやインターネットラジオのPandoraを紹介している。

 正直なところ、ここで取り上げていることは音楽好きにとっては既知のことばかりだと思うのだけれど。販売店やレコード会社、アーティストに分配するシステムが優れていたCDパッケージに依存しすぎていたために、市場がシュリンクしてしまった際にお金が回らなくなってしまった、というのが身も蓋もない現実というところだろう。
 それで、ライブイベントやグッズ販売、ネットでの音楽配信といった多角的な展開が必要になってくるが、CDに比べて収益性は低くて人手もかかるからなかなかマネタイズできない、という問題が横たわっている。

 レコード会社や販売店、それに音楽メディアにとっては現状がとても厳しいのは言うまでもない。しかし、音楽の作り手にとってみれば、自身で簡単に発信する手段がたくさん存在するので、むしろ豊かな時代なんじゃないかな、と思う。YouTubeやニコニコ動画を観れば毎日いくつもの新しい動画がアップされているし、UstreamでのDJプレイの生放送もいくつもある。
 この特集でも取り上げられたPerfumeやきゃりーぱみゅぱみゅなど、海外でパフォーマンスが通用していることからも分かるように、日本のマスを広いレンジでターゲットにする必要性はアーティスト自身にとってはそれほどないし。世間的には無名のヴィジュアル系バンドが欧州圏や南米で大人気という例もあるから、単にメディアが成功事例を取り上げてないだけなのでは、という印象も持つ。

 確かに、これまでのようなビッグビジネスが誕生することは希少になっていくのだろう。でも、広く薄くファンを獲得することで、アーティスト自身が活動を続けていくのに足るだけの収益を得る可能性は高まっていくのではないか、という楽観要素はいくつもある。
 秋葉原にあるアニソン・ボカロを含めたオタクカルチャーとクラブサウンドを融合させたDJバーMOGRAは、2012年にコンピアルバム『MOGRA MIX』を発表したが、曲のセレクションを担当したDJ WILDPARTYは2013年に入ってからアーティスト向けのクラウドファンディングサイト『picnic』でMIX CD制作のための出資を募ったところ、サイトで発表されて数時間後には目標金額の60万円が集まった(参照)。注目すべきなのはオーダーメイドのMIX制作やオリジナルUSBメモリ、Tシャツがセットになった5万円のコースも人気だったということだ。ファンの満足のいくコミュニケーションとコンテンツを提供するのはアーティストのアイディア次第だということを、彼の例は教えてくれる。

 そんなこんなで。音楽ビジネスに関して厳しい数字が出ているとしても、むしろネットのおかげで音楽は身近になっているから、表現するにしても視聴するにしても楽しめる方法は無数にあるし、音楽好きは悲観する必要なんて微塵もないよ、と強調したいところ。
 業界に向けての視点でいえば、オリコンや販売店の売り上げといった分かりやすい物差しに左右されずに、リスナーの支持があるクリエイターの周辺からシナジーを生んでいく方向を探っていくのがお仕事なのではと思うので、古いコンテンツにぶら下がらずに新しい才能とその周辺にお金を回すようなシステムを構築して欲しいよな、と感じる今日この頃だったりします。

MOGRA MIX EP
MOGRA MIX EP

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Mixed Repertoire (2012-04-04)
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『ノマドと社畜』を読んでみた。

ノマドと社畜 ~ポスト3.11の働き方を真剣に考える
朝日出版社 (2013-01-11)
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 twitterで歯の衣着せぬ発言で注目されているMay_Romaこと谷本真由美女史が、日本におけるノマド・フリーランスを称揚論を批判的に捉え、英国での事例を紹介しつつ労働環境の変化について論じた電子書籍。

 本書で指摘されていることのポイントとして重要なのは、イギリスと日本では労働環境、それもフリーランスに関する社会的な地位や保障などが全く違う、ということ。例えばイギリスにはノマドの組合FCSAがあり、政治に対するロビー活動をするなど社会的な影響力を行使することができるという。また、専門性に長けた高い能力のあるノマドたちの平均年収は43556ポンド(1ポンド=130円換算で約560万円)と高く、場合によっては企業の管理職よりも良い待遇で働いている。
 これは、イギリスをはじめとするユーロ圏が実力本位で、国籍や性別が関係ないという厳しい格差社会だからこそ。思想的背景である個人主義が徹底しているというのも、日本とは全く違う環境だといえる。
 このような競争社会が日本でも取り入れることには是非があるだろうが、グローバリゼーションが進んだ現在では生産性が低い企業や人は容赦なく淘汰されていくだろうから、雇用形態の関係なしに「働く」=「生きる」ための戦術を身につける必要がある、というのがMay_Roma女史の主張になるだろう。

