『ケツダンポトフ』って「ボランタリー」なの?

アルファブロガーアワード2009

 今年もアルファブロガーアワードの投票の季節になりました。
 ということで、Parsleyは『ケツダンポトフ』様に一票。

 理由はもちろん、社会的な影響力のあるビデオキャストをされているということで、他の方々とは一線を画していらっしゃるから、に尽きる。こういうと角が立つけれど、これまでのビデオキャスト&ポッドキャストは、それを「やっていること」自体に意味がある面があって、ジャーナリスティックな影響を、視聴者に与えるような側面は少なかったのではないか、と思える。
 だからこそ、そらの様にはこれからもご活躍を期待したいし、出来るだけ応援したいな、ということで投票しました。

 ただ、この『ケツダンポトフ』を巡る回りの評価、というか捉え方に関しては、もんにょりすることが多々あったりする。
 例えば、とあるイベントで、神田敏晶氏が「そらのちゃんとかボランタリーでUSTをしている」とか発言なさって、超びっくりした。え、そうなの?
 Parsleyの認識では、そらの様は株式会社ソラノートの広報さんで、社の広報活動を拡大解釈して(?)ダダ漏れやってます、という感じなんだけどー。

 ちなみに、日経ビジネスオンラインの記事によると、

 ただし、佐藤にはソラノートという小さなネットベンチャーの広報という役職があり、生放送は、一応、仕事として行っているという。だが、ツイッターを舞台としたダダ漏れは、佐藤1人に任されており、「好きなこと、面白いことをやれ」という会社の方針にもとづいた、趣味のような活動から始まった。

 と、いうことだから、だいたいあってるよね。
 ただ、ソラノートという「会社が」表にでるより、「そらの様が」ジャーナリスティックな活動をしている、というような認知をされた方が、イメージ戦略的に得、という判断が働いているのかもしれない。あーじぶんなんかすごい嫌なこと言ってるな。

 それで、ですよ。日経BPの記事の別の箇所が切り取られてtwitter上に流れて、けっこう有名人がリツイートしているのがタイムラインに流れてきて、またまたびっくりしたわけなのですけれど。

 カトキチは昨年12月末、前編で紹介した「そらの」というハンドルネームで活躍する佐藤綾香に対し、月額30万円のスポンサーとなることを決めた。

 ここだけ取ると、まるでそらの様個人に対して、年間360万円の資金提供をしている、というように読めてしまう。
 まぁ、実際のところ加ト吉の資金が株式会社ソラノートへの出資なのか、そらの様に対するスポンサーなのか、リリースがされていないから分からない。ほんとうならば、ここも明示すべきだろう。

 個人的には、そらの様もそうだけど、そらの様のtwitterに時折登場する「上司」の方にも非常に興味を覚える。いったいどんな方なんでしょう??

 というわけで、近々そらの様と、株式会社ソラノートにお話を伺いたい旨のメールをお送りしようと考えております。
 木っ端ブロガーの取材を受けて下さるかは謎ですが、期待せずにお待ち下さいませ。

アジェンダ設定が薄い書籍を売るためには?

ぼくたちの女災社会
ぼくたちの女災社会

posted with amazlet at 10.01.25
兵頭 新児
二見書房
売り上げランキング: 294502

 ひょんなことから、著者の兵頭新児氏から献本頂きました。ありがとうございました。

 本書では、セクシャルハラスメント、ストーカー等の行き過ぎた認定や、痴漢冤罪・ドメスティックバイオレンス冤罪を「女災」と定義し、男性ならば女災に遭ったことがない人はいない、とする。そして、「萌え」の一言が意味をする、『電波男』的な二次元に活路を求めるオタク男性や、草食系男子は、女災からの「防災」と捉えている。「宿命的に女性への渇望を抱き続けている男性が、今世紀に至ってとうとう女性への希望を見出せなくなってしまった、女性とつきあうことにはほとほと疲れてしまった、ということなのです」と、第二章では結ばれている。
 そして「二次災害」として、少子化・晩婚化や「負け犬」そして腐女子化を挙げ、これらは、男性を得ることの出来ない女性側の現象、という文脈で捉えている。
 筆者は、「ぼくたちの清む女災社会」を、このように結論付ける。

 (前略)「ナオンが決めたことをぼくたちがテレパシーでもって察知して、ナオンが何も言わないうちにナオンの願望を充足させ、もしそれができなかったらお巡りさんに捕まっちゃう社会」であります。
 間違っちゃいました。再度訂正させていただきます。
 「ナオンに近寄らない社会」が正解でした。
 何となれば、今の男性たちはぼくに指摘されるまでもなく既に女性のリターンは望めない、リスクしかないと考えはじめているからです。

 えーと。筆者の文脈に従えば、私Parsleyのような乙女男子はどういう位置づけになるのだろう? 消費社会が「女性化」している中で、女性をターゲットにしたコンテンツを積極的に楽しんだ方が面白い、という考えは、女性の側にすり寄る裏切り者、になっちゃうのかな??

