『下北沢の獣たち』を読んだゼ

 『空中キャンプ』様の連作小説集。当日仕事で文学フリマに行けなかったのだけど、某氏に頼み込んで入手することが出来た。最初は引き込まれるように、二回目は、さらりと読んでみた。そして三回目、一語一語を噛み締めるように読んでみた。つまるところ、Parsleyにとっては、それだけそこで展開されている世界に漬かり込むだけの価値がある一冊だった。

 本作は、『アイコ六歳』『下北沢の獣たち』『ひとすじのひかり』の三つ短編から成り立っている。
 『アイコ六歳』は、皇室がモチーフ。アイコの日常と、おじいちゃんが体調を崩していることに心を痛める少女の感性が、瑞々しく描かれている。表題作『下北沢の獣たち』は、そこに住む猫たちと、猫嫌いの町内会長との戦いの顛末。猫のコミュニティ、犬のコミュニティの「設定」と「関係」がユーモラスだ。そして、『ひとすじのひかり』は、グラビアから足を洗って、スーパーマーケットで働くことにしたアイドルと、彼女のファンだった青年の、二者の一人称で、物語が進む。

 仔細な解説は、既に『地を這う難破船』様がなさっているので(参照)、Parsleyは簡単な感想を述べることと、筆者があえて書かなかった行間を読むことに専念したいと思う。

 まず、三つの作品を通じて流れているテーマは「自由には限界がある」、ということ。
 アイコは冒頭で「これは自由と反逆の物語であり、同時に、剥奪と服従の物語である」という。六歳のアイコは、彼女なりの精一杯の「反逆」として、生まれてはじめて、お金を使う。
 一方、下北沢の猫「俺」は、人間との共生を選択した犬よりも自分たちには「自由がまだ残っている」という。彼ら下北沢に住む猫たちは、「自由」を守る為に町内会長荒井との絶望的な抗争に突入する。そこにあるのは「自由」の領域が狭まることに対する「不安」だ。
 そして、『ひとすじのひかり』。冒頭の一文、「このスーパーでいちばんきれいな従業員は、黒部さんではなかった」に端的に示される「事実」は冷徹で残酷だ。だが、もう一人の主人公、コーくんにとっては、黒部麻衣子=及川舞は、未だに「アイドル」。この二人は短い言葉を交わす。そこにあるのは、「希望」のような気がする。
 本作が作品集としてクオリティが高いのは、通底するテーマのぶれのなさと、三篇を配置した順番の的確さにあるのだと確信している。

 『アイコ六歳』には、欠落しているものがある。言うまでもない、「お父さん」、である。彼がストーリーに入り込む余地がなかった、ということは、どうしてもオーバーラップする現実の諸問題に対して、相当にアイロニカルだ。たぶん、彼が存在していたとすれば、傷ついたきつね親子は見つからなかったのではないか。そして、「巫女」としての自覚が芽生え始めた彼女がいう「間に合わなかったひとびと」には、彼も含まれているのではないか、と不謹慎なかとを考えてしまった。何しろ、そこに彼がいないのだから。

 周知のように、下北沢は、再開発に揺れている。(仲俣暁生卿の「下北沢再開発を考えるページ」などが参考になる)
 ビルがそびえ、空が減り、路地がなくなるかもしれない。そういった不安が、街を覆っている。人間がそうなのだから、いわんや猫も…なのだろう。下北沢の風景がどのようになるのか、見当もつかない。「俺たちあと何年くらい下北沢にいられるんだ」というゴロゴロの言葉は、猫だけではなく、現在の下北沢に住む生き物みんなの気持ちを代弁しているようにさえ感じる。
 もしかして、筆者は期待しているのかもしれない。誰かの行動が、「まったく別の文脈において、あたらしい意味を獲得する」ことを。

 繰り返しになるけれど、「事実」は冷徹で残酷だ。そして時には乖離する。私=黒部麻衣子=及川舞の「事実」と、僕=コーくんの「事実」の落差に、私は愕然とする。コーくんの中で限界ギリギリまでの露出で勝負した写真集を出したアイドルである及川舞は、彼女の中では「なかったこと」にされている。ちょっと前まで、彼女たちのようなひとたちと仕事をしていた自分としては、若干の痛みの感覚を覚える。どうか、彼女のような、意にそぐわない仕事を自分の夢に変換するところまで、狂気に追い詰められていませんように。
 しかし、この作品は、不思議と読後感はすがすがしい。「私」と「僕」の、コミュニケーションがゼロではないから、というのはもちろんだが、なぜか、牛乳を並べる、というスーパーでは日常の光景の中に希望があるように思えるのだ。例えば、もしかして、この二人には、何らかの転機が訪れるではないか、という予感のような。
 『ひとすじのひかり』というタイトルに込められた願いと、『アイコ六歳』での少女の祈り。これは、まったく同種のものに、私には思える。