 Parsley個人としても、日本の企業が実力や成果ではなく、社内やチーム内での融和といった要素で評価するケースをいくつも知っているので、英語を身につけて国外を含めたマーケットで勝負すべきというのに頷ける部分は多々ある。一方で、厳しい競争の中で生き残っていけるひとは少数なので、そこに飛び込むのは無謀とも感じる。
 また、学生がインターンとして経験を「買う」という発想は、実家の資産がモロにモノをいう社会で、お金がない家にはよりチャンスが少ない、ということになる。そのことは本書でも紹介されていて、グラマースクールで階級の壁を乗り越えた人が中核となったサッチャー政権が能力主義を推し進めた結果、就職でも経験ベースになってしまったという皮肉な状況になっている。
 これが日本社会で許されるか、といえば、おそらく政治や有権者が認めないだろうなぁ、という感想になる。

 するとより優秀で安価な労働市場に人が流れて、日本企業や社会が衰退するばかりになるよ、というのが本書の裏テーマだと思えるのだけれど、こういった社会にアジャストできる人の方が少数派なので、「自分は世界で戦える!」という自信がある人でないと本当の意味での「ノマド」として働いていくことは難しいだろう。
 
 そんなこんなで。選ばれるだけの能力のある人や、「選ばれたい」と強く願う人にとって、本書は一読の価値がある。フリーランサーの実態やスキルを調べて、契約に関する法律や会計の知識を身につけ、英語を学ぶのもいいだろう。ただ、その努力が報われる保障はないということも踏まえておくべきだと思う。

 内容とは関係ないのだけれど。kindle版だとリンクが本文に張られていてすぐに参照できるし、注釈もすぐに飛べるようになっている。ただ、目次に戻ることができず、各チャプターを参照できないのはやや不便に感じた。そのあたりが改善されるともっとストレスのない「読書」ができるのではないかしら。

さいきんのお仕事

★『DrillSpin Column』にコラム寄稿しました!

 先月、ボカロ曲の紹介をさせて頂いたのに続いて、コラムを寄せさせて頂きました。

 第51回:洋楽ロックが聴かれないのはMVがダサいから? DrillSpin Column(ドリルスピン・コラム)

 MVの嗜好が、アメリカ的な表現とは違った独自の進化を遂げているということを、もっと掘り下げられることはあると思いますので、機会があればやってみようと思います。
 あとは、もっとボカロ曲聴かなきゃですね。

 ★『ガジェット通信』でインタビュー記事を担当しました!

 アルジェリアテロ被害者実名報道事件・本白水智也さんインタビュー「メディアに情報を渡すと、誰にでも起こる問題」 – ガジェット通信

 取材依頼のメールをお送りした翌日にインタビュー・構成をしたので、実質20時間でアップ。内容はやや粗いところがありますが、最大限のリソースを割いたつもりです。この記事をきっかけに、報道手法について議論が深まるといいな、と考えています。

 ★『困ってるズ!』に寄稿しました!

 『シノドス』『わたしのフクシ。』のコラボ企画したメルマガ『困ってるズ!』の1月25日配信号(Vol.22)に、自律神経失調症について寄稿させて頂きました。

 バックナンバー一覧

 こちらのメルマガでは、普段は目に見えにくい病気や障がいを患うひと自身による声が毎号掲載されています。ご関心のある方は是非とも登録してもらいたいと思います。

『Petite jete』に見るmixiがイケてない理由

 mixiが展開するお洋服の定期購入サービス『Petite jete』は、中身が正直微妙なので刺さらないだろうな、と思っていましたが、もう店じまいするとのこと。

 ミクシィ新規事業「Petite jete」半年で終了 「コンセプトが受け入れられなかった」(ITmediaニュース)