 本書は、ジェンダーフリー、婚活、草食系男子、腐女子にまつわる文献、統計を丹念に当たっている労作であることは間違いない。
 ただ、結論が「女性に近寄らない社会」というのは、実効性という意味で難があるし、既に『電波男』で指摘されているような、「二次元」に寄るという対処法とかぶり、それほど新味がない、という弱点があるように思われる。
 つまり、本書の場合、結論が重要なのではなく、「女災社会」というアジェンダを、より多くのひとに共有して貰うことそのものが目的、といえるだろう。
 しかし、本書が発売して数ヶ月経てもそのような問題意識が浸透しているようには見えない。
 兵頭氏には厳しいかもしれないけれど、本書のアジェンダ設定は、痴漢冤罪やDV、少子化といった個別問題を全て包括しようとして、逆に焦点がぼけてしまい、結果として内容が薄い印象を受けざるを得なかった。

 もう一つ、本書に関して思ったことは、本屋さんの担当がどこに並べるかで迷う本は、売ることが難しい、ということ。ジェンダーの専門書コーナーに並べるには、二見書房の実績がない(失礼!)し、サブカル書やロスジェネ論壇特設コーナーに混ぜて売るにはイマイチ関連付けに乏しい。

 また、現在、著者・出版社編集は本を作ることでなく本を売ることに積極的に関わることが求められる。勝間和代女史ほどのひとでも、がっつかないと月数万点の刊行物の中の一冊に埋もれてしまうのだ。
 そのためにも、兵頭氏は今すぐにでもブログを開設しなければいけないのでは。出来ればtwitterも。そこで、「女災社会」が抱える問題や事件について、恒常的に情報発信していくべきだ。mixiの女性専用車両反対コミュニティでの議論を追う、というのもいいかもしれない。いずれにしても、「女災社会」という言葉をネット上に流し続ける地道な作業が必要になってくる。

 世間への浸透が難しいテーマを広めるための、アクロバティックな方法としては、フィクション化、もっといえば「ラノベ化」するというものもある。
 最近では、ピーター・ドラッカーのマネジメント論を扱った『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』が大成功している。
 例えば、女災社会が進んで男性の人口が極端減少した未来を舞台にしたSFフィクションなどを描いてみたら、よりこの問題が認知されたかもしれない。
 …って、それまんまよしながふみ女史の『大奥』の設定じゃん。ということで、おあとがよろしいようで。

『生きる技術は名作に学べ』を読んだ

生きる技術は名作に学べ (ソフトバンク新書)
伊藤 聡
ソフトバンククリエイティブ
売り上げランキング: 548

 Parsleyが「あぁこのひとみたいな文章が書けたらいいのになぁ」と思っている二人のブロガーのうちのお一人、『空中キャンプ』様、初の商業出版での単著。

 個人的な話からはじまって恐縮だが、さいきん私は、新書・新書・ビジネス書・新書…みたいな読書をしていた。それぞれの本は実りがあって面白いものばかりなのだけれど、正直なところそんな本のチョイスをしている自分に嫌気がさしていた。なんだが、佳い読書じゃない気がしていた。
 それだけに、トーマス・マンの『魔の山』の章で、「読書」そのものをテーマなさっていることにはっとさせられた。「わたしはこれから、『魔の山』を読むから先に帰るね」。ああ、そんな「反社会的な読書」を、Parsleyもしてみたい!