 それにしても、だ。これほどのストーリーテーラーが、まだ野にいるのだ。彼が「文学」という枠組みで無名であることは、現在の文壇の限界を雄弁に物語っていると同時に、日本語で描く世界って、まだまだ捨てたものではないということも示している。
 そして、この作品が読めた数少ない中のひとりであることに対して、ちょっぴり優越感に浸っちゃったりもできたりするのだ。趣味が「読書」と答えるひとたちに、私は問いたい。きみはまだ『下北沢の獣たち』を知らないだろう、と。

「安全」と「消費」の狂想曲

 99年前、ハレー彗星が地球にやってきた時、フランスの科学者カミーユ・フラマリオンの説がもとになり、地球上の生物は全て窒息死するという説がまことしやかに語られた。当時新聞は、「何も起こらない」という天文学者の冷静な意見をよそに、センセーショナルにフラマリオンの説を煽った。
 日本では空気が5分間なくなるという噂が広まり、自転車のチューブを買い占めたり、水を張った桶に顔を突っ込み息を止める訓練をする者が続出したという。
 そうはいっても、この時は世界中が大騒ぎだった。ローマでは法王庁が発行する「贖罪券」を求め人々か狂奔したし、アメリカでは小麦粉を丸めただけの「薬」を売った詐欺師が摘発された。世界的なパニックをよそに、彗星は、淡々と接近し、悠々と太陽を回り地球をかすめ、揚々と去っていった。
 おそらく、自分の生命が脅かされるという恐怖と、「安全」を買うという発想が、メディアという媒体によって結びつけられたのは、1910年のハレー彗星を嚆矢とするのではないだろうか?
 二つの世界大戦を経験し、平和な時が訪れると、恐怖の閾値は「生命」から「生活」へと下がった。

 1973年の第一次オイルショックの時のトイレットペーパー騒動。1993年の平成米騒動。2000年問題の際はライフラインが止まる可能性が喧伝され、水を備蓄する家庭が続出した。
 で、2009年の新型インフルエンザ騒動、だ。
 事態発生⇒政府・行政の対策発表⇒一部で過剰反応⇒マスメディアが「ニュース」として伝える⇒全国的に広がる…といった展開は、これまでとほぼ同じ軌跡を辿っているように思える。
 個人的には、トイレットペーパー騒動の発端が、「紙がなくなる!」というシンプルな広告を打った大阪千里の大丸ピーコックだったことと、今回のマスク買占めが関西発だったことの関連性があるのかどうか、多少興味がなくもない。どこかの薬局が煽り広告を出したのかしらん?
 ついでに言えば、あんまり勤労意欲の高くない身として、マスクでびっちりガードしてまで学校や会社に行く使命感を持ち合わせていることには、多少感心する。そんなに感染力高いのならば、満員電車に乗った時点でアウトだろうに、ご苦労様。

 しかし、さしものAmazonも見た限りぜんぶマスクが売り切れかぁ。もっとも、外に出ずに引きこもるのならば、水や米やトイレットペーパーの方が、はるかに重要な物資になるな。

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RE:RE:そもそも結婚自体に価値がない

 『Voice』6月号を立ち読みして、読者投稿の一発目が前号に掲載された拙稿の反論で吹いた。32歳の女性の方で、「若者だって結婚したい」と。
 私が書いた「多様な価値観を認めるべき」の中には、「結婚をする」という選択も、当然含まれる。文中で、「結婚」自体を否定する箇所がないように注意して書いたつもりなのだけど、残念ながらこの方には伝わらなかったようだ。その事実を、筆者として受け止めなければいけない。

 はてなブックマークの反応や、ブログの反応も、逐一確認した。ありがたいことに、過分な程、好意的なコメントやエントリーを書いても頂いた。全体として、不思議と女性の方からの賛同や共感が多かったのは、望外だった。ありがとうございます。

 今回の記事を書いて分かったことは、現在の民法で保証された婚姻制度は、たかだか100年の歴史しか経っていないにもかかわらず、まるで古来からあって未来永劫続くものと捉えているひとが圧倒的多数、だということだ。ま、それで皆がハッピーなら何の文句もないのだけれど、そこから零れ落ちる人が増えてきているという現状を、もっと認めるべきだと思うなーというのを、ラディカルに表現したのが、あの記事だということで、ひとつ。

 ■参照記事

 ・婚活・そもそも結婚自体に価値がない(gooニュース) 
 ・乙女男子、「婚活」提唱者にシュートしかけるの巻
 ・続・そもそも結婚自体に価値がない

元オーマイウォッチャーの皆さんちゅーもく!!

