『名言力』を読んだ。

名言力 人生を変えるためのすごい言葉 (ソフトバンク新書)
大山 くまお
ソフトバンククリエイティブ
売り上げランキング: 67825

 『○○力』というのは、実にタイトル映えするタイトルだ。近年だと、渡辺淳一氏の『鈍感力』が話題になったし、最近では勝間和代女史が、『断る力』『まねる力』と立て続けに出版している。
 その上で、○○の中が「名言」とくる。これもまた、バズワード。ギリシャ・ローマ時代の哲人からドラえもん、ガンダムまで、今、書店では沢山の名言集が並んでいる。
 筆者はまえがきで、「年長者の口から大切なことを言葉で伝えていく昔ながらの伝統は、一度断ち切られた」と述べ、「親や教師や上司たちが伝えなくなってしまったことを、今の時代にあわせてまとめられるのではないか」というのを執筆の動機に挙げている。
 そして、「名言」を「実践」すること、頭の中で咀嚼して自分の栄養にすることで生まれる力のことを「名言力」と定義づけている。
 その上で、「あとがき」で、「名言力」という言葉の持つ、もう一つの意味、について述べている。

 それは、名言を探し出す力、でした。氾濫する文字の洪水の中から、自分にとって栄養になる言葉を見つけ出し、その意味を考えること。これが、僕がこの本を執筆する間に身につけたもう一つの”名言力”でした。

 言い換えると、これは数多くの書籍やWebの文章、テレビから流れてくる言葉を、いかに「つまみ食い」出来るか、ということになるだろうか。綺麗な言葉を使うなら、「編集力」と呼んでもいいかもしれない。
 その点、本書は最初に登場するスティーブ・ジョブスから掉尾を飾る太宰治まで、仕事、生活、人生といったシーンごとに沁み込む言葉が分類されていて、さながらデパ地下の試食コーナーのよう。250もの名言が、発せられた出展から抽出する労なく味わえことを考えれば、かなりお得な一冊といえるだろう。

 筆者は、「ここから先の名言は、あなた自身で探し出して下さい」とある。幸いにも、今は「名言」があちこちで無数に生まれているし、「言葉」を簡単にWeb上にpicできるサービスが沢山ある。特にTwitterはてなブックマークのコメント欄は、名言の宝庫。それを素早くTumblrにシェアしよう。ダッシュボードで見つけた「名言」は迷わずReblog!
 ただし、あまりに簡単にピックアップ出来てしまうので、そのまま放置しがち。時にはさかのぼって振り返ってみましょう。そうして、「名言」をほんとうの自分のものにしていくことで、生きづらい世の中をサバイバルしていきましょう。

 本書も忘れた頃に再度読むと、また新しい発見がある、「スルメ本」の予感がする。
 ものごとをeditする力を養いたいというひとには、特におすすめの一冊。

午前3時のライター達の絶望と希望

 ■これまでのあらすじ
 月刊誌『Voice』「goo」の連動企画で記事を書かせて頂いたParsley。(参照
 評判も上々で、さぁここからどう展開していこうか、思案を巡らせるが…。待っていても、一向に仕事のお話は来ない。
 『乙女男子研究所』も好評を得つつもひと段落ついた状態で、書く媒体がない!
 そんな落胆の気持ちを、『週刊メルマガクリルタイVol.0』で、つい「むなしい」とこぼしてしまう。
 すると、思わぬところから反応が!

 gotanda6 パセリさんのむなしさについては、今度会ったときにでもじっくり語り合いたい。参照

 一体2009年のキーパーソンことgotanda6先生は、Parsleyに何を伝えたいのだろう? 『夜のプロトコロル』の打ち上げの席でじっくり、お聞きすることが出来た。