 筆者が書き手としてとりわけすぐれているのが、チャプター一つ一つに、まっすぐと芯が入っていることだと思う。
 カミュの『異邦人』は「自己の欠如」、ヘッセの『車輪の下』は「人に甘えられない辛さ」、トゥルゲーネフ『初恋』は「父性の超克」、『アンネの日記』は「生の輝き」、ヘミングウェイ『老人と海』は「男性性」、サマセット・モーム『月と六ペンス』は「常識から逸脱」、『ハックルベリイ・フィンの冒険』なら「社会との折り合い」、スタンダールの『赤と黒』なら「若さ」、そして、オーウェルの『一九八四年』は「ディザスター(破滅)/ディストピア(反桃源郷)」…このようなテーマが一貫して流れている。洒脱な筆致とは裏腹に、レールから脱線することがない。
 そういえば、筆者が昨年春の文学フリマで発表した『下北沢の獣たち』(拙エントリー参照)も、「自由の限界と希望」という主題が、収録された三つの短編に流れていた。

 筆者は、こうした名作を読むのは、「18歳までに限定されている」とまえがきで述べている。
 自慢だけれど、私は本書に収録されている10作品全てを高校卒業までに通読していた「最終列車を逃さなかった」クチだ。
 だけど、本書を読んで思い出すのは、当時の私が、こうした作品を「読んでいる」そのものをステイタスとしていた、ということだ。読んだという「事実」がだいじで、ほんとうに作品が血肉となって沁みこんでいなかった。
 だから、深町秋生先生がおっしゃるように(参照)、大人になって知識を得てからはじめて解かることも沢山あることに気付かされる。

 なんだか本書を読んでいるうちに、本書で紹介されている作品だけでなく、ほかの名作たちにも触れたくなってきた。
 生きることが、死ぬまでの暇つぶしと考えれば、より贅沢な暇つぶしにしたい。(そういえば『ココロ社』様の『超★ライフハック聖典』も、ライフハックに見せかけた人生の暇つぶし術の本だった)
 2010年を生きる身、仕事やらお出かけやら乙女男子道の追及やら、何かと忙しいふりをしないといけない毎日だけど、折を見て「なんだかよくわからない時間の使い方」に、チャレンジしてみたいと思った。

 ちなみに、『ぼんやり上手』様のイラストでは、『車輪の下』がお気に入りです。車輪もユーモラスだし、押しつぶされているハンスが泣いているのがなんだか愛しい。

 

日本インターネット報道協会についての訂正

 前回、日本インターネット報道協会についてメールで問い合わせをしたことのご回答を掲載させて頂きました。

 日本インターネット報道協会にメールしてみた。

 この件に関して日本ビデオニュース株式会社の神保哲生氏より、一点訂正がある旨の連絡があり、またサイトの方も修正されているようなので、拙ブログでも公開します。
 訂正部分は、下記。

 (2)「賛助会員」について、サイトに表記がないようですが、どのような手順を持ちまして資格を得られるのでしょうか。

 11月の幹事会で決定された現在の会員の種別は、以下の通りとなっています。
 (1)正会員(会費12万円/年)
 (2)個人会員(会費1万2千円/年)
 (3)賛助会員(法人・団体は12万円/年、個人は1万2000円/年)

 先日メールでお答えした会員の種別に、正会員(法人)とは別に個人会員というカテゴリーを新たに設け、個人会員についてはより多くの方に会員になっていただけるよう、正会員(法人会員)とは異なる会費を設定した点が主な修正点です。

 また、その際に<会員の定義>も以下のように決められています。

 <会員の定義>
 本協会の会員は、正会員と個人会員、賛助会員によって構成する。
 (1)正会員は、報道のコンテンツを自ら作成し、公衆ネットワークで配信する法人を対象とする。
 (2)個人会員は、報道メディアに自作のコンテンツを提供する実績を有する個人を対象とする。
 (3)賛助会員は、本会の趣旨に賛同し、会の運営に協力する法人、団体、個人を対象とする。

 しかし、毎回思うのだけど、サイトの修正・変更点があった際や、新規の表記のリリースがないというだけで、組織としてどうかというふうに感じざるをえないよね。人手が少なくて大変だということは分かるけれど。
 ついでに言うと、神保氏からのメールには代表幹事竹内謙氏から協会としての正式なご返答を頂けるようにご手配頂いたのだけれど、1月21日現在ご連絡がないことも、この場を借りて報告させて頂く次第です。