No more! OhmyNews ~オーマイニュース消滅記念!(元)編集部発・最後の炎上大会~

一般市民が書く記事を掲載しネット上での「市民ジャーナリズム」を標榜したオーマイニュースが、幾たびもの“炎上”を経て、ついに燃え尽きた。なぜオーマイニュースは創刊3年ももたずに消滅したのか? 市民メディアの明日のために、元関係者たちが「いまだから語れる」暴露話も交えてオーマイニュースを総括する。

【出演】
元木昌彦(元編集長)
平野日出木(元編集長)
小田光康(PJニュース編集長)
ナゾの覆面コリア(韓国からの刺客)
小宮山圭祐(元編集部員)
渋井哲也(元編集部デスク)
村上和巳(元編集部デスク)
藤倉善郎(元編集部記者)
ほか調整中ほか

OPEN 18:30 / START 19:30
前売¥1,500 / 当日¥2,000(共に飲食代別)
ウェブ予約受付中!

http://www.loft-prj.co.jp/lofta/reservation/reservation.php?show_number=113

 市民メディアに明日はな…(以下略)、というのは置いといて。
 PJニュースが最近小田編集長自ら記事を出す(参照)など、オマニをネタ(「食い物」と言うべきかな?)にしているのと連動する動きなのでしょうね。
 市民メディアウォッチャーとしては5月25日に阿佐ヶ谷ロフトに突撃すべきところなのだろうけど。イベントの内容があまりに自明だからなぁ。要は、鳥越氏らこの場にいない人間の欠席裁判になるのは間違いないところだろうし、経営の責任を、オ・ヨンホ氏やソフトバンクあたりに擦り付けて済ませるのだろう。
 そんな与太話を聞くのに、クソ忙しい予定をやりくりして2000円を払うのは気が進まないなぁ。
 それに、「実名主義にこだわりすぎた」やら「コメント欄の運用がお粗末」やら「市民記者がプロ市民&マスコミワナビーしかいない」やら「結局何かに寄りかからないと活動出来ない自体でジャーナリスト失格」やら突っ込んでも、眉一つ動かさない面々だろうからなー。
 いっそのこと、ぜんぜん集客できずに、出演者と関係者が不入りでモメる、という「炎上」を、内輪でやって頂くのが一番当人たちが堪える結末、かもしれない。
 そんなわけで、Parsleyとしてはこちらのイベントに足を運ぶことをおススメしません(笑)。

ギャルの浸透と拡散

 『BRUTUS』5月1日号は「ギャルが日本を救う!?」という特集なのだけれど。
 安室奈美恵がファッションリーダーになって既に13年が経過していて、浜崎あゆみが1stアルバムを出してから10年という年月が経過している。結局のところ後続が彼女たちの存在感・インパクトを超えていない、というところをどう捉えるか、だよね。
 コギャルが登場して15年を迎えようとしている間に、「ギャル」は一言で言い切れないほどセグメント化されているのは当然として、その時々の気分やTPOに合わせて服やメイクを自由に選択するようになっている。『Popteen』の姉版として創刊された『PopSister』の「渋原コーディネート31DAYS!」を見ると、ガーリー、カジュアル、ボーイッシュと、シーンや気分ごとに合わせたコーデをするようになっている。もはや「○○系」というのも、そのファッションに対する名称として残されていて、彼女たちのスタイルを表す言葉ではなくなっていると言い切っていいだろう。
 また、益若つばさや土屋アンナなど、既に結婚・子持ちになったイコンたちの後を追うようなギャル層向けに刊行された『I Love mama』では、ギャルと子育ての両立をテーゼに上げている。そこにあるのは、どこまでも実践的な生活術で、紹介されているアイテムの単価も安い。
 やはり、ギャル、というより安室奈美恵・浜崎あゆみ・土屋アンナらのスタイルは確実に日本の津々浦々まで浸透させてきた。つまり、もうギャルは日本を変えたのだ。
 逆に言えば、これからギャルが日本を「救う」ことはない。既に日常へ定着した彼女たちに、消費の担い手あるいはブームのアーリーアダブダーとしての役割を果たすことを求めるのは、ちょっと視点がずれているんじゃないかしら。
 『BRUTUS』では森永卓郎氏が「低迷する日本経済の救世主になる可能性がある」と述べ、三浦展氏が「派遣切りで自信を喪失した男たちをリードして、何か新しい仕事や生き方を、示してもらいたい」などと語っているが、ギャル当人にしてみればメーワクな話だろうな。
 同じくコラムを寄稿しているgotanda6様は「消費社会へのアンチテーゼ」として彼女たちを捉えていて、全編オヤジ視点でギャルを観察するといった様相の誌面づくりの中、唯一冷静だったということは、特筆しておきたい。