 個人的には、提案するコーディネートこそ「う~ん…」と感じていたけれど、サブスクリプションコマースは面白い試みだと注目していただけに残念。これ、もうちょっと上手に展開できたんじゃないかしら。
 サービスがプレオープンした当初からParsleyが疑問だったのは、どうしてmixi本体と連動せず、独立したサイトにしているのか、ということ。
 上記記事では、コンセプトについて下記のように説明している。

 SNS「mixi」と相性が良く、ユーザーの悩みを定期購入で解決できる商材の可能性を探る中、「20代女性向けのオフィスカジュアル」というコンセプトが浮かび上がってきた。
 (略)
 mixi内の広告やリスティング広告、リアルイベントなどプロモーションも展開したが、ユーザーは数百人程度にとどまった。ただ、一度利用したユーザーの継続率は50%を超えていたという。

 mixiのユーザーを明らかにターゲットにしているならば、ページやコミュニティといったSNSのサービスを最大限活用した上で、『Petite jete』というサービス・ブランドのファンを増やして、ユーザー間のコミュニケーションを促進していくようにすべきだったように思える。ユーザーがコーディネートした画像のコンテストや、アイディアのフィードバックなど、出来る企画は私のような木っ端ブロガーでさえいくつも考えつく。いずれにしても、ユーザー同士の可視化ができるポジションにありながらそれをしなかったのはもったいなさすぎる。
 担当者の方は「コンセプトが刺さらなかった」としているけれど、むしろメディア展開とブランディング、そして目標設定を間違えたところの方が「なんでこうなっちゃったの」という原因なのではないかしら。ファッションに限らずコンテンツビジネスで「mixiやFind Job!に匹敵するようなサービス」だなんて無理ゲーすぎる。

 あと。「ファッションECサイトに寄せていけば売れるかもしれないが、それをミクシィがやる必要があるのかと考えると疑問がわき、続けないという判断をした」とあるけれど、ならばmixiモールはどうなんだという話になる。Facebookなど他のソーシャルメディアと差別化していくには物販に自ら乗り出すか、どこかのECサイトとの連携を強化していくことでシナジーを起こしていくことは有力な選択肢なのでは、と思うのだけれど。
 そういえば2012年5月に売却話が出た時に、永江一石氏が「ZOZOTOWNと駆け落ちしちゃいなさい!」と提案していたなぁ…。(参照

 とにかく。最大の資産であるユーザー、特に若い女性に対して、コンテンツを軸にファンビジネスを展開して行くという芽を自ら潰した判断は性急に過ぎるような印象を受ける。
 また、サービスを立ち上げたがいいが半年も経たずに終了ということでは、ユーザーも失望する。Amazonも黒字化するまで数年間を要しているように、物販で収益化するのはある程度の時間が必要で、ファッションに限らず音楽や書籍といったコミュニティとの親和性の高いジャンルでも同じことがいえる。これではユーザー離れがさらに加速していくだろうね。

 まぁmixiがイケていないのは、最大の資産であるユーザーを活かすようなサービス企画と展開をするような体制になっていないし人材もいなさげなところだというのが外野からも分かってしまった『Petite jete』の顛末だった。
 しかし、あのラインナップで20代女性向けのオフィスカジュアルの悩みが解決できるなんて、ないわ~。そもそも「オフィスカジュアル」という言葉自体、スーツ以外の選択肢がなかった男性が、クールビズの普及に伴っていかにビジネスユースでも失礼がない着こなしが出来るのかという概念なのだけれどね。どのようなリサーチをしていたのか、ファッション業界の関係者からのヒアリングをどうしていたのか、どうしてああなっちゃったのか、気になるところではあるなぁ。
 

アルジェリアテロ報道に見るメディア業界の非常識

 アルジェリアのイスラム過激派によるテロによって、日本人をはじめとする多くの犠牲者が出た。亡くなられた皆様すべての魂が安らかに眠られることを。

 今回、被害にあった日揮株式会社の社員・関係者の実名は公表されなかった。菅官房長官の会見によると、日揮側の意向とのこと。ご親族のプライバシーをなによりも優先される対応は非の打ち所がないように感じた。
 しかし、記者会見での各新聞社からの質問では、実名の公表に関するものが殺到したし、twitterでも「公表すべき」とする新聞関係者が複数現れた。

 「人質犠牲者の実名は非公表」を支持する遺族–一方で「弔いのために」公開せよという記者も(NAVERまとめ)
 
