「ネット論壇」はマスコミにとって変わるのか

 献本を頂きました。ありがとうございました。

 本書『マスコミは、もはや政治を語れない』では、2009年の総選挙の分析や、八ッ場ダム問題、小沢一郎民主党幹事長の政治資金問題と検察リーク報道などに関して、マスメディアが「浅い」論考しか流せないのに対して、より論理的で冷静な議論をネット側では展開されていたとし、「今後、ジャーナリズムの役割を担うのは、ブログやtwitterだ」としている。

 Parsleyがやっている木っ端ブログからも、大臣会見オープン化に関するエントリーのいくつかをご引用頂きました。この場を借りて御礼申し上げます。ご興味のある方は、ご参考にどうぞ。

 ・「日本インターネット報道協会」は実態があるのか
 ・大臣記者会見開放アンケートのお答え頂きました。
 ・記者会見開放が進まないワケ

 拙ブログだけでなく、本書からは非常に多岐に渡るブログの論考が紹介されており、それがマスメディアの論調とは、かなり乖離した主張や意見、時には論争が繰り広げられていることを詳らかにされている。
 特に、10月の『朝まで生テレビ』での東浩紀氏の「インターネットとというテクノロジーは10万人とか5万人という規模なら直接民主制を可能する」という発言と、twitter上で展開された「民主主義2.0」について、『電子民主主義の未来』と題して40ページ以上割いて議論を追っている。東氏の論考と課題点の指摘が丹念にまとめられているので、興味のある方にとってみれば再確認のためにも必読だろうと思われる。

 さて、著者はジャーナリズムについて『「人が違う意見を述べ合って、違う事実が出てくる」というような装置としての役割は、もう新聞・テレビからは失われた』と述べ、『その役割を今後担うことになるのは、おそらくはネット言論とネットのメディアだ』としている。
 確かに、新聞やテレビは「公共」を担うことが出来なくなり、ビジネスモデルとしては古びてきていて、遠からず崩壊の道を辿るのではないか、と予想される。
 しかし。だからといって、ネットが新聞・テレビといったマスメディア人より良質な言論を展開し、新たな事実が判明したり、より正しい情報が流れるようになるかといえば、現状を見る限りにおいて懐疑的にならざるを得ないよね、と感じる。
 本書でも、『金融日記』様のエントリーが引用されていたりするけれど。個人的には彼の記事の内容は「床屋政談」以上でも以下でもないように思える。最新エントリー「日本にはマスメディアの危機なんてない。あるのは社員の高すぎる給料だけだ。」なんて、問題意識低すぎで卒倒しそうになった。けれど、はてなブックマークなどをみると、人気なんだよな。ネタとしては面白いから。
 はっきり言って、ファクトに基づいている記事などより、こういった「なんちゃって社会派」なネタエントリーの方がアクセスも稼げるし人気も集まる、という現象がブログメディアが勃興してからずーっと続いている。それで、人気ブログはネットメディアや出版社などにフューチャーされてさらにプレゼンスを高める、という図式になっている。一方で、手間隙をかけて、足を動かして丹念に事象を追ったブログで、日の目を見ていないものは沢山存在している。
 また他方では、マネタイズのため有料メルマガにリッチコンテンツを提供するという流れも目立つ。堀江貴文氏もそうだし、磯崎哲也氏もそうだし、本書の著者である佐々木俊尚氏だってそうだ。識者の本当に質の高い情報は、クローズドなメディアで流通している、ということになる。

 このような状況で、本当に「ネット論壇」がマスコミに取ってかわることが出来るのだろうか??
 はっきりと衆愚なんじゃない? Parsleyにはそういった疑問を拭い去ることが出来ずにいるのだけど。本書を読んで、著者はそのあたりどのようなご見識をお持ちなのか、もう少し聞いてみたい気がした。

 

記者に開放じゃ「オープン」じゃないよ!