Pop Sister 2009年 06月号 [雑誌]
角川春樹事務所

I Love mama 2009年 06月号 [雑誌]
インフォレスト

『PS』6月号を読んだ

 表紙は榮倉奈々。いつの間にキノコっぽいボブに!?と思ったら、『余命1ケ月の花嫁』の役作りだったのか。

 今号は、何と言っても原宿特集。「カジュアルの聖地」と銘打たれている通り、現在ではH&M、GAPや、付録の『姉PS』でも紹介されているBEAMSといった有名どころから、naichichiや55DSLといった路面店、ラフォーレ原宿に居を構えるショップまで、過不足なく紹介されている。
 個人的には、このラインナップの広さと、「原宿」という言葉が持つイメージとに、乖離があるところが、ちょっと楽しいなーと思う。いつだって現象(ストリート)は分析(ムーブメント)の先を行っている。
 あとは、「Tシャツはコミュニケーションだっ☆」というタイトルが秀逸。紹介されているのも「小浜市」Tシャツなどのネタものからボーダーの正当派まで、こちらも押さえるところを押さえている。

 四色ページは「結婚」特集。早婚ブームは、別に勝間和代女史が煽っているからではなく(笑)、U-25の芸能人が次々と結婚ニュースが拍車をかけている、と編集部では読んでいる。しかし、この特集、ダンナ様の影があんまり感じられないのが、多少気になる。結婚してからの心境の変化とか、あくまで彼女自身の内面のことで、「ふたり」のことじゃないからね。

 裏カラーは少女マンガ特集。「押さえるべき作品」とされているのは、『NANA』『プライド』『大奥』といった大御所から、『ハルチン』『しろくまカフェ』『ちはやふる』まで。我らが『乙男(オトメン)』もちゃんと紹介されていたので、よしとしましょう(笑)。

続・そもそも結婚自体に価値がない

 今日、5月2日は「婚活の日」!! いや、冗談でもなんでもなく、結婚情報サービスのサンマリエが、日本記念日協会の認定を受けたと発表しているのだ。5と2を「コンカツ」と読む語呂合わせだんだって。うへぇー。

 5月2日は「婚活」の日 – 婚活公言する男性、女性の約15倍に(マイコミジャーナル)

 プレスリリースを「ニュース」としてタダ流しにした記事を載せるメディアってねぇ、というのは置いておいて。
 「婚活」って既に4者が商標を出願していて(参照)、このあたり「婚活」という言葉の権利者バトルも水面下で展開されているご様子。ご苦労さまです。

 さて、商標のうち、「印刷物」や「電子出版物」の先願権があるのは、ほかならぬ山田昌弘先生。(参照
 gooニュース×月刊誌『Voice』連携企画「話題のテーマに賛否両論!」で拙記事「そもそも結婚自体に価値がない」に対する山田先生の記事がアップされています。

 婚活・高望みを捨てて現実を悟れ

 まず、記事は山田先生の「ぼやき」で前段は終始している。「パラサイト・シングル」「格差社会」と同様、「婚活」も意味が誤解されている、というのだ。「女性よ、狩りに出よ」にいった真意は、未婚女性に対して、期待水準を下げること、夫婦共働きを覚悟すること、趣味が合いコミュニケーション力がある男性を見つけ出すことが肝心だという意味だと。確かに、『「婚活」時代』にはそのような主張をなされていました。
 とはいえ。前提として、何かを表現するということは、受け手の誤解がつきまとうのは当たり前だし、キャッチーなコピーライター的な「言葉」を生み出しているひとが、それを言ったらおしまいじゃない、という印象を覚えるのも確かだ。私のような三下のブロガーでさえ、ちょっと経歴を出しただけで「気の毒」とか「バブル世代への敵意が病的」とか言われちゃうわけですよ。まぁほぼ合ってるというか、あの世代の論者はてきとうなこと並べてお金もらえていいよなーと思っているのは事実ですけど(笑)。
 