 まず前提として、今回の紛争は解決に至っておらず、北アフリカをはじめとするイスラム圏で誘拐・拉致監禁といった事件が続いて起こる可能性が高いということを踏まえておく必要があるだろう。日揮の従業員を狙い撃ちにされる危険もあるだろう。そんな中でメディアが報じられるということに慎重を期すのは政府としても会社側としても当然の危機管理だ。

 記者サイドからは、実名報道の理由として、「何よりの弔いになる」「事件を公的なものとして歴史に刻むため」といったことが挙げられていた。確かに後日に事件の全容を明らかにする中で、親族の同意があった上で公表することもできるかもしれない。しかしながら、それがストレートニュースでやる必要があるのか。ご本人や遺族のプライバシーを脅かしてまでマスに知らせる必要がある情報なのか。この二点には疑問を挟まざるを得ない。
 事件報道では、被害関係者のもとに各社の記者が押しかけるメディアスクラムが問題視されるようになっている。本来の報道の目的ではなく、記者やメディア同士のスクープ合戦で、社内や業界内での地位の向上のため、ネタを嗅ぎまわっているという疑念は深刻だし、それを払拭するだけの理論構築が「報道の自由」に拠った薄弱なものしか出てきていないのが、疑念をさらに補強していっている。
 長くなるので指摘する程度に留めるが、被害関係者の名前は実名で報道されるケースが多い一方で、被疑者側の権利やプライバシーが守られるようになりつつあるのもバランスを欠いている印象を多くの読者に与えている。今や二重三重になった不信感に対して、中のひとたちはもっと敏感になった方がいいと思うなぁ…。

 アルジェリアをはじめとする北アフリカに関しての情報が少ないのは、各国政府をはじめとする当事者からの発表をただ待つだけのメディアばかりだということにも起因するだろう。多くの読者が求めているのは、現地情勢やテログループの動向なので、被害関係者の実名を探っている暇があるならばさっさと現地に記者を派遣しろ、という話になるのではないか。人を送るのが無理ならば、現地メディアの情報をあたるなり、専門家のインタビューを行うなり、やれそうなことがたくさんあるはず。それが出来ないのならば、そのメディアや中の人は実力不足と判断されても仕方がない。

 いずれにしても。被害関係者の実名報道問題は「これまでそうしてきたから」という慣例やメディアの中でのパワーゲームが透けて見えて、少なくない読者を白けさせている結果になっている。取材対象者からも読者からも求められていない情報を、それでも出さなければいけない理由が説明できない以上は、黙って信頼回復に務めた方が建設的だと思うのはParsleyくらいなのかしらね。

 ちなみに。メディアスクラムについては鶴岡憲一氏のご著書が詳しいので、ご興味のある方はぜひ。

メディアスクラム―集団的過熱取材と報道の自由
鶴岡 憲一
花伝社
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『MEDIA MAKERS』を読んで考えたこと

MEDIA MAKERS―社会が動く「影響力」の正体 (宣伝会議)
宣伝会議 (2012-12-19)
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 『R25』など数々のメディアの仕掛け人で現在はNHN Japanの執行役員である田端信太郎氏の単著。書籍が1680円のところkindle版だと900円だったので、こちらを購入してみた。
 ここで触れている「メディア」とは、出版やネットにおけるコンテンツ・ビジネスといった分野についても書かれているがそれだけに留まらない。「伝達」という手段、という意味において、例えばTシャツに書かれたメッセージは、それを作った人と着る人、そして観る人が揃うと立派にメディアとして機能しうる。
 そのような前提のもと、影響力を最大化していくのが田端氏のいうところの「メディア野郎」ということになるだろう。メディアという観察者なしには世界は立ち上がらないし成長しないというくだりに、彼の矜持が見え隠れしていて、いち書き手として共感する。
 
 「個人がメディア化する」というとピンとこないひとが多いかもしれないから、これを「ブランド化する」と言い換えてもいいだろう。テキストや写真・動画などのコンテンツを発信していくことはもちろんのこと、情報をピックアップすることで、自分が好きなものや考え方を発信する。それを公開の場で行うことにより、第三者の注目を集めてキャラ化されることにより、ブログやtwitterやFacebookのタイムラインが、あたかもその人が編集した雑誌やテレビ番組のように機能していく。コンテンツのクオリティーが高く、それが多くのひとに支持されるようになると、ブランドとなって支持されるという循環構造になるわけだ。
 本書でも有料メルマガなどの個人型メディアについて一章を設けて解説しているが、現状のマネタイズの手法に関係なく、何らかの影響を社会に与えようとするならば個人のメディア化=ブランド化は避けて通ることは出来ないだろう。