 鳩山内閣総理大臣記者会見への参加について(首相官邸)
 鳩山首相の記者会見、ネット・フリー記者も出席可能に(朝日新聞)

 R30様にせかされるまでもなく(参照)、25日8時半過ぎに首相官邸に電話しました。
 すると、書類を送るのでFAX番号を連絡して、それから書類を記入して送付するという手続きが必要だとのこと。うち、FAXないよ…(T_T)
 本当はいろいろ交渉したかったのだけど、所用もあり今回は断念しました。無念なり。

 で、今回の「ネット・フリー記者」なのだけれど、下記のような条件がついている。

 1.(社)日本専門新聞協会会員社に所属する記者 (国会記者記章の保持者)
 2.(社)日本雑誌協会会員社に所属する記者(国会記者記章の保持者)
 3.外務省が発行する外国記者登録証の保持者
 4.日本インターネット報道協会法人会員社に所属する記者で、十分な活動実績・実態を有する者
 5.上記1、2、4の企業又は(社)日本新聞協会会員社が発行する媒体に署名記事等を提供し、十分な活動実績・実態を有する者

 はい、去年9月の外務大臣記者会見の開放の際と全く同じ条件であります。
 ちなみに、「十分な活動実績・実態を有する者」とは、過去三ヶ月以内に該当媒体で記事を書いたことが該当するようだ。
 
 確かに、神保哲生氏や上杉隆氏のような方々からしてみれば、宿願がかなったことになり、またそれまで活動なさってきた経緯も存じているので、よかったと思う。
 思うのだけれど、私のような木っ端ブロガー(時々ライターもどき)からしてみると、これで「オープンになった」みたいな風潮になってもらっては困る。
 何度も拙ブログで指摘しているように、日本インターネット報道協会は実態があるのか、非常に怪しいところがある。代表幹事を務める日本インターネット新聞社竹内謙氏のJANJANは、今月いっぱいで閉鎖になることが決定しており、実質的に同協会に所属するのは、J-CAST、日本ビデオニュース株式会社、ライブドア、ドワンゴということになる。これでは、ネット・フリーの記者といっても相当に門戸は狭い。
 
 そもそも、「記者」という人種に、頑なまでにこだわる姿勢が、各省庁で見られるのは、外野からしてみると非常に残念。今や、ブログ、twitter、USTなどで簡単に配信出来るということを考えれば、既存メディアなどよりもずっと速報性の高いコンテンツを送り届けることが出来る可能性があるというのに。
 また、私も参加できたように、消費者庁は各方面に申請をすれば大臣会見に出席することが可能だ。(参照
 官邸や他の省庁も、消費者庁の会見と同じように、肩書き「記者」にこだわらないようになって、はじめて「オープン化」と胸を張って言ってもよくなる。いち木っ端ブロガー(時々ライターもどき)として、それを願っています。

『α-synodos』に寄稿いたしました。

 各方面で大活躍中の荻上チキ氏が企画・編集を担当しているハイクオリティ・メールマガジン『α-synodos』Vol.48に、「混沌する2010年のネットメディア事業」というコラムを寄稿いたしました。
 
 内容は、市民参加メディアもあらかた滅んだけれど、既存の新聞のネット事業も日経新聞が有料化を発表してクローズドな方向に行っているし、ネットメディアも取材力がなかなか上がらないし、非常に微妙だよね、といったことを書きました。
 そんな中、ユーザーはメディアリテラシーを磨くしかないのだけれど、既存・新興問わずメディアの側の自浄能力を働かせないのなら、それを批判する必要があるよね、というのがParsleyの立場なので、そういうことも盛り込みました。

 私の他にも、『.review』でご活躍の西田亮介氏や『哲学の劇場』を運営なさっている山本貴光氏の連載などが掲載されております。
 月額525円(税込)という有料メディアですが、是非ともご覧下さいませ。

『自分をデフレ化しない方法』の勝利条件

自分をデフレ化しない方法 (文春新書)
勝間 和代
文藝春秋
売り上げランキング: 210

 献本を頂きました。ありがとうございます。

 まず表紙。水色のカバーの3分の2を覆う真っ赤なオビで勝間和代女史がバッテンを作っている。文春新書は白地に濃紺というデザインで統一しているから、これだけでも破格の扱いだ。切込隊長様が、「表紙が18禁」とやたらネタにしていて(参照)、それをさらにロケットニュース24がネタにしていたけれど(参照)。『結局、女はキレイが勝ち。』でカツマー・イズ・ビューティーを証明した(拙エントリー参照)勝間女史的には無問題だろう。そもそもキレイと感じるかグロと感じるかはどっちでもよく、要は本屋の棚で目を引けば勝ちだ。まぁ、ほとんどのひとの場合、本屋のカバーをかけて読むんじゃないでしょうか(笑)。

 冗談はこれくらいにして。本書は、2009年11月5日に、勝間女史が菅直人副総理を対象にプレゼンした内容を、全国民を対象に広げたものだ。そのために、しつこいくらい『今の日本はデフレによってお金だけでなく「希望」と「感謝」が失われている状態」であると繰り返している。