 それにしても、協会に何か変化があるとわざわざエントリー起こしているなんて、まるで協会専属の広報ですか私(笑)。

『金融恐慌とユダヤ・キリスト教』を読んだ

金融恐慌とユダヤ・キリスト教 (文春新書)
島田 裕巳
文藝春秋
売り上げランキング: 16496

 献本を頂きました。ありがとうございます。

 宗教学者島田裕巳氏が、経済と宗教との関わりについて追った野心作。
 「100年に一度の危機」と2008年の金融危機当時のアラン・グリーンスパンFRB議長が述べたことの裏にキリスト教的終末論があった、と指摘する。しかし、実際には1929年の大恐慌の時のような経済システムそのものが破壊されるような事態には至っていない。要するに、「100年に一度」というのは大げさで、そう捉えてしまった経済学者たちの心象に、「ノアの箱船」や「バベルの塔」といった神の怒りによる「世界の終わり」が透けてみえる、というのが、筆者の見解になる。
 アメリカ最大の保険会社であるAIGがリーマン・ショックで公的支援を受けた後に、多額のボーナスを受け取る幹部たちが大勢いたことを「神の怒りが自分に向かうのを恐れ、報酬を当然のものと考え、自分たちだけ箱船に席を確保しようとした」としている。
 ボーナスを貰う破綻企業の幹部たちが身の保身を図ることが「箱船のチケット」だったのかどうかはよく分からないが、基本的にアメリカ人がユダヤ教あるいはキリスト教の影響を色濃く受けていることは事実だろう。

 また、第四章ではアダム・スミスが『神の見えざる手』という表現は、『国富論』にも『道徳感情論』でも一度も使われていないということが指摘されている。つまり、スミスの読み手の側が、「Adam Smith’s “Invisible Hand of God”」とキリスト教・ピューリタン的に受け取ってしまったために、誤解釈されてしまったということが強調されている。

 ほかにも、マルクスの思想が終末論を内包していること、ケインズ経済学が難解ゆえに「伝道者」たちによって浸透していることなどを例にしており、「神学と経済学は似ている」とまで述べている。

 宗教学も経済学も専門的に勉強していない身なので、本書に反駁をするのは難しいが、一つ違和感を覚えたのは、小泉純一郎政権での「構造改革」について、「輸出産業のとくに大企業のみを潤すもの」で、「市場原理主義の悪例」とされていることには、「えっ、そうだったっけ??」と思わざるを得なかった。
 また、イスラム金融の無利子銀行を代表としたシャーリアに厳格な信仰・倫理・道徳に基づいた経済観について、西欧流の資本主義に対する批判と評価しているが、おそらく本書脱稿後に発生したドバイショックで、それもどうだかなという感じを受けるはずだ。
 日本が、「神なき資本主義」として、物づくりが好きなな国民性から金融資本主義にのめり込んで強欲に成りきることは出来ない、というのも牧歌的に過ぎないか、と疑問を持ってしまった。

 しかし、本書が知的好奇心を刺激される一冊であることは間違いない。
 個人的には、高校生のときにわけも分からず読んでいたマックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を再読してみる気になった。ちょうど、日経BPから新訳版も出ることだし、来月くらいに挑戦してみることにしようかしらん。

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(日経BPクラシックス)
マックス・ウェーバー
日経BP社
売り上げランキング: 3962

 

日本インターネット報道協会にメールしてみた。

 昨年9月の外務大臣記者会見開放より、定期的に日本インターネット報道協会に関して、ウォッチしてきたParsleyですが、協会メアドだけでなく加盟各社に連絡をしてみた末に、なんとか直接コンタクトを取ることが出来ました。
 これまでの経緯は、拙エントリーは下記を参照頂けますと幸いです。

 「日本インターネット報道協会」は実態があるのか
 大臣記者会見開放ハッキングなう!
 『日本インターネット報道協会』のHPができていた

 各社に私がお送りしたご質問は、以下の通り。

 (1)個人入会の場合の資格条件、入会申し込み書の体裁および記載事項などは、団体サイトに表記がないようですが、どのような手続きを経る必要があるのでしょうか?
 (2)「賛助会員」について、サイトに表記がないようですが、どのような手順を持ちまして資格を得られるのでしょうか。
 (3)団体が発足してから、日刊ベリタ様が外れ、ドワンゴ様が会員になっています。両団体の退会・入会年月日を教えて頂けますでしょうか。
 (4)団体の今後の活動予定、方針等につきましてはどのようにお考えでしょうか。

 お答え頂いたのは、日本ビデオニュース株式会社神保哲生氏。皆様ご存じのように、神保氏は過去20年以上に渡って、記者クラブ問題に取り組んでいらっしゃる方。ご丁寧な返信、ほんとうにありがとうございます。

 まず、(1)について。

 現時点で特に申込書などは作成しておりません。基本的に協会への加盟を希望する旨をメールでお送りいただければ、必要に応じて情報の提供などのお願いを協会側からすることになると思います。
 また、加盟の要件ですが、ネット上には実に多種多彩なメディアがあるため、インターネット報道協会として、この条件を満たさなければ会員にはなれませんというような、一律の会員資格条件というものは設けておりません。基本的にはケース・バイ・ケースでの対応ということになります。(話を透明にするために、当初一律の基準を作ろうとしましたが、あまりにも難しかったため、結局断念しました。)
 ただし、基本的には協会ウエッブサイトの「会の構成」の欄にありますように、「報道のコンテンツを自ら作成し、公衆ネットワークで配信する法人または個人」(正会員)と、「本会の趣旨に賛同し、会の運営に協力する法人または個人」(準会員)が会員資格を有するということになります。