 また、新聞・雑誌などのオールドメディアが退潮に向かっているのは、書き手や編集者の「キャラ化」が充分でないのが一因であるということもやんわりと指摘されている。逆にいえば、出版を含めたメディアビジネスに関わっているひとで、個人としての色を打ち出せないと退場を余儀なくされるということにも繋がるように思える。
 ブロガーやライター、あるいは編集者やディレクター・プロデューサーとしても、「そのひとが関わっているから読む」というファンを増やしていくことが、関わるメディアにも相乗効果を与えていくというのが望ましい形。そのためには、常に質の高い記事やデザインを提供し続けなければいけないことはいうまでもない。

 一方で、田端氏は再三に渡って「受け手こそが王様」と強調する。ユーザー・読者へ、いかに有益な情報を提供できるのかという姿勢は、どんな立場になったとしても忘れてちゃだめだよね、と私も思う。また、これはメディア関係者だけでなくビジネス全般に通底する鉄則だし、それを失っているからオールドメディアは衰退傾向なんだろうなぁ、という感想をもった。
 
 他にも、実際に広告収入型のメディアの収益計算の方法や、テクノロジーに対するメディアへの影響といったトピックにも言及されており、出版やサイト運営といった生業をする人の教科書的な位置づけが出来そう。あとは田端氏のエッセンスをどのように読む側が咀嚼して生かしていくかが問われているのではないかしら。

 そんなこんなで、Parsleyも2013年はもっと自分をメディア化する戦略を真剣に考えなければいけないという気持ちを新たにした次第です。
 

読者の側に立たない書き手やメディアは先がない

 イケダハヤト氏の『年収150万円で僕らは自由に生きていく』のページをめくるたびに「うわぁ…」という感じだったのですが、それ以上に「うわぁ」というエントリーをお書きになられていたので。

 ダメ出しは公衆の面前ではなく、裏でこっそりやりましょう(ihayato.書店)

 イケダ氏によると、アプリを紹介する際に「ダメだしは、どれだけ書きたくなっても口をつぐむことにしています」とのこと。その上で、アプリの開発者に気になったことをこっそりとFacebookでメッセージを送るそうだ。
 えーと。これって、書き手やメディアがやってはいけないことなんですよ。

 紙・ネットといった媒体に関わらず、また有料・無料という形態を問わず、どのメディアもまず考えるべきなのは、「読者に有益な情報を提供すること」。良い部分だけでなく、難点があればそれを伝えるのがレビュアーとして取るべき態度だろう。
 もしほんとうに、エントリーでピックアップしておきながら、ウィークポイントには触れずに裏でそれを伝えるということをしているのだとするならば、インサイドの利益ばかり考えて読者をないがしろにしている行為なので、にわかには信じがたいのだけれど…。ちょっとショックすぎるわ。
 このようなエントリーを世に出したことで、イケダ氏はご自身がこれまで紹介してきた記事ぜんぶが、難点を取り上げずに太鼓持ちをしたものだと捉えられても仕方がない。それがメディアとしての信頼を損なうことになるって気づいていらっしゃらないのかしら。

 100万歩くらい譲って、公開の場で「ダメ出し」をすることがイノベーションを阻害するのだとしても、アプリなりサービスなりの開発者・運営者のプライドを忖度する理由はユーザー側にはない。仮にレビューで指摘されなかったとしても、イケていないところは使うひとには分かってしまうのだから、イケていないところに触れなかったレビューもまたイケてないということになる。
 いずれにしても、優秀な人材ならば、指摘の意図や政治的なパワーゲームの有無を勘ぐることなどせずにサービスの改善に努めるだろう。逆にいえば、レビューにいちいち反感を覚えるようなひとが作るサービスは長続きできない可能性が高い。読者・ユーザーの側からすると、公開の場で批判的なレビューを加えることは、どちらに転んでも悪いことにはならない。