 ■コンテンツの質が仕事を呼ぶという幻想
 簡単に言って、記事/作品の内容に対する評価が、仕事の依頼につながることはほとんどない。それぞれが、別の論理が働いて、そのような齟齬が生まれる。
 聞くところによると、『盗作の文学史』で第62回日本推理作家協会賞を受賞した栗原裕一郎先生でさえ、書き下ろしのお話ばかりでなかなか連載の依頼は舞い込んでこないのだという。
 では、仕事の依頼につながるものは何かといえば、結局のところ旬のネタに対する専門性だとか(『ココロ社』様はこちらを読むと戦略的にやっていらっしゃるのが分かる)、もっといえば編集さんの趣味。要するに人脈がモノをいう世界なのですね、とにかく。
 あと、ニッチすぎるネタでそれなりに絞って書いても、仕事にはつながりにくい。ある程度のパイのある題材で「書ける」か、ということもポイントになる。

 ■出版の「3Cモデル」
 前の拙エントリーで取り上げた佐々木俊尚氏の『2011年新聞・テレビ消滅』で、メディアの構造を「コンテンツ」「コンテナー」「コンベアー」に分ける3Cモデルが登場した。
 これを、出版に当てはめようとすると、立ち位置で微妙に変化することに気付く。
 例えば、記事の書き手からすれば、以下のようになるだろう。

 コンテンツ=記事(ライター/編集プロダクション)
 コンテナー=雑誌・書籍(編集者/出版社)
 コンベアー=取次⇒書店

 これが、出版社を「コンテンツホルダー」とすると、以下のように変わる。

 コンテンツ=雑誌・書籍(編集者/出版社)
 コンテナー=取次
 コンベアー=書店

 つまるところ、個々のコンテンツは、出版社が握っている、という構造だということ。そして、流通である取次が異様に強さを誇っているということ。売れない雑誌・書籍に取次は一切容赦はしない。
 この世界での上流部=コンテンツアグリゲーターの弱さは、現在のアーキテクチャを採用しているうちは、解消されない問題と断じて構わないだろう。

 ■自分の出来る範囲で、勝負する。
 republic1963様は、メルマガを発刊するに当たって、次のように記された。

 私は自分たちが利用できるコミュニティなりメディアを持ちたい、という理由で奇刊クリルタイを発行してきて、その延長として今回メルマガを出す事にした。インターネットというツールは時間も場所も超えていけるはずで。単純に誰かを追い落とすとか時代遅れだとか人脈だとかそういう事ではなくて、面白いか、面白くないかで勝負したい。

 幸い、マネタイズという要素を無視するならば、自前のメディアを無料で簡単に作れる時代を、私たちは生きている。3Cのうちのコンテンツ製作者が、残り2つのコンテナー・コンベアーを自前で行ってしまえる、「同人誌」というスタイルも定着している。
 あとは、いかに「お金」にするか、という問題と、世間からの「承認欲求」をどのように満たしていくのか、という問題が出てくる。前者はひとまず置くとして、後者は意外と根深い問題だ。「雑誌に掲載されました」「単著を出しました」というフレーズに「名誉」という要素が含まれているうちは、その頂を目指す者はあとを絶たないだろうし、現状のアーキテクチャーもなかなか崩れないだろう。

 それでも、竹熊健太郎氏がおっしゃるような、「町のパン屋さん」のような出版社を作って、1000人前後の顧客=コミュニティを維持していく、といったビジネスモデルを目指していくことが、物書きにとっての一縷の希望なんじゃないかな、と思う。
 そうやって、地道に、自分の出来る範囲で勝負していく。前向きに、上を向いて進んだひとが、最後まで立っていられるに違いない。今はそう思っていたい心境です。
  God helps them who help themselves.(天は自ら助くるものを助く)

