非実在な「評価経済社会」の真実

 皆さん、「評価」してますか? Parsleyです!

 なんだか最近になって、岡田斗司夫氏の「評価経済社会」について語っている方々が多いみたい。
 個人的には、為替市場や株式市場などによる金融資本主義に対する懐疑もしくはアンチテーゼとして、「評価経済社会」というキーワードを岡田氏が「発明」した、という認識でいる。逆に言えば、内実は驚くほどない言葉で、さも「評価経済社会」という概念が存在しているような前提のもと議論が行われていることに、とてもびっくりしている次第。

 時間軸を確認すると、岡田氏の著書『評価経済社会』が2011年2月に刊行された。その後しばらく世間的には震災もあって等閑にされていたけれど、2011年終盤にいろいろなメディアが取り上げはじめた。そして、『週刊エコノミスト』に岡田氏のインタビューが掲載、それをブログに全文書き起こしを公開した(参照)のをきっかけに、ネット界隈で皆取り上げ出したという感じ。

 そして、「評価社会経済」について、クリティカルな疑義を示したのが、コンデナスト・デジタルの田端信太郎氏。 

 『評価経済だって?貨幣の「互換性」を甘く見るな、と。』(TABLOG)

 それに岡田氏は、「視点は良いけど、視力が足りない気がする」とツイート(参照)。その後、いくつかのやり取りの後、「対談したい」という話に。そうしたら、BLOGOS編集部が対談の機会を用意するとツイート(参照)。そして、岡田氏が運営するSNSクラウドシティ内で詳細を詰めることになった模様(参照)。
 いやー。BLOGOS編集部田野氏は、月額1万円、年間12万円年間1万円の市民権を払ってクラウドシティ入会したのかしら。したんだろうなぁ。

 ※取材目的で「市民」になるのは無料だそうです。

 株式会社クラウドシティは、岡田氏の個人事務所である株式会社オタキングの子会社扱いなのだけど、数百人「市民」や100名ほどのオタキングex「社員」から徴収した数千万円をどのように「運用」してどのように税法的に処理しているのかなぁ、と思うのですが、本題からずれるので割愛。

 それで。まず「経済」を「資源・財の生産と分配・消費」と定義すると、「評価経済」ではどのようなサイクルのシステムなのか、実のところ明確ではない。当然だけれど「評価」をレーティングする組織など存在しようがないし、「評価」に対してどのような「評価」のリターンがあるのか、循環構造が一切説明されていない。だから、福澤諭吉が訳した経世済民という文脈での「経済」ではない、ということになる。あ、いちおう付け加えると、オタキングexやクラウドシティは岡田氏の著作や講演活動以外の「生産物」を未だ世に送り出していません。
 そして、冷静に考えると、社長(岡田氏)の給料を「社員」が払うというオタキングexや、「市民」が会費を払うクラウドシティは、どちらかといえば「お布施」に近い。宗教法人における教祖の位置に岡田氏があって、信者に対して「お言葉」を与えたり自著を購入させたりしているという方が理解が早いだろう。
 岡田氏のFREEexでは、あたかも貨幣に替わる存在として「評価」があるように議論されているけれど、そのインセンティブは「信者⇒教祖」という流れで一方通行なわけで、これって経済システムじゃなくないか、という疑問を挟まざるをえない。というか、斬新なシステムでもなんでもなくてむしろ旧態依然の構造では?
 そもそも、岡田氏は信者…もとい「社員」「市民」の皆様から金銭を授受されているわけで、ぜんぜん貨幣経済から自由になっていない。
 で、信者…もとい「社員」「市民」の皆様は、生計立てたり資産を切り崩すのにあたり、貨幣経済の中で切り盛りしているのだから、「評価経済」の前提からして崩れていませんか、という話になる。
 信者…もとい「社員」「市民」の皆様が、労働の対価である貨幣をどう使うのかは当然ながら自由意志だけれど、この構造を的確に表現する日本語を探してみると、「搾取」しか見当たらない。

 以上のことを鑑みると、少なくとも岡田氏のご活動に限っていえば、「評価経済社会」は非実在だということが明白だ。これをまじめに議論する価値があるとは、個人的にはあまり思えないのだけど、皆様には何かきっとあるんでしょうねぇ。

 ついでに例を挙げると。Parsleyが『輪るピングドラム』について批評したエントリーはBLOGOSに掲載されているものも含めると1万アクセスを超えていて、ツイートは1200以上されている。さらには親切な方が中国語に訳してくれたものが相当読まれている模様。つまり、コンテンツとしてそれなりの「評価」の数字は出ている。特別に知名度なくて、媒体としてのプッシュもあまりない中では、上出来といえると思う。
 でも、アニメ関連のお仕事の話はこれまでのところまったく来てませんね~。
 これって、「評価」が「流通」していない、もしくは「評価」のシステムが存在しないということの何よりの証左だと思うのだけど、いかがなもんでしょう?