 おそらく多くの方はイケダ氏のエントリーに呆れてスルーしているのだろうけれど。ネットの書き手のクオリティーを疑われるような言説がまかり通るのは我慢できないので、敢えて取り上げた次第。
 インサイダーの側に立って、読者やユーザーの側に立たない書き手やメディアには未来がないよ。イケダ氏は社会への復讐という自己実現のためにブログを書き続けていくのだとすれば、近いうちに己をその業火で焼くことになるだろうね。

朝日新聞『ビリオメディア』はどうすべきだったのか

 朝日新聞が「10億(ビリオン)を超える人たちがソーシャルメディアで発信する世界」のことを『ビリオメディア』とはやりそうもないネーミングで定義した特集が組まれていることを、ふーんと思いながら横目で見ているうちに、「そんな餌に俺様が釣られクマー」という記事が出てきたことをざざっとメモしておく。

 市役所がツイート監視 きっかけは被災がれき(朝日新聞デジタル)

 内容は、北九州市が東日本大震災で発生した石巻市のがれき受け入れをきっかけにtwitterなどを民間会社に委託し収集している、というもの。がれき受け入れ反対運動を取材しているという「ジャーナリスト」の「市役所に見られていると思うと、萎縮してしまう」というコメントが入っているところが微苦笑ポイント。いずれにしても、ネット上でのオープンなツイートなどを集めることに違法性はまったくないし、「監視」というのはダウトすぎる。

 普段ならば、「はいはい朝日朝日」という感じで流されたのではないかと思うのだが、今回の場合はふるまいよしこ女史に捕捉され、メディア関係者の多くに広まり、顰蹙を買うことになってしまった。

 130106 朝日新聞特集「ビリオメディア」への個人的感想(Togetter)

 それに対して、取材・執筆を担当した竹下隆一郎氏が「ツイートの体系的な収集にはどのような透明性が求められているのか」という後記がアップされ、結果的に恥を上塗りするばかりか、特集自体のクオリティへの疑念が深まることになった。

 〈取材後記〉収集された市民の声、求められる透明性(朝日新聞デジタル)

 竹下氏自身も朝日新聞も、メディア関係者からの疑念の声をフィードバックせず、行政批判のトーンの濃い記事をネット上に掲載するという重さを考えた方がいいのではないか、と思う。メディアリテラシーの高い読者ならば、竹下記者よりも中華圏からクオリティーの高い情報を発信し続けているふるまい女史の方が信頼が厚い。彼女とのやり取りを、少なくないネットユーザーがやりとりを見ているという意識が少しでもあれば、疑問の上がった「監視」という言葉の意図について触れずには済まなかっただろう。
 そういったコール&レスポンスが行われていて、ダイレクトに応えていく、ということはメディアが信頼されるためには必須のことなのだけれど、今回それを怠ったということが高くつくことになるはずだ。

 そもそも、この記事は北区州市役所をヒールにして、情報を集めて言論弾圧の恐れがあるというストーリーがはじめからあったとしか思えない。そして、その筋書きは的外れすぎる。twitterならば完全実名制ではなくユーザー情報の開示は行っていないのだし、キーワードを収集したものを戸籍と紐付けたデータなんて常識的に考えて使い物にならないだろう。もちろん、ネットでの発言はすべてオープンになっているものなので、いつでも誰でも検索することが可能だということは言うまでもない。
 一昔前ならば「行政vs市民」という図式が喜ばれたのかもしれないが、現在はいかに政府や行政に市民がコミットして社会に貢献するのか、ということにより関心が向きつつある。その一つの取り組みがオープンガバメントなのだけれど、竹下氏や朝日新聞によると「ビッグデータの管理の透明性」が求められるらしい。データを「管理」しなければならないということだとしたら、データのAPI公開など不可能だから、朝日新聞はオープンガバメントという政策に反対というようにも受け取られそう。それってめちゃくちゃ前時代的な反動勢力ってことになるんだけれど、それでいいのかしら?

