記事のお値段について考える

 主にネット媒体で、もの書き仕事を頂いていたりするParsleyだけど、よく紙媒体に比べてネットは記事あたりの単価が低い、という話になる。
 ネットでのライターといっても、媒体によってピンからキリまである。
 例えば、nanapiの「在宅ライター」だと、記事あたり200~500円相当というお値段。(参照
 アドネットワークやGoogleアドセンスなどアフィリエイトバナーなどが主な収入源のニュースサイトならば、数千円というお値段になる。ポータルサイトや、プロバイダーのサイトのコンテンツになると、ユーザーの滞在時間を延ばすことが目的の一つになるので、やや高め、でも諭吉さんには届かないぐらいのお値段。
 それが、自社媒体の宣伝が目的である新聞社や出版社の運営するサイトだったり、有料メディアへの誘引が目的の一つとしてあるサイトだと、10000円を越えたお値段が提示されたりする。

 もちろん、各運営会社には編集部があって、抱えている人員や、サイト運営のコストなども勘案すると、だいたい1文字あたり10円、もしくは1PV=1円(24時間以内)というのが妥当な金額なんじゃないかなぁ、と個人的には考えている。それじゃとても食べていけませんよ、というのは別問題なので置いておくとしても。

 今、どの運営会社も複数のニュースサイトを運営する方向に進んでいるけれど、それは少ない人員で複数の媒体を回すことにより、全体のPV数を増やすのには当然の方策といえるだろう。そして、一つの記事を各サイトで配信することにより、ライターに払うお値段に対して、PV数を稼ぐことにより、結果としてコストを下げるという「手」でもある。
 
 さて。逆に考えると、これまでの新聞・雑誌といった紙媒体が、いかに高コストだったか、という証左でもあると思うのですね。

 例えば、時事通信が2月28日に流した「消費税8%時の使途説明不要=岡田氏」という記事。
 これの文字数は201字。これが前述した1文字10円という換算だと、2010円というお値段という数字になる。
 もちろん、時事ドットコムだけでなく、Yahooニュースなどにも配信しているし、各地方新聞のサイト、そして紙の新聞にも掲載されるから、計算自体相当に乱暴なのだけれど。
 ただ、この記事がアップされるまでに、記者会見に参加している記者さんが最低1人、記事の取捨をするキャップがいて、デスクがいて、さらに整理部の担当がいて…とコンテンツが出来るまでに複数の人数が関わっている。さらに、ネットでも打ち込みを担当する人やチェックをする人がいるだろう。一つの記事に対して手間も人数もかけて配信している。

 いや、それだけ多くの人員を割くことを批判したいわけではない。より正確で中身の濃い情報発信をするのに、人数をかけるという判断があってもいい。
 ただ、一つの記事あたりに対するコスト、という考え方が、既存メディアにはあるのかなぁ、といった疑問が、記事一つに対していくらといった仕事をしている私みたいな人間からしてみると、どうしても湧き上がってきてしまう。

 まぁ、私は既存の大手メディアで仕事をしていないし、彼らにはないフットワークと早さと切り口の違いで、差異化を計っていくしかないんだよな、と改めて思った次第です。

「八時間労働」を疑おう!

 『フューチャーインサイト』様の「ノマドとかライフスタイルをテンプレで語ること自体の陳腐化と正社員とノマドの中間解」という記事を見かけて、問題意識がParsleyと共通しているな、と感じたのでエントリーを記してみる。

 私自身は、2010年3月に会社を解雇されてから、断続的に求職活動をしてきたのだけどなかなか見つからず、なし崩しにそれまで副業でやっていたライターやWeb関連の仕事が、「本業」になってしまった。打ち合わせをする機会も多く(その合間に求職活動も継続している)、一日中東京の街を行ったりきたりすることも多い。言うなれば、自分の意思とは関係なく、「ノマド」なワークスタイルを導入せざるをえない環境になってしまったわけだ。