盗作の文学史
盗作の文学史

posted with amazlet at 09.07.30
栗原裕一郎
新曜社
売り上げランキング: 234549

『2011年新聞・テレビ消滅』を読んだ。

2011年新聞・テレビ消滅 (文春新書)
佐々木 俊尚
文藝春秋
売り上げランキング: 414

 献本を頂きました。ありがとうございます。
 「米国ではNYタイムズでさえ倒産寸前。同じことが日本でも必ず起こる」とオビにあるように、本書では新聞・テレビのビジネスモデルの崩壊が、日本では2011年に起こる、としている。
 「2011年」の根拠は? というと…。新聞の場合は「アメリカで起きたことは、三年後に必ず起こる」ため。テレビは、アナログ波の停波による完全地デジ化と、情報通信法の施行により、業界構造の転換に迫られるため、としている。
 このパラダイムシフトの説明に関して、本書では、メディアビジネスが「コンテンツ」「コンテナ」「コンベア」の三層構造であることを示し、現状、新聞・テレビがその全てを握っている垂直統合モデルが分解され、水平分散に移行しはじめている、と述べている。このテーマと「3Cモデル」は何度も繰り返され、なおかつ分かりやすい。

 ただ、2011年という予測に関しては、日米の新聞・テレビのビジネスモデルの違いがあるので、根拠としては弱いかなぁ、というのが正直な感想になる。新聞の場合、広告収入への依存度が高いアメリカに比較して個配制度に守られている日本の新聞の足腰は(弱っているとはいえ)馬鹿に出来たものではない。テレビに関しても、既に垂直統合モデルでなく、コンテンツ制作会社が強いアメリカと比較するのは無理があるように思える。

 とはいえ、「第4章 プラットフォーム戦争が幕を開ける」の最終ページで、「われわれにとって最もよいメディア空間はどのようなものか? それはどうすれば構築することができるのか?」「新しいメディアをまじめに考える時がやってきた」というのは、全力で同意しなければならないだろう。

 ちなみに、個人的には新聞・テレビ産業がなくなることに対しての影響、ということに思いを馳せながら読み進めていた。
 例えば、野球のように、新聞(高校野球)・テレビ(プロ野球)のつながりの深いスポーツはどうなってしまうのだろう? 「○○新聞杯」といった競馬の重賞はどうなっちゃうの? 書評が紹介されることで、実店舗での動きに繋がる出版界は? 囲碁や将棋の世界は維持していけるのか? 新聞社が後援している美術展などはなくなってしまう運命? 新聞奨学生といった制度がなくなった時に、貧乏学生はどうすれば上京物語の主人公になれるのだろうか?
 そういった、文化コンテンツを支えるパトロンとしての役割は、一体誰が継承していくものなのだろうか?
 おそらく、本書の筆者の仕事ではないと思うのだけれど、そういったことにも、誰かが考えはじめてもいい頃なのかもしれない。

 
  

「若者を選挙に」ってどれだけ本気なの?

 最近、京浜東北線に乗っていると、ドアの上のビジョンに、「投票全体の20代の占める割合は9%で50代は20%。だから若者の声が政治に届かない。みんな投票に行こう!」といった趣旨の啓発CMがさかんに流されている。たしか、明るい選挙推進協会のものだったと思うが、ちょっとうろ覚え。

 このような、若者の投票率向上の為のプロジェクトって、幾多も行われている。のだけど、一体どこまで本気なんだろう、といつも穿った見方をしてしまう。
 はっきり言って既存の党・労組などの集票機関を維持するためには、既得権益を守るための政策を、少なくともどぶ板レベルでは示さなければならないし、その外側にいる浮動票は少なければ少ない方がいいに決まっている。で、あるならば、森元総理の「寝てもらっている方がいい」というのが、本音ベースでは政財官の共通項なのではないか。
 そんなわけで、総務省や選挙管理委員会レベルでの啓発活動は無駄金使っているんじゃない? …と感じてしまうのが正直なところだったりする。