 ネットに明るくなく、従来の感覚で否定的なトーンの記事を書いて失敗した例としては、毎日新聞の2007年の新春企画『ネット君臨』が匿名による誹謗中傷を抑えるために規制を検討すべきといった論調を出して大顰蹙を買ったことが思い出されるが(拙エントリー参照)、今回の『ビリオネア』の場合は記者がうまくソーシャルメディアを使いこなすことができずに、失笑を買うという事態に過ぎず、小波感が拭えない。多くのネットユーザーはこのような特集の存在自体知らないのではないだろうか。
 ならば、よりクオリティーが高く、なおかつオピニオンとしても読者を巻き込めるような仕組みをチャレンジすれば、ちょっとは注目された可能性があるのに、そういった発想を採用できなかったところにオールドメディアとしての限界があるように思える。潜在的な読者に届かず、質の低い記事でメディアとしての価値をも下げてしまったあたりも含めて、リテラシーのないひとがtwitterをやらせると当人だけでなく全体がやけどするといういい事例になったのではないかなぁ。

 まぁ、たかだかツイートを開始して半年ちょっとの新聞記者が、twitterについて教えられることなどほとんどないと思いますけれどねぇ…。(参照

30年後に「老後」はやってこない

 日経新聞のニュースのメールで送られてきたタイトルに釣られたのでメモ。

 20代から考える「30年計画」の必要性 :20代から始める バラ色老後のデザイン術(日本経済新聞)

 記事では、お金のやりくりについて「ためてから、買う」が原則であり、「準備できずに借金して購入した場合、利息をつけて将来返さなければならない」のがルールであるため、年金生活に入った以降に収入源が減ると借金することが不可能になると強調し、老後に困らないように「30年計画(ロードマップ)」を作る必要性を喚起している。まぁ、借金の考え方は忘れがちだけれど絶対に踏まえておかなければならない鉄則だし、何事も計画を立てるに越したことはないだろう。

 とはいえ。この記事は今の社会経済が維持されて「老後」というものが誰にも訪れるという前提のもと成り立っている。これ、2012年現在で考えても相当崩れているように思えるのだけど。
 定年退職したはずの60代が嘱託職員などで元の企業に残り続けているケースは多いし、年金だけで生活できないからなんらかの形で働き続けている。ファーストフード店のカウンターに立つ高齢労働者の数も目に見えて増えた。統計でも61歳での就業率は7割超だし、不動産業、建設業、教育業、サービス業では60歳以上の労働者全体の割合で10%を超えている。「生涯現役」を望む声も3割に達している。終身雇用が維持され定年までに資産形成する機会に恵まれていたはずの団塊世代でさえ、「働く」ことをやめていないのだ。

 引退をして悠々自適に暮らすといった生活が実現できるのは、現状でも少数派。まして、雇用が流動化した上に社会保障制度がどれだけ維持されるのか怪しい20~30代の世代にとって、資産形成が出来るというひとの方はラッキーの部類に入るのではないか。数ヶ月先の仕事が不安定なようではロードマップどころではない。

 個人的には、「老後」のための「資金準備」というよりも、失業や大病などの「有事」の時のために自由に使えるお金をいかにプールするのか、ということが今の若い層には求められているように思える。証券や保険、定期預金といったものに回すくらいなら、いつでもどこでも下ろせる現金をいくら用意できるのかで自由と安心が担保される傾向が強まっていくのではないだろうか。

 ファイナンシャルプランナーの花輪陽子女史によると、節約するのは保険・住居費・自動車・教育費という大きな固定費を減らすことがお金を貯めるコツだということ。特に保険関連は「30年計画」のつもりで知らず知らずのうちに複数入っているというひとも多いだろうから、一度見直してみてもいいかもね。

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「脱原発」に見るリベラル勢力の限界

 あけましておめでとうございます。
 2013年もどうぞよしなにお願いいたします。

 さて。2012年の衆院選では、自民党が294議席を獲得して圧勝したのと同時に、社民党・共産党・未来の党といった左派リベラル政党が軒並み議席を減らし、大きく後退したことでも歴史に残る選挙となった。この結果は日本の右傾化と見るよりも、現存するリベラル側の政治家が有権者のオーダーに応えることが出来なくなっていることが原因と思われるので、おもちを食べつつまとめてみたい。