 フリーランスというワークスタイルが厳しいなぁ、と感じるのは、成果物を出して実際にお金にするまでの障壁がたくさんあるということ。
 確かに、1万円の案件を月に30件こなせば30万円の収入になるわけだけど、1件の案件に対して、まずはクライアントとの関係構築があって(新規営業)、企画を立てて承認を得る過程があって(企画営業)、はじめて「仕事」に取り掛かれる。「仕事」が完成しても、そこで終わりでない。その後に請求書を立てる必要がある(総務経理作業)。そして翌月~数ヵ月後に入金確認、といった具合だ。これを月に30件をこなすのは、端的に言って楽じゃない。

 かといって。求職活動をしていて、会社組織に再びジョインすることに若干の躊躇をしてしまうのが、就労条件の厳しさだ。正社員だと副業が規制されることが多いし、きっちり労働基準法通り、8時間拘束されてしまう。場合によっては給与にあらかじめ残業時間が含まれていることも珍しくない。
 つまり、現在の日本の会社における賃金は、個々人の生産性においてではなく、拘束される時間に対して支払われる体系になっている。業務が暇な日に病院や役所に行ったりするのにも有給申請あるいは欠勤しなければならない。
 加えて、オフィスに出勤して退勤するという「場所」にも拘束されている。
 確かにあるプロジェクトをチームで集中的にこなしていく、というケースでは、一箇所にまとまって作業するほうが効率的なのだろう。
 だけど、例えば営業職なら常にクライアント先を回って、合間の書類作成は近場のカフェもしくは自宅でこなす、というのが一番効率的だ。ミーティング? Skypeを使えばいいじゃないですか。スケジュール管理? Googleカレンダーとドキュメントを駆使すれば出来るでしょ。というか、一体何のためにスマートフォン持ってるんですか?
 
 この、各会社が定める「八時間労働」と「オフィス」から開放されることによって、日本の労働環境は劇的に改善するのではないか、とParsleyは考える。
 これまでは産休/育児休暇を取らざるをなかった有能な女性が、在宅勤務が許されることにより、仕事をしながら育児・家事をすることも可能になる。えっ、部署やチーム間との連絡や細かい指示を仰ぐ際はどうすればって? だからSkypeを(以下略)。
 他にも、複数の会社に所属して、ミッションやプロジェクト毎で参画していく、ということも、法律上は可能ではある。有能で稼ぐ意志がひとが生産性を発揮するためには、これが最適解のように思える。
 私Parsleyみたいな人間だと、「八時間」の間に書類作成や各方面への調整をメールでしつつ、空いた時間にもの書き仕事や取材に出かける、というスタイルが理想なわけで。それって、ある程度の固定収入を得つつも、一件いくらという仕事もこなすという、「正社員とフリーランスの中間」という立場になるよね。

 だから、gamella様がおっしゃる「正社員とノマドの中間解」は、日本の会社組織が八時間労働という勤務形態を変える。もっといえば、「時間」による対価ではなく「業務成果」による対価というように雇用・評価基準をシフトさせることで、かなりの部分が解決されるのではないだろうか?

 この変化によって、労働環境の改善・最適化だけでなく、各企業の生産性の向上にも繋がるから経営者にとってプラス。
 また、社会的にも、より育児のしやすい環境になることにより少子化対策になるだろう。最近は死後になりつつあるワークシェアリングによる雇用の増加に繋がる可能性もある。毎日満員電車で通勤することからも開放される。

 働いているひともそうでないひとも、経営者も労働者もこの「八時間労働」を漫然と受け入れている現実について、疑ってみること。
 たぶんそれが、正社員でもなくノマドでもない、新しいマジョリティのワーキングスタイルとして認められていく第一歩になるんじゃないのかしら。