 次に、(2)。

 協会発足当初、「正会員」「法人会員」「個人会員」「賛助会員」「準会員」など会員籍の表記にばらつきがあり、少々混乱を招いた面がありましたので、2009年11月の幹事会で会員籍を「正会員」と「準会員」の2種類に統一いたしました。そのため賛助会員という会員籍は無くなりました

 ※私がこの質問をしたのは、JANJAN竹内謙代表からは「本協会は、正会員と個人会員、賛助会員によって構成することになっている」というご返答を1月8日の時点で頂いていて、サイト上に記載がないことを指摘したものだった。竹内氏と神保氏とのご返答には食い違いがあるが、どうやら神保氏のご説明の通りと受け止めた方が正確っぽい。

 そして(3)。私が同協会のサイトを見た時は記載がなかった、株式会社ドワンゴが年明けに覗いた際に会員リストに名を連ねていてびっくりしたのだが、さらに驚きの事実が!

 日刊ベリタは発足段階では賛助会員(現在の準会員)として登録されていましたが、その後1年超を経た現段階でベリタより会員籍の更新の申し入れが当協会に届いていないため、現在日刊ベリタは会員登録はされていません。そのため、特にベリタ側から退会手続きが取られたわけではありませんが、会の発足から1年後の2009年7月31日が退会日ということになります。

 今年に入ってからドワンゴ、ライブドアの2社が当協会への正会員登録をしています。この2社は2009年10月27日の幹事会で正会員としての加盟を承認されましたので、正式な入会日もその日ということになります。

 えーーーっ!ライブドア!!マジでーーー!!!
 確かに、ライブドアはオリジナルでニュース配信も行っている。だが、ブログサービスもしているし、BLOGOSのようなネットでのコラムを集めてニュースとして扱っている。つまり、Livedoorのサイト上に掲載されたことのある媒体・個人は、「ジャーナリスト」として外務省・総務省の会見に参加資格が生じる、ということ??
 これは、両省に後で確認する必要がありそうだ。

 (4)に関しては、「竹内代表幹事のからお答えするのが適当」ということだったが、神保氏個人のご見解と断られた上で、次のようなお言葉を頂戴した。

 (前略)
 報道を目的とする事業者並びに個人は、基本的に誰でも政府の記者会見には無条件で参加できるようになっているべきだというのが、私の強い信念でございます。

 当協会としましては、ネット上で報道事業を営む事業者、もしくはネット上で定期的に報道活動を行うフリーランスの記者の情報源へのアクセスを確保し、彼らがより取材がしやすい環境を整備するために、できる限りのサポートを提供していきたいと考えております。とは言え、まだできたばかりの、専従職員もいない小さな業界団体ですので、当面は微力なサポートになっってしまうかもしれませんが、今後会員間の情報交換や親睦、シンポジウムの開催などを通じて、徐々に活動内容を充実させていきたい所存でおります。

 ただ、お言葉を返すようだけど、同協会へのアクセスに私が四苦八苦したことを考えると、とても「開かれた」組織であるようには、外野からは見えない。専従の担当がいらっしゃらないという事情はあるだろうが、現状では、新聞・雑誌協会と同じような、既得権益を主張する圧力団体になる危険性があるように感じられる。
 だからこそ、自分のような木っ端ブロガーが継続してウォッチしている意味があるとも言えるけれどね。

 しかし、ライブドアがいつの間にか加盟していたことには、本当に驚かされた。
 次のミッションは、外務省・総務省への記者会見参加手続きが出来るかどうか、だな…。

 <追記 2010/1/21>

 神保氏より、協会会員の定義について訂正のご連絡を頂きましたので下記エントリーもご参照下さい。

 日本インターネット報道協会についての訂正

ライフハック本に頼らない生き方のために

 2009年最大の奇書が『結局、女はキレイが勝ち。』だとするならば、2009年最大の快著として躊躇なく推したいのが、『ココロ社』様の『超★ライフハック聖典』だ。

 まず何より、表紙と、綴じ込みのマンガである。
 迷える現代のサラリーマンが集まる中、レッツノート風のノートPCを携えたライフハックの女神様が降臨される。
 そこでありがたくご宣託くださるのだ。
 