 デフレだから給料が上がらない。
 デフレだからクビを切られる。
 デフレだから会社が倒産する。
 デフレだから就職できない。
 デフレだから結婚できない。
 デフレだから子どもが作れない。
 デフレだから自殺者が増える。
 デフレだから希望がもてない。(39-40P)

 世の中の悪いことは全てデフレのせい。今の日本はデフレスパイラル状態にある。だからインフレターゲットを実施して、デフレを退治しよう…つまるところ本書の言いたいことはそれだけだ。
 本書のタイトルである、自分をデフレ化しない方法については、第二章「デフレ時代のサバイバル術16ヵ条」でまとめられている。おおむねこれまでの著書で詳しく触れられていることなのでハズレはないのだけど、「服の見栄え以前の問題として自分の体型を改善すること」とダイエットを勧めていることや「タバコは仕事の生産性を下げます」と大真面目に断言されるところには若干苦笑してしまった。
 その後の章では政府、特に日本銀行の政策についての糾弾とインフレターゲットを実施するといいことづくめ、といった言論が展開される。デフレが起きる構造の説明やインダケ導入の成否に関しては専門家(特に池田信夫先生あたり)の間で賛否両論がありそうだが、それを検証するのは別の方々にお任せしたい。

 私が気になっているのは、本書の「おわりに」の中で「私たちにできることは『デフレを終わらせて欲しい』という思いを政府や日銀に伝えること」とし、「政府と日銀が本気になってデフレを克服するときが来るまで、一緒にぜひ、声を上げ続けてください」と呼びかけていることだ。そして「これは静かなる革命なのですから」と結んでいる。
 この箇所ではっきりと分かるのは、勝間女史がインフレターゲット政策提唱のイデオローグの役回りを引き受けた、ということだ。
 新書のデザインを変えようがケバかろうが、目立つ色の表紙にした意味。くどいくらい「デフレ」という言葉を繰り返す意味(数えたら表紙カバーだけで12箇所も使っている)。これらぜんぶが、政府・日銀がインダケを採用するためのものになる。

 つまり、本書の勝利条件は「政府・日銀の政策を変えさせること」。
 そのために、本書は数十万部を超える、ベストセラーにならなければならない、ということになる。最低でも30万部、出来れば50万部以上売って、「デフレ」とか何か、国民に衆知されないと、「静かなる革命」は成就しないのではないか。これってハードル、意外に低くないように思える。
 果たしてそれが可能なのかどうか。経済評論家としてではなく、イデオローグとしての勝間女史の力がどれほどのものか、真価が問われる一冊であるのは間違いないだろう。

森ガールの森は森ガールの胸の中に

 gotanda6様より、森ボーイどころか森ガール認定されましたParsleyです(参照)。皆様ご機嫌いかがでしょうか。
 ちょうど一週間前にアップされた、中川大地氏がビジスタニュースにご寄稿なさった『「森ガール」にできること~「少女」から「女子」への変遷の中で~』を巡って、特にtwitterなどは百家争鳴状態だった。(参照
 かくいうParsleyも、この論考の部分部分で若干の違和感を覚えた。しかし、それ以上に「なんじゃこりゃ」と思ったのはtwitter上での『ユリイカ』文化系女子特集号に登場していた面々を中心とした方々の反応がひどすぎること!! そのあたりのことをざっとまとめておきたい。

 Parsleyがこれまでに森ガールについて書いた記事もお暇な方はご参照下さいませ。

 「森ガール」はオリーブの夢を見るか
 森ガール&ボーイをつかまえて
 文化系女子研究所(2) はじまりの「オリーブ少女」(週刊メルマガクリルタイ)
 文化系女子研究所(3) 森ガールは草を食んでおしまい?(週刊メルマガクリルタイ)

 まずは、中川氏にも拙稿をご笑覧頂いて貰ったようで(ありがとうございます・参照)、「少女性が素朴だった80年代後半的なオリーブ少女」よりも90年代の『Olive』のイコン達やその影響下にあった読者達の文化が「能動的で強固」だったというように言及頂いている。確かに、ビジスタの記事だと、「リセエンヌ」から「北欧の森」へと一足飛びに進んでしまって、自分達の好きな空間やアイテムを積極的に求め軽やかに得てきた酒井景都女史のような存在について、もうちょっと言及があってもよかったのでは、と感じた。

 近代日本への「少女」の認識は明治大正期から戦前にかけての少女の確立については、『少女の友』や中原淳一、川端康成らの仕事をつぶさに追えばその沿革が解かるのでここでは置くとして、そこから、水無田気流女史の「無頼化」という概念に結びつけるまでの過程は、良く言えばアクロバティック、悪く言うと乱暴に過ぎたのではないだろうか?

