「本」を巡るコミュニティの勃興と蛸壺感の克服

spoon. (スプーン) 2011年 06月号 [雑誌]
角川グループパブリッシング (2011-04-27)

別冊spoon.「ツイッター読書会」 62483‐91 (カドカワムック 388)
角川グループパブリッシング (2011-05-31)
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 『spoon.』が、二月で本誌・増刊で、「読書」をテーマにした特集を持ってきたのは、昨年から今年にかけての、読書のコミュニティに焦点を当てる、とてもタイムリーな企画だったと思う。

 Parsleyも6次元アール座読書館高円寺書林のような、中央線文化圏色の濃いブックカフェは嫌いじゃないというかむしろ好きなのだけど。

 それだけに残念だったのが、6次元で開かれた「ツイッター読書会」の内輪感。閉鎖性というと攻撃的にすぎるけれど、ハイセンスゆえの一般人への参入障壁みたいなものが感じられて、それは巻頭言でのtwtterによる「シェア」の概念とはバディングする要素になっているように思えた。

 Parsleyにとっては、「twitter読書会」というネーミングは、ゆりいかちゃんがやっている企画(参照)の方が先で、しかも次々に新企画を実施しているし、いつのまにBOTまで出来ていた。
 彼のやっていることと、6次元での読書会はリニアに繋がっているはずなのに、その間には分厚い壁が横たわっている感じがするのは、ちょっと不幸なことだと思う。

 あと、東京カルチャーカルチャーのプロデューサーのテリー植田氏が主催されているブクブク交換も最近各地で開催されるようになった。持ち寄った本について持ち主がスピーチする、そして気に入った本を交換するというのは、一つの本を読むのとはまた別のコミュニケーションの形態だけど、こちらも、tiwtterやfacebookがひとが集まるハブとして機能していて、やはり別冊『spoon.』の記事とリンクする動きだと考えていいだろう。

 このような読書会や本の交換会では、Webが有機的に繋がりあってコミュニティが出来ている、ということを、電子書籍まわりのひとはもっと考える必要があると思うし、各地で勃興している読書会・交換会がアーカイブ化して別の読書会とコラボなり新たな輪が出来るなり、そういった線があればより面白くなるはず。
 本来は、『spoon.』のような雑誌が、その「線」を作る役割を果たしてきたはずなのだが、逆に蛸壺化しているように見えるのは残念だしもったいない。
 こういった流れが加速するためにも、横の線を引く存在が現れることを期待せずに期待してみたいなぁ、と思うのでした。

『PS』7月号を読んだ

 もう発売日からそーとー経過してしまっているので、手短に。というか、今回は苦言を呈したい!
 いやー、表紙に吉川ひなのは、ないでしょ。

 今号では、持田香織×今宿麻美の対談など、姉ページに6P割かれていて加えて吉川ひなののグラビアが6Pあって、合計12ページが「姉」だったのだけど…正直、この年代のひとで感度の高いひとは『VERY』や『MORE』を読むだろうし、もっと言えば付録目当てで宝島社の『Sweet』や『InRed』を買うはず。アラサーから30代前半のマーケットはレッドオーシャンすぎるので、首を突っ込まない方が無難なように思う。
 その点、『Non-no』などは長年続いてきたブランド力があるので、20歳前後と同じようなファッションを30歳を過ぎてもしているひとが多いような印象がある。
 『PS』も、『Non-no』と同じで、「プリティ・スタイル」をいくつになっても追求してもいいんだ、というメッセージを出すべきだと、個人的には思ったりする。

 余談だけど、21Pで入夏が着用していたポール・スミスのレインボー柄ミニスカートと、23Pの菊池亜希子×Ciaopanicコラボのみちくさバッグは超欲しいです!

書き手の責任。読み手の責任。

 岡田斗司夫さんと記事を書いたParsleyさんのニコ生に関するニュース記事を巡るやりとり(Togettter)



 えーと。いろいろとお騒がせしております。Parsleyです。

 特にお騒がせというか、物議を醸したであろうのが、下記の箇所。今回はそれについてつらつら記しておこうかと。



じゃあなぜ、それを誤解したツイートが増えているんだと思う?この「誤解」の責任はあなた?それとも掲載したニコ生ニュース? #niconews RT @parsleymood: 「ジオン軍と日本人は同じ」と見出しにするのが婉曲だとは認識してませんless than a minute ago via TweetDeck Favorite Retweet Reply




@toshiookada 「誤解」の責任は「読み手」だと思いますよw 一次情報(生放送)を見ずにコメントしているわけですから。さらに言えば、ツイートの「数」には一定の力があると思いますが、一つ一つのツイートに社会的な価値はそれほどないというのが個人的な考えです。less than a minute ago via HootSuite Favorite Retweet Reply




ええっ!プロのもの書きがそんなこと言っちゃダメですよ!「誤解するのは番組見てない奴らの自業自得。吊られた奴がバカ」って言ってるも同然だよRT @parsleymood: 「誤解」の責任は「読み手」だと思いますよw 一次情報(生放送)を見ずにコメントしているわけですから。less than a minute ago via TweetDeck Favorite Retweet Reply