 では、勝手連的に行われている運動が、信頼に値するかといえば、そうは言い切れなくて。
 『アンカテ』様のエントリーで紹介されていた、「i-vote」に関しても、うーん微妙と思わざるをえなかった。
 この微妙さを、もっと深く掘り下げてみようとすると、運営側のメンバーが、どれだけ継続的に運動にコミットしていく意志があるのか、見えないところにある。今回の選挙まで?大学を卒業するまで?30歳になるまで?
 あえて下種なことを書くならば、就職活動の際の履歴書に書く項目が増える、程度の意識で活動しているメンバーがいても何の不思議もない。まぁ、非難するには当たらないけれどね。行動力を示すというポジティブさが評価されるのは当然のことだから。
 なぜこのようなことを書くかというと、2005年の衆院選でも「マニフェスタ」「投票ラブストーリー」といった若者による選挙啓発サイトがオープンしたが、現在まで継続して活動しているところがない、という事実があるから。(参考
 つまり、選挙がある度に、選挙に行くこと自体を目的にした啓発サイトは何度も立ち上がっているのだけれど、選挙後には活動を停止しているということでは、社会的には意味がないに等しくない? と、いうのがParsleyの意見。

 個人的には、「選挙に行こう!」という掛け声だけではなくて、選挙の争点を強引に決めてしまう、くらいのことはやってしまうべきだと思うんだよね。例えば、「北朝鮮有事の際の先制攻撃に賛成か反対か」といった質問を全議員に送りつけて公開してみせる、とか。
 2005年の選挙がなぜドラスティックだったかといえば、「郵政民営化に賛成か反対か」というシンプルな争点だったから。2007年の投票率が37%だったというが、2005年の時は約46%。この9ポイントの差は「劇場的選挙」だったという要因が間違いなく働いている。
 だから、若者だけでなく、全体の投票率を上げたいのならば、このような分かりやすいアジェンダ設定をすべき。もちろん政党側はそのようなことを百も承知だから、民主党などはしきりに「政権交代」というフレーズを連呼している。
 だが、別に政党側が用意した土俵に乗らなければならないということもない。本気で「若者の投票率を上げる」ならば、何らかの、単純な「争点」を作り出してみせないと現実的にはミッションは達成できないだろう。
 要するに、「選挙に行こう!」というセリフは使い古されすぎて効力はないので、次の一手を打たないと意味ないぜ、と言ってあげるのが、年長者の役割なんじゃないか、と思うわけなんですよ。

 ちなみに、Parsleyは、従来より一貫して「地方分権」と「行政改革」「小さな政府」指向の政策の支持者ですので、そちらに重点を置いている候補を国政に送り出したいと考えています。が、どれも今回の選挙の政策では重きをおかれていないのが残念といえば残念。
 だけど、逆にいえば客観的に選挙の動きとかを観察することは出来るな、とも感じてたりもしてます。Youtubeやニコニコ動画、Twitterなどのネットメディアがどう作用するのか。もしかして、マスメディアがキーになる、最後の選挙になるかもしれないし。いろいろ興味深く、ウォッチしていきたいと考えています。

弁当男子と乙女男子

 昨今の「弁当男子」ブーム。昨年末の『東京Walker』に記事が載って以来(参照)、女性ファッション誌でも特集が組まれたり、「弁当男子ブログ」を募集するなどのキャンペーンが目立ってきた。
 確かに、「不景気の影響」「エコ指向」というキーで、弁当男子の増加を語るのは、切り口として悪くない。
 でも、ここで注意したいのは、今回のブームで必ず大きく取り上げられるのは、中身ではなく、弁当箱をはじめとするグッズだということ。
 もともと弁当男子の増加を観測したのが、東急ハンズだということもあり、特に弁当箱に関しては、どこも熱心に商売しようとしている様が透けて見える。
 GMOの『カラメル』弁当男子特集では、まずなにより「弁当グッズ」が上に配置されている(まぁ、ECサイトだから当然なんだけれど)。
 ほかにも「旬」 がまるごと 2009年 07月号 [かつお]でも脈絡もなく「弁当男子の出世弁当箱」という特集を2ページに渡って組んでいた。ちなみに、ここでは出世の「上がり」として、漆塗りの弁当箱(¥45.000)が登場する。中身も見合った食材を入れることが出来ればいいけどね!