 私の知る限りにおいて、森ガールは無頼化しているわけでもカツマーでもカヤマーでも負け犬でもない。『小悪魔ageha』は「生まれたときから不況だったし」という名コピーを生み出したが、森ガールもそれは同じ。今そこにある生活環境がデフォルトな彼女たちは、比較対象してやさぐれるべき時代を知らない。
 その上で、中川氏も言及しているように、高度消費社会になり、「少女」性が社会全体に浸透するようになった。簡単に言えば少女的コンテンツに囲まれて育った彼女達が、「カワイイ」を志向するようになるのはしごく当然のこと。その「カワイイ」が、人によってはage嬢的なキラキラなネイルやアイシャドーにもなるし、森ガール的なゆるふわワンピになる。それ以上でも以下でもなく、社会的な「意義」は所詮は「識者」が後付けで負わせるものであって、当人たちの文化とは無関係と断じて差し支えないだろう。
 つまり森ガール文化は本当の意味で彼女達の生活に根ざした価値観の上に構築されていて、そのマテリアルさはちょっとやそっとの外的要因では揺るぎようがないのだ。

 たぶん、本当の自分のスタイルを持った森ガールは、去年末から沢山刊行されたムック本は買っていないだろうし、CAROLINA GLASERMade in COLKINIKHAの服にあこがれることはあっても、LOWRYS FARMearth music&ecologyでリズナブルな価格でお気に入りの服を見つけるのだろう。何とかお金を使わせたいと考える大人の皆さんにとっては、想像以上に手強い存在だ。

 そんな彼女達は、元からあるものを消費するだけで満たされているようにも見える。手芸にしても、最近は専門サイトや動画などが沢山上がっているので、わざわざ書籍を買う必要はないし、お菓子作りもcookpadでレシピを探して、若干のアレンジを加えればいい。
 独自のコンテンツを作りづらいように見える森ガールだが、実は自身の生活そのものをコンテンツ化する、ということが、これから主流になっていくのではないか、とParsley的には感じている。
 一番分かりやすいのは「散歩」。モデルの菊池亜希子が『PS』で連載されている「みちくさ」は、本人のエッセイとキュートな絵地図が添えられていて、自身の散歩コースや食べたもの、行ったところなどがつぶさに描かれている。
 こういった、絵日記に近い行動記録を残していく、ということや、写真に撮る、ブログに残すといった「ライフログ」が、彼女達のコンテンツとして今も広まっている。
 おそらく、森ガールたちの「森」は、ずっと彼女達の胸の中で変わらず根を張り続ける。ちょっとリリカルだけど。

 蛇足だけど。中川氏の森ガールの起源は遊佐未森説は、彼女の世界観はケルトの森というモチーフがあるので幻想「的」かもしれないが幻想ではないということでアウトです(笑)。ケルト民謡的音楽の系譜は、例えば遊佐未森のプロデューサーだった野見祐二氏がジブリ作品の『耳をすませば』等で音楽監督をしていることや、坂本真綾をはじめとする声優の多くが受け継いでいることなどから分かるように、少女文化からは離れてオタク文化に吸収されていったように個人的には思えるのだけど。ここはより深い考察が必要だろう。

 あ、文化系女子の面々の「こじらせ」具合についても書かなきゃ。でも長くなっちゃったから来週配信予定の『メルマガクリルタイ』の「文化系女子研究所」でつらつら記すことにしよう。期待せずにお待ち下さいませ。

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「趣味ジャーナリスト」じゃダメですか?

 『ケツダンポトフ』様の「朝ダダ」で、一つ気にかかったことがあったので、メモ程度に。

 第二部で「職業ジャーナリズムは誰が支えるのか?」という問いに対して、上杉隆氏が「やろうとした人。日本はジャーナリズムの敷居が高いが、自称でいい。世界のジャーナリストはみんな自称。気楽に入ってほしい」とおっしゃっていたことが、何となく違和感を覚えてしまった。
 おっしゃるように、自分で「ジャーナリスト」と名乗ればいいだけだから、ジャーナリズムの世界に飛び込むことは簡単かもしれない。けれど、昨今の新聞業界は今にも日が沈みそうだし、出版・雑誌文化は瓦解寸前でこの先落ちるしかない。テレビも広告費を削られてアップアップという状況。そんな中で「職業ジャーナリスト」としてやっていくのは、今後相当難しいのではないか、と思わざるをえない。
 