 閑話休題。
 山田先生のいう「誤解」がもう抜き差しならないところまで来ていることは、『AERA』09.54-11号の「総力特集・婚活時代」を読めば瞭然とする。
 まず、上の世代を見ている20代女性が、早婚指向になって、安定株を求めて「婚活」市場に参入してきて、アラフォー世代と熾烈な高収入男性の取り合いの様子が展開されているというレポートからはじまり(参照)、低成長時代に30代・40代男性は年収の伸びが期待出来ないから、60歳前後、もしくは20歳くらい年下との『ナナメ婚』を薦めるという記事が続く。
 で、極めつけは「あなたの婚活を疑え」(既に婚活をしていることが前提になってる!)。この記事の出だしに紹介されている『ソトコト』が仕掛けたという「ロハス婚活術」には思わずのけぞった。ゴミ拾いデートに植林・座禅で婚活とか、あまりにも面白すぎるだろ。
 で、この記事では、山田先生の「誤解」の弁も挿入しつつ、編集部作成の「婚活チェックリスト」で結婚観を整理し、条件の絞り込みステップを考えることを推奨している。で、「好きになる力」を大事にしないと、という結婚相談所のコメントが入り、活動中のひとが「本当の婚活は、出会いを増やすことではなく、自分の意識改革なんだと気付いた」という台詞で締められる。
 諸兄もお気づきの通り、これは自己啓発のメゾットそのもの。「婚活」も、「自分探し」というわけだ。
 で、有識者はというと、内田樹先生が「若い世代はプリミティブな理由で結婚している」なんてお花畑なコメントをしちゃっているし、上野千鶴子先生は、「婚活が必要なのはむしろ男性のほう」で40代女性に「負け犬」が増えたのは男性の結婚観が保守的なせいとおっしゃる。どちらも「婚活」否定派なのだが、あまりにも現実とは離れたトホホなご高説。
 
 で、さらに男性は「婚育」が必要という『偽装草食男子を見抜け』、「産活」しなければ子供は手に入らないという『夫より先に「父親」探し』という記事が続く。まぁ、なんというか、随分とグロテスクなことになっているなぁというのが、「外野」の感想になる。

 山田先生の記事に戻ると、結婚をめぐる状況が変わっているのに結婚に関する意識は変わっていないというところは私の主張とも重なるところがあり、社会不安の中高望みをしても仕方がないというところもくしくも一致している。
 ただ一つ、未婚者の九割が結婚したがっているというのは「本当?」と思わざるをえない。「出来るなら結婚したいのだけれど」とか「世間体があるから」といった、消極的な理由もその中に含まれているのでは??
 ロスジェネ世代的な価値観でいえば、ベルリンの壁が崩れて、バブルが弾けてというのを見ていて、成長路線で来た日本というシステムが軋んでいるのも肌で感じているわけで。それで去年の不況で、金融資本主義も大して信用ならないということも明らかになった。にもかかわらず、未だに「安定」なんてことを口走っている連中は、あまりにも状況が見えてなさすぎだから放っておいていいんじゃないの??

 で、そういう中では、社会における結婚の価値というのは相対的に下落するわけで、したい人はすればいいし、したくない人はしなければいい、といったものになっている、ということを認めるべきだというのが、私の記事の主旨。実際、「結婚」という制度に縛られることを止めるだけで自由になることは沢山あると思うし。
 『AERA』の記事で、30歳を過ぎて、結婚をしているのか、子どもはいるのか、いちいち聞かれる機会が増え、まだまだ見えない呪縛があるという人が登場する。こういった「呪縛」を強固にするのに、メディアも有識者も乗っかっているし、それをビジネスにしている連中も山田先生も含めてたくさんいる。そういった現状に対して、もっと疑問を持つ必要があるんじゃないかなぁ~。

 ま、フジテレビの『婚カツ!』はスベッたみたいだし、意外とフツーの人たちは冷静なようなので、心配はしていないのですけれどね。