「電気」に依存したライフスタイルと電力行政

 ここ数週間は、仕事を探しながら仕事をするという自転車操業な毎日を送っているParsleyにとって、いつも気になるのがノートPCとスマートフォンのバッテリー。
 2月に入ってから入手したF-03D GIRLS’通称「ガチピンク」では、面接や打ち合わせの場所を探すのにGoogleマップを多用するのだけれど、GPSをオンにしていると思いのほか電源を食う。残量のゲージは半分くらいになると、なんだか自分のライフゲージまで半分になったような気がしてくる。
 もっと深刻なのは、長年使っているEeePC。こちらはバッテリーがおかしくなっていて30分ちょっとで切れてしまう。そうなると、電源のあるカフェを求めて、あちこちを彷徨うはめになる。渋谷とか秋葉原とかならすぐに見つかるのだけど、本郷や板橋といったところだとなかなかないし、意外かもしれないが霞ヶ関周辺も電源の借りれるカフェは数件しかない。(参照
 
 こうしてみると、現在のライフスタイルが、いかに電気に依存しているのか、ということを痛感する。
 インターネットは、ないと本当に困るけれど、百歩譲ってなくても死ぬことはない。でも、食事を作るにしてもコンロはHIになりつつあるし電子レンジを使うことも多い。炊飯器も電気がないとダメ。お風呂に入るのにガスを炊くにしてもコントローラーが電気が通じていないと動かない。とにかく、電気がないと、生存も危ういのだ。

 翻って、昨年の東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故において、東京電力に対する信頼は地に堕ちた。また、政府も計画停電の実施を是認し、国民には節電を求めてきた。だが、本当にこれらの施策が的確だったのかどうかは、振り返ることがないまま一年が経とうとしている。
 同じように、「脱原発」を主張する人々から、現在の電力に依存した社会に対する疑義というものはなかったように思える。
 そんな中、国内で稼動している原発は二基になり(参照)、東電は発電コストを理由に家庭用・事業者向けともに料金を引き上げようとしている。
 社会全体が「脱電力」よりもむしろ「電力依存」の方向に進んでいる以上、電力の安定供給は保障されなければならない。可能であれば、より低価格化が進むべき。
 なんだかどれも真逆の方を向いているようで、ちょっともんにょりしたりするのだけど。
 いずれにしても、ライフラインとしての「電気」というものの重要性は、今後下がることは絶対ないのだから、「節電」とかみみっちいことをせずにじゃぶじゃぶ使えるような環境をいかに整えるか、ということに知恵を使っていきたいものだよな、と考えた次第です。

さいきんやったこともろもろ

 ★『日刊サイゾー』でお仕事しました。

 インタビューされる快感がクセになる!? 「ザ・インタビューズ」って何?

 ★実験ペーパー『シュピーレン』でいろいろ書きました。

 学習院大学表象文化研究会・鈴木真吾氏編集の、セブンイレブンのネットプリントを利用して配布するという、新しい形式のフリーペーパー『シュピーレン』にて、文学フリマで頒布されている小説の紹介や、中野・オメガアルゲアで開かれたヴリル協會幻想絵画展「Psyche」の画家紹介などを書かせて頂きました。
 こちらは、PDFがダウンロードできますので、よろしければ是非お読み下さいませ。

 シュピーレン1號
 シュピーレン2號

 ★ブログ『yuraly-parsley』はじめました。

 白昼社編集の泉由良女史と「乙女」についていろいろ語っていくブログを新たに立ち上げました。
 久しぶりに掌編ではありますが、創作にも挑戦してみました。

 【Parsley】ひとりチョコレート

 それなりの分量になった際には、次回の文学フリマ用に冊子にする、という構想もあったりなかったり。
 マイペースに更新していくつもりですので、こちらと変わらぬご愛顧下さいますと幸いです。

  

ロスジェネ論者の今と最近の若者論について思うこと

 毎日新聞『リアル30’s』を読んでいて、改めて考え込まざるを得なかったのは「ロスジェネ論壇って一体なんだったんだろう?」ということ。
 簡単に振り返ってみると、赤木智弘氏の『希望は戦争』論文が掲載された頃から盛り上がりを見せて、秋葉原無差別殺傷事件があった2008年がピーク。浅尾大輔氏・大澤信亮氏、増山麗奈女史が出した雑誌『ロスジェネ』創刊号は1万部も売れた。
 そして、そのアイコンとして活躍したのが、作家の雨宮処凛女史。