 あなたたちの本棚にはライフハックの本とか自己啓発の本とかたくさんあるでしょ
 これからもずっとライフハックの本を買い続ける気なの?
 無駄よ
 あなたたちはそれらに書かれていることを実践しているの?
 「いつか使うぞ!」と思いつつ いったい「いつ」使う気なの?
 解決方法を授けてあげるわ
 そんな本は捨てておしまいなさい
 古くからある三つのことわざ これで十分……

 この三つのことわざというのが、「情けは人のためならず」「人のふり見てわがふり直せ」「善は急げ」なのだが、詳細は本書をお読み頂くとして。
 とにかく素晴らしいのが、本書の存在自体が、ライフハック・自己啓発本のあふれた現在の出版・大型書店シーンへの、新鮮な批評となっているところだ。ライフハック・自己啓発本が売れる理由は「実効性がありそうに見えるがあまり実効性がない」からで、読者が現実のシーンで活用のフェイズに移る前に新しい本を買ってしまうというマッチポンプだと明記している(29-30P)。

 本書の最後で「超★ライフハック」が最後に到達するのは、「生きることそのもの」をエンジョイする境地、とある。この根底にあるのは、著者のいい意味での事なかれ主義というか、保守性が垣間見える。
 ただ、現実は5年前まで超優良企業とされて学生が入社したいナンバー1だった航空会社が、会社更生法を適用を表明して株価がわずか7円になる時代。そんな中、大学受験に志望校に一発合格⇒志望企業に一発入社⇒のらりくらりと定年まで勤め上げる⇒幸せな老後…な~んてライフプランは、絵に描いた餅というものだ。
 また、会社も昔のように「人を育てる」という意識を失いつつある。ダイヤモンドオンラインの連載によれば、経営陣や人事担当が「求める人材は石川遼」と大真面目におっしゃるみたいだし(参照)、中小企業のコンサル会社さんによれば「社員が自分で『育つ』」ようにする環境作りが大事だ、としている(参照)。こんなふうだと、周囲に頼ることも出来ず、だからこそビジネス書に答えを求めようとするひとが後を絶たない理由にもなっているのだろうけれど。

 つまるところ、高度成長期に比べて「生きること」の起伏が、激しくなっている。自らのスキルアップは自らで何とかしないといけないし、倒産とか失業とリストラとかに直面したとしても、それを「エンジョイ」しなければならないわけだ。これって、結構キビしいよね。

 Parsley個人の話をすると、いくつかの会社を転々とすることで、いろいろなひとと出会って、様々な業界に首を突っ込むことが出来た。その間に得たスキルと知識は、決して無駄にならないし、活かすも殺すもじぶん次第だと割り切れる境地に、ようやくなることが出来たところ。綱渡りも、それなりに楽しもうと思えば楽しめる。

 それだけに、筆者の、『人生という名の「暇つぶし」を楽しんでいきましょう。』というセリフに、超共感する。
 個人的には、「迷えるアダルト」だけでなく「迷える子羊=大学生」の方々にも、読んで頂きたいな。そして、人生をいい意味で「舐めて」もらいたいと思う。

『(500)日のサマー』を観た。

 inumash様よりお誘いを受けて、岡俊彦さんご提唱の『(500)日のサマー』観賞&オフ会に、公開初日の9日に行って参りました。ご両名にはこの場で御礼を。楽しいひと時をありがとうございました。

 運命の恋を夢見るトム(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)が一目惚れしたサマー(ズーイー・デシャネル)。彼女は、真実の愛なんて信じない、誰かの所有物になりたくないという信念の持ち主だった!そんな彼と彼女の500日を、トムの主観で行ったり来たりしながら、本作は進んでいく。
 個人的には、トムがサマーを美化していく様子が可笑しく感じてしまった。あー恋愛を過度に崇めると、こんな感じになっちゃうよねぇ。だから、「気楽な関係」にも耐えられなくなってしまい、「僕達の関係をはっきりさせてくれ!」と言っちゃう。岡さんもご指摘だけど(参照)、一度も「I love you」と伝えられずじまいだったりもして、そのあたりのヘタれなところ、妙にリアルだったりするよなー。

 一方、サマーは終始トムの視点で描かれているので、時にエキセントリックに見えちゃったりもして、そこが誤解されやすいのだけど、Parsley的には常識の範疇に収まる程度の気まぐれさだ。行間の端々に、自分のことを「運命の女性」だと見られていることに対して重く感じているような描写もあったりして、とにかくズーイ―・デシャネルの好演がまばゆい。

 最終的な、彼女の「選択」と「気づき」も、トムと付き合うことがなかったなら出来なかったこと。トムにとってはツラい結末だけど、彼自身も「運命」を「偶然」の積み重ねと、サマーとの500日で気づき前に進むことが出来たのだ。

 ちなみに、Parsleyのお気に入りは、トムの妹レイチェル(クロエ・グレース・モレッツ)。トムが恋愛相談出来る異性が彼女だけだというのが可笑しいし、彼女がすごくしっかりしているというのもかわいい!