 もう一つ。ここ最近で増えたことは事実かもしれないけれど、「弁当男子」自体は前から存在するということも忘れてはならないだろう。手元に『クウネル』の連載をまとめた『私たちのお弁当』では、女性だけでなく大学生・会社員といった男性も混じっている。大昔にも、「弁当派」という男性がいたのかもしれない。

 さて。「乙女男子は弁当男子なのか」という問いに対しては、もちろん「YES」。料理全般が好きな乙女男子ならば、弁当もお手の物でございます。
 個人的に感じているのは、弁当男子のお作りになる弁当の典型例として、のり弁当のような、しょうゆをベースにした味付けが多い印象を覚える。おいおい、これじゃ塩分過多で健康的とは言えません。
 どうせなら、色取りに気を配りましょう。赤・緑・黄の三色が揃うと、栄養バランス的にもだいぶ整う、というのがParsleyの持論。

 私の場合、シーガルの2段のランチボックスを愛用しています。コンパクトで場所を取らず、ごはんとお惣菜を分けて持ち運びできるのがお気に入り。
 レシピは、COOKPADのほか、集英社の『クッキング基本大百科』を参考にすることが多い。特に後者は料理好きも、これから弁当男子になってモテようというヨコシマな考えをお持ちの方も、持っていて損はない一冊だ。

クッキング基本大百科
クッキング基本大百科

posted with amazlet at 09.07.23
集英社
売り上げランキング: 201318

 関係ないけれど、最近ニコニコ動画の『ニコ動料理カテ住人A』様のお菓子作り動画が本気でスゴイ! マジで尊敬します。


結婚キャンペーンと暗黙知

 倉田真由美女史の「できちゃった」話、最初は「結婚するかどうか未定」とか言っていたのに、結局「年末に生まれるので、その前に入籍します」だって(参照)。なんだよすげーふつー。
 結局、子育てをしていくのに、だめんずでも父親が必要という固定観念の方が強い、ということだからなぁ。超ふつー。「だめんずうぉーかー」として、それってどうなの??

 それにしても、6月からの結婚キャンペーンは凄まじかった。特に、小渕優子少子化対策担当大臣の露出が目立った。『FRAU』7月号では堂々2ページのグラビア。ちなみに、同誌ではパナソニックとのタイアップ広告が展開。まさに官・経あわせての「婚活」応援キャンペーンの様相だった。そこに、山崎ナオコーラとかがご本人も陳腐だと思っているんだろうなーみたいな文章をグラビアに寄せている。ここまで、結婚を後押ししていると、結婚を意識していない方でも意識せざるをえないような、そんな作りだった。

 この空前の結婚キャンペーンは当分、治まることはないだろうが、価値観の画一化につながることを、個人的には危惧せざるをえない。「将来の不安のために」なるべく早く結婚する、といった考えで、婚活にいそしむ20代前半女子には、是非とも「みんなのうた」の『せんせ ほんまにほんま』でも聴いて我に返って貰いたいわ。
 過去は、「結婚」というものに対して、陽の部分だけでなく大変な部分をも伝える暗黙知があったはずなんだけど、そういったものは、2chの既女板や、大手小町が引き継いでいくものなのかな?