 以前に、Parsleyは「ジャーナリズム的。 vs オールドメディア」というエントリーでも触れたように、職業記者以外の一般人が、Web上で事件・事故を伝えることをジャーナリスティックなコンテンツとして情報が流通していくという潮流になっている。
 もっといえば、これまで既存ジャーナリズムが担ってきた公共性を、twitterをはじめとするWebサービスというアーキテクチャ上に乗った「みんな」で肩代わりしていく、ということにはならないだろうか?
 そんな中、「職業ジャーナリストの存在意義は何?」という問いに、答えられる既存のメディア人(会社所属・フリーに関わらず)はどれだけいらっしゃるのかしら??

 ご存じのように、拙ブログではたびたび報道機関の方などにインタビューしたり、福島みずほ大臣会見に出席したり、ジャーナリストのまねごとのようなことをしている。これは別に対価を求めてのことでもなく、「公共を担う」なんて大それたことを考えているわけでもなく、ただ一個人の「趣味」としてやっている。
 例えば、公官庁などはかなり情報公開が進んでいて、疑問があったことを電話で直接聞けば担当者に繋いでくれるし、こちらの拙い質問にも丁寧に答えて頂けるケースがほとんどだ。一般企業でも、中には木で鼻をくくったような態度で応対されることもあるけれど、大抵の場合フレンドリーな扱いをして頂ける。つまり、担当者レベルだと、ほとんどの場合「取材」に応じてもらえる。
 
 唯一のネックというか、一般人がなかなか踏み入れさせて貰えない「壁」があるのが、プレス向けの記者会見・発表だ。
 まず、会見・発表があるということ自体が、広報・PRの手順から外れているので情報を得るのは難しいし(最近では『ブログクラブ』のようなサービスもあるけれど)、一部大臣記者会見のように、「報道機関」であるということに重点を置いて出席者を選別している場合もある。
 となってくると、記者会見を牛耳っている記者クラブなる組織・団体が「趣味ジャーナリスト」の最大の障壁、と思えてくる。
 外野から見れば、一人でも多くの人に「伝えたい情報」を知って貰うという観点から言えば、会見の参加者を制限する意味が分からないし、「情報公開」を求めてきた報道機関が、逆にクローズドにしていることに皮肉を感じざるを得ない。
 あ、もちろんいろいろ大人の事情があることは知っていますよ。決して察したりはしませんけれど(笑)。

 だから、あえて、公官庁の広報室の方々や企業のPR担当の方々には、こう問いかけたい。
 「趣味ジャーナリスト」じゃダメですか、と。

『PS』4月号を読んだ。

 表紙が宮崎あおいの時の『PS』は勝負号だと勝手にParsleyは看做しているのだけど、今号は春もののアイテムの紹介が中心ということもあって見どころが多かった。
 映画『ソラニン』の公開が控えている宮崎あおいのグラビアは、どれもファン垂涎もの。25P、OSKLENの明るい赤紫のドット柄ワンピースがこれほど似合うひとは二人といないだろう。27Pの緑レザージャケットと白甘ワンピのコーディネートは、真似するひとが多そう。
 ちなみに、同時期に出た『MORE』でも表紙を飾っていて、こちらはこちらで大人っぽくて素敵なのだけど、やっぱり『PS』の方が肩の力が抜けていて彼女の素っぽく感じられるなー。

 あと、112Pから4ページに渡ってaikoの特集ページが。3月31日発売の2年ぶりのニューアルバムと、4月末からの初のアリーナツアーのパブ込みだけど、ファンのひとは一読の価値ありでは?

 巻頭特集の「”おしゃれライバル”15番勝負」は、どのコーデも○○系というくくりに収まらない、ハイブリットな着こなしばかりで、何でもありな感じが、逆に今の『PS』のスタイルを形作っているように見受けられて好印象。どれも、面白いし、キュートだった。
 この特集の派生で、「いろいろライバル対決」という企画が2ページあったのだが、驚いたのは「ITつぶやき対決」ということで、Amebaなうtwitterが取り上げられていたこと。そして、「iPhoneアプリケーション対決」まで載っていたこと。確かに、最近可愛いケースに入れてiPhone持っている女子が増えているように思うし、キャッチにあるようにサブ携帯として持つ人も多いのだろう。

 記事広告では、アシックスがオニツカタイガーで3P、PUMAがアフリカンなテキスタイルを提案して2Pを展開していて、こちらでも対決構図が垣間見えた。

 そして。裏カラーが「乙女男子のHappy Kawaii Life』という特集が!!
 手芸男子、刺しゅう男子、造花男子、香り男子、SABON男子、キャンドル男子、スイーツ男子、などなど。そして、半ページを割いて「キラキラ装飾男子が増殖中!!」とな。確かに、自他ともに認める乙女男子のParsleyも、去年の10月くらいからそういうアイテムが増えてます。
 しかし。こーいう企画に、私になんで声をかけてくれないの! 次に同じような企画する時は呼んで欲しいです!!

