席に座らない中年

 春より東京メトロのラッシュのピーク時に出勤するようになって、気になって仕方がないことのひとつ。
 目の前の席が空いても、座らない人がいる。主に男性で、40歳台と思わしき人なのだが、「次の駅で降りるのかな」とか見ていると、ずっ~と乗っていたりする。
 いや、その席に座れば一人分の立ちスペースが確保されるわけで、自分が座らないでも誰かが座るよう促したりすればいいと思うのだけど、ずっとそのまま立ちっぱなしというのは如何なものかと。

 個人的には40歳以上の世代にある種の偏見があるから、特にそう見えるのかもしれないけれど、もうちょっと注意して観察してみたい事象ではありますです。

 以上、お眼汚し失礼。

「プロ意識」の拡大と拡散

 最近、立て続けに「プロ意識」ということを言われて、考える機会があった。

 まずは、ものを発信していく上で、どのような捉え方をされてどのような影響があることまで考慮することが、「プロ意識」だという内容だったか。
 一年前、『編集会議』のブロガー特集で、「自らが”プレーヤー”として社会を変えていける人」をプロのブロガーと定義したのと(拙エントリー参照)、根本では似ているなぁというのがファーストインプレッション。

 それから、仕事の中で、「キミは既にこの場いるのだから、プロ意識を持ってお客様に対さなければならない」という、オールドファッションなアレです。
 もう少しいうと、「この場にいるのだから」というのは、自分が本来の領分とは別の職務に放り込まれた、ということを発言した側も聞いている側も織り込み済みの上でのお言葉。まぁ、その通りなんですけれどね、というのが私の「感想」。

 「プロ」は、本来金銭という部分と切っても切れない関係なような印象があるけれど、「プロ」という言葉は、それよりももっと柔軟に運用されており、むしろウェットなマインドが入り込みがちなのかなぁ、と思わないでもなかったりする。「プロ」という言葉は、発せられた人なりのニュアンスが込められ、意味が拡大して、意味合いが拡散し続けているのだろう。

 両者ともに、疑問というほどでもない、澱のような気持ちを覚えるのは、その「プロ意識」を持ち合わせてリソースを割いてなした物事への「対価」が、考慮に入れられていない、ということにあるのかもしれないなぁ。

 …とそんなことを就業時間中に書き散らすParsleyの、「プロ意識」はいかに??

モラリストにだけはなりたくない

 久しぶりにTVをつけて山本モナ女史界隈のニュースとか見てると、心からそう思う今日この頃。
 あと、毎日新聞の英文サイトで「低俗」な記事を垂れ流していることを批判しているひとたちって、一体どんな人たちなんだろう、なんて思ったりもしますけれどね。
 毎日jpの広告にしたって、まんたんウェブにDMMのバナー入れてたくらいだし。もとからあそこは「高尚」じゃないでしょう。

 とにかく、個人的には声の大きい人たちの不寛容さの方が気になっていたりしますです。モラリストだけには頼まれても金を積まれてもなりたくないものです。

『PS』8月号を読んだ

 表紙は蒼井優。彼女もさることながら、イラストが可愛い。クレジットには「Yukiko Otsuka」とあった。ちょっと覚えておこう。

 otsuka yukiko illustration

 今号は、「LOVE SNAP」ってことで、まとまりがまったくありませんでした。個人的には有名人のマイフェバSNAPで新垣結衣と南明奈、それにいきものがりのボーカル吉岡聖恵が登場していたのが目を引いた。
 あとは季節柄で、毎年恒例の夏フェスの特集が載っている。モデルさんの多くは行くことになっていますね。
 裏カラーは、企画に困ったならのカフェ特集。

 四色ページは、「ハートブレイクSTORY集」。ある意味ライターさんの腕が試されているけれど、どれもまぁまぁの出来なのではないでしょうか、って上から目線で言ってみる。構成も「SNSが出会いの、最初で最後の夜」からはじまって、「自分が成長できた失恋」という流れも悪くないし。

 でも、失恋の「痛み」の切実さと言えば、こっちだよなぁと思ってしまう自分は、年を取った証拠なのかもしれない。

失恋論
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