『クビにならない日本語』を読んだ

 『ココロ社』様の単著。タイトルにも「成果を出さずに平和に暮らす」とあるように、凡百の仕事術・ライフハック本のように、仕事を効率よくこなすことは書かれていない。表紙の裏にもあるように、ロジックではなく感情が渦巻く日本のオフィスで「感じのよい日本語」を使うことでコミュニケーション能力を高めて、平和に長く現在の職場で働いていきましょうという、実に『ココロ社』様らしい指南本だ。

 しかし、parsley的には三ヶ月前、いや一年前に読んでおくべき内容だったと、残念でならない。
 『あなたをクビに追いやる人物は誰か?』で、トラブルメーカーとして挙げられている三タイプ「空気の読めない人」「他罰的な人」「独善的な人」は全部実に覚えがあるし、『会社で長生きできる「報告・連絡・相談」の方法』は、あぁあの時こうしていれば的な反省をせざるを得なかった。だから自分、3年で会社を辞めるのですね!(と、無駄に若者アピール)
 とりわけ、納得したのが『むしろ仕事のじゃまになる「正しい日本語」の知識』。用法としては正しくない「変な敬語」をメールで使った場合でも、不快に感じる相手は少数だ、ということは、目から鱗が落ちた。

 本書には、『悪い印象を残さずにプライベートな時間を確保する』、すなわち休みを取ったり早めに退社するためのテクニックが載っている。苦手とする仕事の回避術や、人に嫌われないための「戦略的な低姿勢」を勧めている。これらを読んで、「これってもしかして21世紀の植木等になるための指南なのかしら」とちょっとだけ思った。成果主義が導入され雇用形態が多様化した現在の職場環境において、少しでも「サラリーマンが気楽な稼業」と感じる為の、ライフハックなのでは、と。

 本書の最後のチャプター、『ライフハックを超える、高度なテクニックとしての「愚直さ」』では、会社にいてOKかどうかの判断は「業績」ではなく「まじめさ」であると説く。「意図的にまじめにやる」のが遠回りなようで、実は一番の近道だと。
 しかし、これって簡単なようでとても難しい。誰でも仕事を(手を抜いていると見せずに)早く終わらしたいし、だからこそライフハック本がこれだけ刊行されているわけだ。そんな中、「戦略的な愚直さ」を演じるのは、『雨ニモマケズ』の人物像くらい、スーパーなように思ってしまった。

 そういえば、当初は「無責任」を売りにしていた植木等主演作品は、年月を経て有言実行型・熱血型のスーパーサラリーマンが主人公の『日本一の男』シリーズへと変貌をとげていった。
 もし、本書のチャプターを全てコンプリートしているのだとすれば、既にそれだけで、給与生活者としてはスペシャルな存在だ。
 別の言い方をすれば、本書を世に送り出した『ココロ社』様の凄味は、そんなところにあるのだと思う。

『週刊メルマガクリルタイ』はじめます。

 何の因果か、乙女男子の私が「3.0」より関わるようになりました『奇刊クリルタイ』が、このたびメルマガをはじめることになりました。
 サンプル版のVol.0に、不肖私が一文を寄せましたので、ご覧下さい。

 週刊メルマガクリルタイ個別ページ

 Vol.1は、7月13日発行で、 republic1963様とMasao_hate様のコラムを掲載いたします。
 Vol.2はマンガ、Vol.3は音楽がテーマとなる予定です。

 このように、「非モテ」という枠にとらわれずに、「面白い!」と思える事象の一端でも切り取ることが出来れば、と考えております。というか、自分が参加している時点で、もう非モテも何もあったものじゃないけどね(笑)。

 登録は、右側サイドバーに購読・解除フォームを設置しましたので、そちらからか、上記個別ページよりメールアドレスをご入力下さいませ。

 

「サブカル」の終わりのはじまり

 この一週間くらい、『STUDIO VOICE』の休刊の報と、その反応をチェックしたりして思ったこと。今回の件が、「サブカルチャー」の終わりのはじまり、なのではないか。もちろん、個別のマンガだったり小劇団だったりミニシアター系の映画などは残り続けるしなくならない。その総称としての「サブカル」という言葉が、機能しなくなり消えていくことになるのではないか、というように思うのだ。