 ザ・スミスをはじめとするサントラも素敵です。ご鑑賞の際は是非こちらもおすすめ。

(500) Days of Summer
(500) Days of Summer

posted with amazlet at 10.01.10
Original Soundtrack
Sire/London/Rhino (2009-09-21)
売り上げランキング: 353

2009年最大の奇書『結局、女はキレイが勝ち。』

結局、女はキレイが勝ち
勝間 和代
マガジンハウス
売り上げランキング: 483

 思うに、10年後には黒歴史になっているであろう、「経済評論家」「公認会計士」勝間和代女史の語る「キレイ」について綴られている『結局、女はキレイが勝ち。』。本書をエントリーで取り上げるか、読了してから一ヶ月以上悩んだが、彼女のような立場のひとが「キレイ」というものを定義づけようと試みたこと自体、批評に値すると思ったので、やっぱりつらつらと記してみることにした。

 本書のポイントは、ざっくり言って二点ある。

 1、読者対象は、カツマー予備軍の20~25歳女子である。
 2、カツマー=キレイである。


 まず一点目。最近特に勝間女史が強調している35歳独身限界論。簡単に言えば35歳までに結婚しておかないと、自然妊娠が難しくなるし残りものしか相手が残されていない、ということなのだけど。この論自体の批判はひとまず後回しにする。
 「キレイのために知っておきたい12のルール」の「原則2・幸せの定義を決めよう」で、30歳まで働いて子供をひとり産む⇒35歳まで子育て⇒37歳で仕事復帰というプランのためには、22歳頃から準備が必要だと説いている。25歳くらいから婚活をしないと、間に合わない。早めに前倒しで準備しておかないと、プランがプランで終わって実現出来なくなってしまう、と説く。
 つまり、アラサー女性は、既に上記のような「幸せ」を望むには遅すぎるのだ。
 ここだけでなく、「20代女子は~」という語りかけは何箇所も出てくる。
 したがって本書が狙っている読者層は、上昇意識のある女子大生・大学院生・一流企業入社数年目のOLといったあたり。25歳だと、あわてて婚活やスキルアップにつとめればなんとか間に合うレベル。30歳になると、完全に対象外になってしまう。

 次に。「キレイ」の定義については、冒頭に述べられているので引用してみる。

 ここで言う「キレイ」の定義は、外見だけでなく、内面もキレイであることも差します。
 さらに言うと、外見の「キレイ」な人というのは、顔立ちとかではなく、お化粧やヘアスタイルやファッションにちょっと気を使い、笑顔を忘れない人のことです。
 (中略)
 外見をキレイにして、内面を高めていけば、仕事も、恋愛や結婚も、お金でも幸せになっていくことが出来ます。

 その上で、キレイにことの効能として、他人が親切になる、自分も親切になれる、キレイになる努力をすれば他のことも努力できる、という点を挙げている。
 いやいや、そうとは限らないでしょ、と思ったひとは、本書を読む必要はない。ここで、「あ、そうかも」と少しでも思ったひとが、ページをめくる資格がある。
 私が読む前に疑問だったのが、独立した個を確立した女性の象徴である著者が「キレイが勝ち」ということで、既存の「カツマー」が失望したりしないのか、ということだった。
 が、そんなことは杞憂、というか、斜め上を行っていた。常に外見を磨き、スキルアップに余念がなく、子供を産み育て、仕事をバリバリこなす女性こそが、「キレイ」なのだ。カツマー・イズ・ビューティー。もっと言えば、勝間和代はキレイ、というナルシズムで、本書は構成されている。
 その証拠に、参考書として、イネス・リグロン著『世界一の美女の創りかた』(本書と同じマガジンハウス刊)とともに、自著『インディペンデントな生き方 実践ガイド』『起きていることはすべて正しい』を挙げている。