 ●安易すぎた「脱原発」

 今回の選挙では福島第一原子力発電所の事故をきっかけに広がった「脱原発」が争点のひとつとされた。中でも未来の党は「卒原発」というキーワードを使い、坂本龍一氏や茂木健太郎氏や鳥越俊太郎氏といった文化人の推薦の言葉を頂戴し、全面に押し出して戦った。だが、蓋を開けてみると改選前の61議席から9議席へと激減してしまった。
 確かに、東日本大震災以降に霞ヶ関で連日のようにデモが開催されるなど、「脱原発」は一見すると国民的な総意があるような印象を与えていた。ネットでもtiwtterを中心に嫌原発の声が大きいように見えたかもしれない。
 しかし、実のところ電力エネルギー政策はデリケートな課題だ。もともと、原子力はクリーンなエネルギーとして、化石燃料発電に替わる存在だった。温暖化対策といった地球環境政策において、火力発電が9割近くを占めるという現状はぶっちゃけありえない。そして、公害対策や地球環境政策の推進をうたってきたのがリベラル各政党だったということも忘れてはならない。
 さらに、電力の安定共有が経済産業面でも必須だし、ライフラインが止まる際のリスクは東日本大震災後の計画停電で多くのひとが身にしみた。冷蔵庫が止まると飲食店は大打撃だし、病院施設や介護施設では患者・入所者の生死に関わる。電気が使えないということは、「ちょっと我慢すれば済む」という問題ではないのだ。
 個人的には、政治家はもちろんのこと、マスメディアやリベラル文化人は総じて、動員されたデモやネットでの目立つ声を拾って、あたかも「脱原発」が「民意」であるような誤謬を犯したのではないか、という印象を持っている。
 
 ●置き去りにされた子育て政策

 1992年に国民生活白書にはじめて「少子化」という言葉が使われてから既に20年過ぎているが、その間に日本の政治は決定的な処方箋を示すことができないでいる。
 民主党政権では、「こども手当」として0歳から15歳までの子供の扶養者に月に一律13000円が支給されることになった。しかし、これも東日本大震災の復興予算に充当するために、2009年以前の児童手当に戻されてしまった。また、鳩山・菅・野田内閣で、少子化担当大臣は9名も就いていて、継続的な政策を示すことができないばかりか、その取り組みが行われているのかどうかも怪しい状態だった。
 とはいえ、少子化や子育て政策については女性を中心に関心が高い。仕事をしながら育児をしたいという層に対しては、慢性的に不足している保育所の拡充が不可欠だし、出生率のアップするためには非婚化・晩婚化している社会を変えるための法整備が必要になってくるだろう。
 そういった層に対して、既存の政党は答えを提示出来ていない。特にリベラル諸政党は具体的かつ実現可能性の高い方策を盛り込めなかったというのが、総選挙での大きな敗因だったのではないだろうか。
 
 ●サイレントマジョリティが見えないリベラルは価値がない

 少子化対策・子育てのほかにも、「ブラック企業」という言葉に示されるような労働基準法から逸脱した環境の会社が増えていることなど、社会問題は多様化している。本来であればリベラル勢力の役割は増しているはずなのにそうはなっていないのは、労働組合をはじめとする特定の団体「だけ」を代弁する存在と多くのひとにみなされて、失望を買っているという面が大きい。
 一方で、賃金に見合わない超過勤務を強いられている層は、政治とのチャンネルを見つけられずにいる。これはリベラル政治家や文化人が、理想が先立って現実的でないスローガンを掲げることに対して絶望しているという側面もあると思う。総選挙での投票率の低下は、リベラル勢力に対するダメ出しだったのではないだろうか。
 しかし、未来の党は内ゲバの末崩壊しつつあるし、社民党・共産党は指導部の交代はおろか選挙の総括すら表に出てこない。このような状況では、支持を取り戻すのは無理な話だろう。
 個人的には、「脱原発」に踊った政治家や文化人は決定的に政治センスがないので、早く表舞台からは退いて後進に譲ってもらいたいなぁと思う。また、新聞・雑誌といったメディアも、政権や官僚批判はおなかいっぱいという層がサイレントマジョリティだといい加減に気づいた方がいい。というか、声なき声を拾えないリベラル勢力には価値がないので、出来ないのであればさっさと潰れてもらいたいというのが、彼らが「ネトウヨ」と蔑むものの正体だと思うのだけれどね。

 そんなこんなで。「脱原発」なんて国民の総意でもなんでもないということが示されたという現実が見据えられないリベラル勢力の限界が明らかになった2012年だった。2013年には、より受信感度の高いリベラル勢力が台頭が求められているんじゃないかなと思いつつ、まぁあまり期待できないよな、と感じつつ、もう一個おもちを焼きたいのでこの辺で。