 Parsleyにとっての『STUDIO VOICE』は、年に2回くらい、特集記事の内容に興味をそそられて買う、といった雑誌だったけれど、いつも何が書いてあるのか皆目分からない、という感想を持つ誌面づくりだった。そこで展開されている「言語」で踏まえておくべき「知識」が不足しているからで、そのたびに「ああ自分サブカル村の住人じゃないんだなぁ」と嫌という程確認させられたものだ。

 同誌の場合、「サブカル」を商業として流通させるために、個別対象文化のリスペクトにとどまらず、SF・オカルト・クラブミュージック・ストリートファッション・アングラなどを一緒くたにして楽しむライフスタイル自体を武器にしてきた。読者も、それを「知っている」ということで、周囲との差異化をして、場合よっては密かな優越感を覚えてきた。
 やたら日本にライフスタイル誌が誕生したのは、その差異化競争を煽ってきたためなのだが、ここでは『STUDIO VOICE』と「サブカル」に限定しよう。
 いろいろなジャンルをまたいで、「知っている」ということに対する特権意識。これが『STUDIO VOICE』のサブカルチャーの「核」の部分だろう。編集者や寄稿者は、そのネタとなる題材としての本や映画などを紹介して、読者が後を追いかける。追いかけている者の中から、新たな作り手に「昇格」する者が登場する。こういったサイクルでこれまでやってこれた。
 だが、取り上げるべき対象が際限なく増えて、各ジャンル間の行き来にそれほど興味がないひとが増えるようになって、彼らが定義する「サブカル」は分裂の作用が働くようになった。ある意味それは「文化」への回帰とも取れるが、生活のパッケージとして「サブカル」を売ってきた側からしてみれば、ジャンルの広範囲化と孤島化は歓迎される事態ではなかっただろう。
 部数・読者の減少は、作り手と読み手の接近を意味する。最終的に3万部強という話だから、最後まで残った読者の多くは、何らかの「サブカル」関係者だった可能性が高いように思う。

 今後、同誌がなくなることで、紹介されていたコンテンツが衰退しなくなってしまうのか、といえば、そうはならないだろう。情報の発信手段は無限にあるし、コミケのように数百というパイでも維持出来るモデルを自前で構築するインフラは既に整っている。
 だから、なくなるとすれば、「ライフスタイル」としての「サブカル」でしかないんじゃないかなぁ、と思う。
 そのあたり、どのように総括してみせるのか(あるいはしないのか)、多少の興味を持って、最終号を読んでみたい。

 

『marie claire』の休刊について

 特に思い入れのある雑誌ではありませんが。吉本ばなな『TUGUMI』を連載していたハイ・カルチャー誌としての矜持を保った故の休刊、ということになるだろうな。
 日本雑誌協会調べで発行部数が35000部で販売率70%とすれば、だいたい実売25000部前後が、広告モデルとしての女性ファッション誌を維持するための限界点だと推定できる。まぁ、中吊り広告も出せず、コンビニからも締め出された雑誌に、先があるはずもないのだけれど。

 しかし、8月号の特集が勝間和代女史をゲスト・エディターに迎えた「結婚しやすい日本に変えましょう」とは…(参照)。何度も言うけれど、経済状態は関係なく結婚するひとは20代前半でするし、しないひとは40を過ぎてもしない。結局、ハイブロウとされるものと、女性ファッション誌読者との乖離が浮き彫りになった今回の休刊劇を、はからずも象徴している特集に思えた。

 今、女性ファッション誌で起きているのは、急速な即物化。発行60万部を超えたという『sweet』は、ブランドとのコラボレーションした付録と、ECと連携した別冊を付けるなどして躍進している。また、年齢相応と見られる展開ではなく「30代女子」「乙女」といったキーワードを散りばめている。こちらのほうが20代の生活・消費を延長したいという欲求にマッチしていることは、部数が証明しているといえるのではないか。よくも悪くも。