 それで話を戻すと、『リアル30’s』で例示されていることって、全部ロスジェネ論壇でアジェンタとして上がっていたことばかりだということ。つまるところ、ここ数年間で問題解決の端緒すら見つけることが出来なかったという事実が浮かび上がってくる。
 雑誌『ロスジェネ』は2010年に終刊しているのだけど、その時の言葉が振るっている。

 「もう一度立ち上がるために我々は、この虚(むな)しく飽和した言論状況を自らの実行=作品によって終わらせることを選びました」

 いやぁ、ありとあらゆる罵倒を浴びせたくなりますね正直なところ(笑)。
 言葉を飾っているけれど、結局のところは「ロストジェネレーション問題を楽しくネタにしてお金稼ぎしました」ということですよね、と問わざるを得ない。
 赤木氏にしても、今「ハローワーク省作れ」とか提言にもならないようなことを書き散らせるご身分になっているし(参照)、雨宮女史に至ってはご著書を精力的に出している上に厚生労働省のナショナルミニマム研究会委員に就任なさっている。端的に言って、貧困論壇をビジネスにして上手に「食べて」いくことに成功している。結果として、「貧困」や「弱者」からは遠ざかっている、というパラドックスが生まれているのは皮肉だけど。ま、彼らをひがんでも私たちに還元されるわけではないので、これからもちゃんと「仕事」して下さいね、という以上のことは言わないでおこう。

 ロスジェネ論壇の禍根を残したいちばん罪深いことは、「貧困」や「弱者」の定義が狭すぎて、正社員=持てる者という単純な図式に矮小化して、ロスジェネ世代自体を分断してしまったこと。
 正社員でも、みなし残業に苦闘している人は沢山いるし、無理なゲームを強いられて体調を崩す人も多い。そういった層はロスジェネ論者たちは汲み取れなかった。まぁ、正社員としての労務環境に明るい論者の方は少なかったから、そういう結末になるのは当然といえる。
 「あらかじめ貧困だった」ワーキングプア(低収入労働者)や若年ホームレスなどは、「貧困」というキーワードをもとに、世代間を越えた、同じ問題を抱える人との連帯、というモデルが提示されている。
 しかし、終身雇用が崩れ、何らかの理由で正社員から転げ落ちてしまった層(これには私Parsley自身も含まれる)に関しては、それまでのロールモデルがないし、自己責任の四文字で済まされてしまいがちな上、その後の再チャレンジを図るためにも自助努力が求められる、という厳しい環境に置かれている。なってみると分かるけれど、相当苦しいよ!
 それとは別に、今の20代から30代が直面している仕事上や労務上の問題って、決裁権や人事権のある40代以上とのジェネレーションギャップに起因していることが、非常に多い。会社に残れば残ったで、コミュニケーションにストレスかかるし、それが上手くいかないと無能者の烙印のもと退職に追い込まれる。
 彼らは労基法の基本も踏まえていないことが多いし、就業側も知識不足な面があるけれど、それは長くなるので別の機会に譲るとして。とにかく、労働組合に守られているレガシーカンパニーならいざ知らず、それ以外の大多数の正規雇用者が置かれている環境と、再チャレンジの困難さについては、まともな議論すらされていない、というのが現状ではないかしら?

 さて。『リアル30’s』を読んで気になったのは、社会学者の古市憲寿氏の論(参照)。 
 「今どきの若者には覇気がない」「もっと怒れ」という上の世代は勝手に言ってればいい、というのは心から同感だけれど、今の指導者層に「あんたたちが世の中を良くすればぁ?」というのは、ちょっと暢気すぎる。
 まず、彼らは今のシステムを守るための方策をない知恵絞って考えていてしかもそれに失敗しつつあるし、ましてや社会システムの更新する能力なんてほぼないものだと見るのが妥当。
 つまり、問題がずっと先送りされて、私たちの世代で「必要に迫られて」いろいろな軋轢を生みながら変えていく羽目になる可能性が非常に高い。そして、その間にも失業者や自殺者が増える。古市氏のご著書を読むと、そういう視点は抜けているよね、と思ってしまう。
 あと、もふくちゃんこと福嶋麻衣子女史の『日本の若者は不幸じゃない』を読んだ際の感想を繰り返すと(拙エントリー参照)、若者の幸福感を担保している趣味や好きなことをしていて居心地のよいクラスターが、30歳の線を境にして維持できるのかは非常に怪しい。
 会社や仕事をしていく上での軋轢にすりつぶされる可能性だってあるし、社会的な視線は厳しくなるし、それこそ経済がどうなるか分からなく政治に期待できない。そういったことに直面した時、ほんとうに所属しているクラスターの仲間たちは救ってくれるのか。これは真剣に考えた方がいいと思う。