『JANJAN』休刊に思うプラットフォームメディアの難しさ

 『JANJAN』休刊のお知らせ
 
 急激な広告収入の落ち込みにより社業を支えるだけの収入の見通しが立たなくなったことです。

 周知のように、JANJANは富士ソフトの関連会社に近い位置づけだった。もっと言えば、富士ソフトのイメージ戦略の一環として立ち上げられたサイトがJANJANだった。で、その富士ソフトはずっと業績が下降線を辿っており、2年程前から、サイトの維持が難しい状況だったので、休業自体に驚きはない。むしろ、ここまでよく持ちこたえたのではないか?
 いずれにしても、「急激な広告収入の落ち込み」というよりも、単純にスポンサーに見捨てられました、という方が正確だろう。

 (略)ごく普通の市民が記者になってニュースを書くというインターネット時代にふさわしい市民メディアの創造に挑戦しましたが、このところマスコミ側も市民の投稿やブログとの連携を重視する傾向が顕著になってきました。また、弊社をはじめ既存マスコミに属さない報道関係者が長年主張してきた中央省庁の記者クラブの開放も民主党政権の下で徐々に進んできました。こうした点からみて、弊社の所期の目的はひとまずは達成されたと得心しております。

 えー記者クラブの開放がJANJAN設立の目的だったって、はじめて知りましたよ(笑)。
 結局のところ、記者クラブ問題でも、主だって活動していたのはフリーランスのジャーナリストの皆様で、一般の市民記者の皆様がその方針に賛同・寄与していたようにはみられなかったのだけれど。記者会見がオープンになってもご高説を語られている皆様は誰も参加していなかったじゃん(笑)。
 マスコミの側が市民やブログとの連携を重視しているというのも後付けの理由に過ぎない。というか、素直に「お金がなくなって刀折れ矢尽きましたごめんなさい」でいいのにね。

 まぁ、嫌味ばっかり言っても仕方がない。オーマイニュース、ツカサネット新聞、JANJANとサービス休止し、市民参加メディアはPJニュースが残るのみになった。
 Parsleyとしては、以前にも書いたように(参照)、実名登録ということを信頼の担保として記事のクオリティ維持を図った、ということが最大の設計ミス。そして、その後のコミュニティ運営でも、記事に対するネガティブな意見を締め出すなど、顧客満足とはかけ離れた施策をするなどの失点を重ね、メディア自体の信頼を損なった。これを、開設初期の段階で起こしてしまい、「サヨの巣窟」的なレッテルが張られた時点で、命脈は長くなかったと言わざるを得ない。
 結局のところ、ユーザー個々が良質と見做したコンテンツを検索エンジンで探したり、RSSリーダーに登録したり、iGoogleに登録したりして、自分なりのプラットフォームをカスタマイズ出来る時代に、メディア自体をプラットフォームとして構築すること自体が時代遅れなのだろう。ユーザー側にアプローチするためには、いかに良質なコンテンツを多く抱えているか、ということに注力しなければならない中、クオリティコントロールをまったく念頭に置いてこなかった市民参加メディアをどのようにこれからの反面教師としていくのかがポイントとなっていくのだろう。

 しかし、『JANJAN』本体はともかく、『ザ・選挙』も掲載休止、4月1日以降は閲覧も出来なくなるというのはどうにかならないものだろうか? 地方選挙まで網羅したサイトで、Yahooみんなの政治などよりもよほどサイト設計もしっかりとしている上にコンテンツが充実していたのに。どこか他のポータルサイトが引き継いだりしないものか。最近Webコンテンツの充実を図っているライブドアさんいかがでしょうか? と、無責任に投げてみる。

 もう一つ、気になるのは、日本インターネット報道協会の動向だ。日本インターネット新聞株式会社の竹内謙代表が、同協会の代表幹事を務めており、協会自体の存続を含めて、今後どのようになっていくのか、注目していきたい。