 というわけで、もし田端氏との対談が実現するのだとすれば、「評価経済社会」の実践者である岡田氏の「活動」の細部についてぜひ突いてもらいたいなぁ、と思うところなんだけれど。実は存在しない概念についてご関心はあっても、実態については皆様それほどご興味がないご様子だし、岡田氏も頭の回転の早い方なのでご自分に不利になるようなことはしないだろうし。なんというか、まぁいいや。

<追記>2012/4/22 14:00 記

コメント欄のご指摘を受けて一部訂正、追記いたしました。

「セルフブランディング」は女性しか通用しない理由

 最近、TBSの『情熱大陸』に出演されたこともあって、安藤美冬女史に注目が集まっているようなので、Parsleyもいっちょかみしてみようと思う。

 実は、ノマドワーキングを実践しているひとは、wifiが整備されだした2008年頃よりフリーランス編集者・ライターやWeb製作者・プログラマーを中心に東京では増えている。にもかかわず、このタイミングで安藤女史が「ノマドワーカー」として注目された、という事実は注目に値する。簡単にいえば、彼女が女性だから、『情熱大陸』でも出演できた、ということだとジャッジせざるをえないんですよね。
 彼女の講演内容や専門領域は、ノマドの他はソーシャルメディア活用のセルフブランディング術。これに関しては、勝間和代女史が『目立つ力』といった著書などで再三ネット活用で人生を思い通りにする、といったテーマを取り上げている。また、最近では自由大学のセルフメディア学を担当している村上萌女史も、ブログやtwitter、facebbokの活用による自己プロデュースをテーマに活動している。
 ここで重要なのは、「セルフブランディング」「セルフプロデュース」といったことを推奨して講演を実施している方々のほとんどが女性だということだ。

 ぶっちゃけると、「セルフブランディング」や「セルフプロデュース」の効果は、男性よりも女性の方がはるかに大きく、よりフリーランスとしての活動がしやすい。特にメディアとか、講演とか、オモテに出るお仕事はその傾向が強くなっている。
 理由は簡単で、女性は同性からの共感を得られるし異性(男性)からは興味…言葉を飾るのをやめると好奇の視線を得られる(そもそも一般的に男性は女性に甘い)のに対して、男性はそれまでの「経歴」「実績」による評価しかされないから。つまり、個人として活動するのにあたって女性の方がマーケットが広いので、クライアントもお仕事を頼みやすいわけですよ。
 だから、仮に同じ経歴・能力の男女がいたとして、どちらにお仕事をしてもらうか、ということになれば、女性の方を選ぶ、ということになるわけ。
 これはコンテンツ業界でも同じで、文筆にしろ絵画・イラストにしろ音楽にしろ、男性はコンテンツの質が圧倒的でないと注目されないけれど、女性の場合、「書いている」「描いている」「歌っている」ということそれ自体で注目されたりもする。またネットによってコミュニティが可視化されて市場のパイが大きいということが分かるので、ますます今後、クリエイターの「性別」という属性が作用するようになるだろう。

 安藤女史の場合、慶応⇒集英社という「経歴」で、「すご~い」みたいに感じるひとが多いはず。でも男性の場合は、会社での仕事の内容、具体的にいえば担当プロジェクトのポジションとか、業務の実績とか、マネージャーやコーチングの経験とか、「経歴」に加えて「実績」や「経験値」を、同性(男性)も異性(女性)も評価の基準にしている。だから、著書を書いたり講演したり、そういうことをするのに対して男性の方がハードル高くなっている。
 こう書くと、例えばイケダハヤト氏はどうなんだ、というツッコミが入りそうだけれど、彼の仕事に関しては特に広告業界の(同性の)方々から批判多いし、社会人としての「実績」はどうなんだ、ということが問題にされているように思える。彼が仮に女性だったなら、あそこまで激しいバッシングは受けないような気がするんだよね。そして今よりもお仕事は明らかに多くて『情熱大陸』からも声かかるだろうなぁと思う。

 極論すると、自身をキャラクター化してコンテンツとして売っていくのにあたって、現在の日本においては女性の方が男性よりも遥かに有利な位置にいる。だから、女性は安藤女史のような生き方を実践してそれなりに成功を収めることも可能なように思える。
 だが、男性の場合は、ブログやtwitterなどで頑張って「セルフブランディング」にいそしんだとしても、リソースを割いた分だけのリターンがあるかは怪しいし、ましてや独立するのは相当難しい。
 こんなこと書くと、まるで女性差別者みたいに聞こえるのでほんとうにイヤなのだけれど、これが社会の実態だということはまぎれもない事実だ。

 そして、安藤女史にしても、ここ一年くらいは「セルフブランディング」の伝道師として活動することが出来るかもしれないけれど、早晩彼女自身が「何をするのか」「何をしたいのか」ということを問われる時が来るはずだ。そこで彼女なりの社会へのヴィジョンが示せるかどうかで、勝間女史に近いポジションへとステップアップできるのか、それともフェードアウトしてしまうのかの岐路に立たされるのではないかしら。
 まぁ、ご活動やご発言を見る限りでは、とても勉強熱心な方にお見受けするし、先々のことも考えていらっしゃるように見えるので、期待はしていますけれどね。

 そんな感じなので、女性はどんどん既存の組織から飛び出して「セルフブランディング」駆使して自分の夢を実現すべく人生をプランニングしていけばいいと思う。
 一方で男性は、彼女たちの成功を参考にしようとしても、ジェンダーバイアスの壁に必ず当たるので、地道に実績を積み上げつつ、試行錯誤しながら経験を貯める努力をしつつ、それを時折ネットなどで少しだけ開帳しながら、慎重にキャリアを設計していかなければならないんだろうなぁ。