 だから、セーフティネットを構築する議論を、もっとしないといけなくて、なおかつ政策的なイシューに上げるように働きかけていかないとヤバい状況だってことを、私たちは認識しなければならないし、安易に「いや今じぶん幸せですから」と半径数メートルのことで切ってしまう態度は危険だとも感じる。
 そういった風潮に、古市氏の論が使われないことを、心から祈るよ。

 なんかとりとめもなくなってしまったけれど、今回はこれで。

毎日新聞『リアル30’s』を読んで感じたこと

 毎日新聞の新春企画、『リアル30’s』は私Parsleyも含まれる20~30代の労働環境や、それに伴った考え方の変化などを分かりやすく例示した良連載だったと思う。その割にネットではそれほど話題にならなかったように思う。twitterでの意見の集約とか、かなり頑張っていたのに、残念。

 記事の傾向を見て思ったのは、派遣を転々とした末に解雇され、現在生活保護を受けつつ休職しているケースを取り上げた第三回や、入社二ヶ月で正社員を解雇されるという例が出ている第四回はそれほど反応が見当たらない、ということ。
 30代では「生きづらい社会」に対する連帯が生まれつつある、というように連載では紹介しているが、それはごく一部で、正規労働者の多くはまだ、解雇されるというリスクに対して他人事かもしくは目と耳を塞いでいるように感じる。

 あと、この連載では匂わせる程度だった点として、この世代はメンタルヘルスを崩す可能性が非常に高い、という点が挙げられるだろう。
 まず、大学から就職活動が上手くいかない時点で、「じぶん、社会からいらない子なのか…」という自我との葛藤をすることになる。仮に上手くいった場合でも、仕事上で残業続きだったり無茶な要求だったり解雇リスクだったりに襲われて、心身のバランスが取れなくなっていく。そして、転職活動をする際、なかなか次の行き先が決まらないと「このまま生きていけるのかな…」という生存の不安に苛まれる、といった具合だ。

 こういった経験をしていると、いやおうなく自分の存在価値を、自分でどんどん低く見積もるようになっていく。仕事を辞めるたびに、面接一件落ちるたびに、「じぶん、なんで生きているんだろ」みたいに考え出すと、最悪「自殺」という選択肢が頭をもたげてくる。
 そういったことに、社会、あるいは「持てる者」の皆様は無理解と言わざるをえない。

 私が記した「生活保護申請に行ったけれどダメだった」エントリーは、受給が決まったわけでもないのにネガコメばかりだったし。
 同じように「派遣の面接に行ってきたけれどダメだった」エントリーは、要求水準高すぎる的なコメントばかり。ちょ、自分を高く売れそうな機会があるならそうするのが当然でしょ(笑)。
 この二つのエントリーは、私が体験したことをあるがままに記しただけなのに、こういった反応が多数を示す時点で、「あ~若年労働者の連帯など、夢のまた夢だわ~」と思っちゃうなぁ…。

 まぁ、現在の世界経済や日本の政治状況を見る限り、ここ数年は就労環境が悪くなることはあっても良くなることはないだろうから、今幸運にも生業にありつけている方々は、頑張ってしがみついて頂いて。
 私のように、求職している方々は。世間の目とかは気になるかもしれないけれど、シャットアウトして自分の出来る範囲内でやれることをやっていきましょう!