 本書の始末の悪いところは、全てを噴飯ものとして切り捨てることが出来ないことだ。
 <お金編>で説かれている「貯金できない女子は財布に上限3000円」や「美容代、使っていいのは収入の5%まで」といった身近なことから「マンションは買わない。金融資産で持つのが正解」といった大きな額の使い方・殖やし方については流石と頷くしかない。
 しかし、外見の「キレイ」に関する知見に関しては、「まだバブル期脳なんじゃ?」と思ってしまう珍言が散見される。目指すならプリティよりビューティーって、『ワーキング・ガール』のウォール街じゃないんだから、と思うし、男性目線だとスカートの方がウケがいいって、いつの時代ですか、と思ってしまう。「男の人は結局、自分のDNAをいかに残すかという本能に突き動かされる」とか、真顔で言うのは本気でやめて~。
 あと、笑いどころとしては「キレイにはやっぱりHが大事」。「口ではぶよぶよでもいいなんて言ってくれる男の人も、本音の本音はキレイな体が好きなのです」ですって。あのですね、世の中にはフェチズムというものがありましてねぇ、と語りだすとどんどん脱線するので止めておくが、とにかく筆者の男性像の陳腐さには驚く。女性の生き方が多様化しているように、男性の生き方も多様化しているということを、すっかり置いてけぼりにしているようだ。

 さらにいうと、結婚⇒出産⇒仕事というライフデザインに対する揺るぎない信頼が筆者の根底にはある。彼女の示す家族=生活像は、これまでの日本的中流層のライフデザインを「守る」以外の何ものでもない。
 だが、ロスジェネ世代以降の人間からしてみれば、そのような「幸せ」は既に砂上の楼閣に過ぎない。幸せの形も、ひとによって千差万別。必ずしも、結婚することや、子供を産み育てることを「望まない」という生き方を、仕方がなくではなく自発的に選択しているひとが増えているという実態に対しても、筆者は無頓着だ。

 彼女の、経済・金融といった以外でのコンサバな提言がもてはやされる風潮こそが、この国を暗いものにしていると、parsleyとしては感じざるを得ないのだけど。Amazonのレビューを見る限りでは不評なようだが、実際にメインターゲットだったとおぼしき20~25歳女子が本書を読んでどう感じたのかは、ちょっと気になるなぁ。ヘンに鵜呑みにしないといいのだけどね。

 

『PS』2月号を読んだ。

 遅ればせながら、新年あけましておめでとうございます。今年も拙ブログをどうぞよしなに。

 2010年最初のエントリーは、恒例の『PS』のレビュー…なんだけれど、残念ながらあんまり読みどころとして挙げるところは少なかったなぁ。各都市のスナップ特集は、企画は簡単でありがちなのにもかかわらず、誌面作りには手間がかかるので、年末進行のデザイナーさんの悲鳴が聞こえてきそうだった。

 表紙は榮倉奈々。ボーイッシュなヘアスタイルになってもフェミニンなのが彼女の魅力。TOGA PULLAのデニムワンピースは、ショートで女の子らしいスタイルを際立たせるのには絶好のアイテムなのでは?

 今月の「○○男子」は「”すぎる”男子」。エクセレントな体や雰囲気を、魅力的に表現している男子、だそうな

 挙がっているのは「脚が美すぎる男子」「瞳がビー玉すぎる男子」「肌が美白すぎる男子」「顔が小さすぎる男子」「ペットが似合いすぎる男子」「サラサラヘアすぎる男子」「笑顔に癒されすぎる男子」…と、これまで美少女・美女の特性とされてきた要素が数多く並ぶ。その中に、唯一「男らしすぎる男子」として「肉食男子」も紹介されているのだけど、浮いている上にどこが肉食だかよく分からない。正直いらなかったんじゃ?

 また、2Pのみながら「盛るガールvs森ガールのすみっこ対決SNAP」という特集が。森ガールはまあいいとして、「盛るガール」って何ぞや? 「TOP SHOPやH&Mに行くけど109も好き。憧れは”ゴシップガール”のセレブな世界観」って、要するに古典的なギャル像ですね。エクステ・スパンコール・ネイルがとにかくキラキラしていると。
 もっとも、街を歩いている感覚でいえば、森ガール的ファッションよりもギャルの方が圧倒的に数が多いから、こういう対置に無理やり別称を与えるのも分からないでもない。

 気になったのは、四色ページの映画紹介が『(500日)のサマー』だったこと。Parsleyはまだ未見なのだけど、ストーリーとレビューを見る限り主人公は相当な乙女男子!! ちょっと期待しています。