 このやりとりを見て、いろいろなご批判やご意見を頂いたけど、まず一言。私は「誤解やミスリードの責任は誰にあるか」という問いに「読み手」と断言した。でも、「誤解するのはのは自業自得。吊られた奴はバカ」とは発言していない。「そう言っているも同然」とツイートしたのは岡田氏で、私に言わせればそう読み手に印象つけている=ミスリードしているのは岡田氏ということになる。

 特にtwitterは140字という制限があるから、無意識のうちに印象が操作されたり、ミスリードが起こりやすい。今回の岡田氏の「バカといっているも同然」という歪曲で私は「迷惑」したけど、仕方ないよ、それがtiwtterとの特性だし、脊髄反射するひとが沢山いてもおかしくないから。この件で岡田氏を責める気はない。



 今挙げた話は本質からずれるので話を戻すと、私はニュースメディアでの「書き手」の責任は、次のように考えている。



 ・クライアント(ニュースサイト運営社)の方針に従った記事を書く。

 ・事実に正確な内容の記事を書く。

 ・PVあるいはコメントなど話題になり、サイト上が活発化するような記事を書く。



 まずは、各ニュースサイトにはそれぞれにポリシー・運営方針があるので、その範疇で記事の内容を選定して書かなければならない。これは記事を掲載する上で鉄則。

 で、次の「事実に正確な」というのが実は非常に難しい。というのも発言者が誤解をして話をしていることが多々あるからだ。例えばニコニコニュースでの『田原総一朗 談論爆発!』全文起こしで、石原慎太郎都知事が「なんかパリの軍縮会議に行った時、山本五十六に賀屋(興宣)さんはぶん殴られた。山本五十六か、その部下か知らないが。」と発言しているが(参照)、正確には1929年ロンドン海軍軍縮会議でのエピソード。ここをそのまま発言者のまま通すのか、訂正を入れるのかは、それぞれの媒体のポリシーになる。

 要するに、「事実って何なのよ?」という話なのだが、私は発言者が発言したこと、その内容、文脈が違わないようにすること、を「事実」として記事を書くことにしている。今回問題になった箇所は、ここの認識の差で起きている、というのが私の理解になるかな。

 最後のPVに関しては、内容もさることながら記事のタイトルがかなり影響してくる。ある程度、PVや反応のある見出しにすることで、コンテンツとしての魅力を最大限引き出すべき、というのが私の考え。ここは編集部で変更される場合も多いが基本的にそこも「書き手」の責任の中に含まれるというのが私の認識になる。



 では、肝心の部分。なぜ読み手に「責任」が発生するのか。

 それは、コンテンツ(記事)の反応を、書き込むことが出来て、コンテンツの情報を付加する(あるいはしない)ことができるから。

 記事には書かれていない箇所から疑問点を挙げたり、内容を端折って大まかにまとめたりしてtwitterもしくはコメント欄などにpostされたことによって、後から読むひとにとっては、postされた情報を含めて、一つの情報として捉えられる。その付加情報が「誤解」だったり、書き手が意図せざる「ミスリード」だった場合、その責任は、情報の付加=ツイートやコメントをした「読み手」にある。



 まぁ、もっと刺激的な言葉を使うならば。「この程度の金額(場合によっては無料の場合もある)で、読み手の反応まで責任取れません」というのが正直なところになるかな(笑)。

 これまでは、読み手の反応が可視化されることがなかったので、こういった問題は起きなかったけれど、それぞれの読者の判断で、その感想や考えたことを述べたりすることで、ネットではコンテンツを作る側に無意識のうちに回っている。少なくともそのように機能しているということは、ネットを利用しているひとなら自明のことだと思っていた。けれど、そういうように意識していないひとも(識者の中でも)多いということが分かったので、あえてリスクを犯して「読み手にも責任がある」と明言してみた次第。



 もっとも、誰もが「責任」なんて取りたくないし、今回みたいに当事者が「誤解」や「ミスリード」を指摘することも出来るのがネットの生態系で、しかも多くのひとはコンテンツを暇つぶしとして消費しているに過ぎないということも加味して考えると、一つ一つの記事に対してイメージコントロールを考えるのはコストが合わないと個人的には考えるけれど。そこはひとによって異論があるだろうし、異論を表明する自由と権利は誰にでもあるから、別に止めたりはしない。

 ただ、ネットで発言したことがその言葉通りに解釈されることさえ覚束ない空間である、ということは、誰もが覚えておいた方がいいと思う。

 もちろん、先程も述べた通り、書き手として事実に則した上で、可能な限りクオリティを求めるというのは当然のこと。だが、どれだけ手を尽くしたとしても、誤読やミスリードは起こり得ることで、しかもそれも含めて一つのコンテンツのして機能してしまうことがある、ということは、もっと真剣に論じられるべきなんじゃないかな、と思う。



 そんなこんなで、私の方からこの件に関して石を投げるのはこのエントリーでおしまいにする。

 皆様がどんな石を投げ返してくるのか、楽しみにしています。