IT企業とWebメディアの距離感

 internetwatchのpaperboy&co.の家入社長の記事を読んで。正直うーんと思った。

 「ITベンチャー社長に聞く!」: 第1回:引きこもりから社長へpaperboy&co.社長 家入一真氏(前編)(後編)

 内容のかなりの部分を、福岡のひきこもり時代に割いていることもあって、約2年前のITmadiaの岡田有花女史の記事とかわり映えがしない。昨年出版された佐々木俊尚氏の『起業家2.0』とも。さらにいえば、はてぶの反応も大きな差はないと判断してもいいだろう。(これこれ
 なんだかまるでこの二年間に何もなかったような印象すら覚える。親会社のGMOが年末に大変な思いをしていたり、何もなかったはずはないし、これからの方向性など、聞き書きすることは沢山あるように思えるのだけど。

 WebメディアとIT企業は、取材者と取材対象者との年齢が近いケースが多いせいか、取材者に寄り添うような記事が目立つ。その典型が岡田有花女史のはてな関連の記事のように個人的には感じてしまう。
 いやぁ、「はてな、アメリカへ」と読み比べる限り、日本語的な表現で「転進」という言葉を使うのが相応しいと思うんだけどなぁ。京都へ戻る記事を読む限りは批判的なトーンは極力抑えて取材対象の意図をアナウンスするという役割の濃い内容になっている。ま、ありていに言って、ジャーナルじゃないよね。

 internetwatchやITmadiaに限らず、プレスリリースに味付けした程度のものしか出すことの出来ないメディアでしかないことが、長い目で見て問題がないのかどうか、私には分からない。けれど、記者・ライターにとってみれば、取材対象と程よい距離感を保つことが、長く生き残るためには必須なように思えるなー。
 
 そういえば、誰かがTwitterで「岡田女史が退社するんじゃないか」って言っていたのを見かけたなぁ、と思っていたら、yomoyomo様だった。(参照

物量作戦には敵わない

 京浜東北線に乗っていて見かけた。「http://www.ongakuihan.jp/」の広告。「音楽違反」で検索させるように誘導していて、キャンペーンに応募すると1000円分のミュージックカードが抽選で100名様に当たるそうな。
 まぁ、なんというか。物量で押せるのが強いよなぁ。

『アーティスト症候群』を読んだ

アーティスト症候群
アーティスト症候群

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大野 左紀子
明治書院 (2008/02)
売り上げランキング: 59358

 大野左紀子女史の単著。目次はこちらを参照のこと。

 「著者からのメッセージ」によれば、「アート、アーティストについてさまざまな角度から検証しました」とあるが、基本的には時代時代の著者の記憶を呼び覚ますというスタイルに拠っている。
 「アーティスト」という言葉の出展一つとっても、80年代頃の『美術手帖』に見られるというだけで、引用した月号や発言者などの情報に欠いていて、「検証」というには不充分に感じられるのは残念だった。
 ジュディ・オング、八代亜紀、工藤静香、片岡鶴太郎、藤井フミヤ、石井竜也などの芸能人アーティストについては、かなり文面を割いている。ジミー大西以外に対しては、総じて辛い。「大阪万博では岡本太郎と小沢征爾だったのに、愛知万博ではフミヤに竜也にYOSHIKI。あくまでイメージだが、なんでヤンキーばかりなんだ」というくだりには笑った。
 ただ、いずれにしても「芸能人というブランドにアートというブランドで付加価値をつけている」(94P)というところ以上のところまで踏み込めていないように感じられる。個人的には、この章が米倉斉加年を称揚する一文で唐突に締められていて違和感を覚えた。

 結局のところ、「アーティストと呼ばれたい」という「被承認欲」が資本主義社会をドライヴしていることなど、人材を輩出するシステムとメディアでタレントとして持ち上げる仕組みが強固に確立しているのだからそれを結論に持ってこられてもなぁ、というのが正直な感想になる。「アーティスト」と呼ぶか「クリエーター」と呼ぶかも、本人の自意識よりもブランディング戦略として語られるべきもののように思えるし。

 そんな中、門外漢にとって一番興味深かったのは、著者がなぜ美術作家活動をやめたのかが記されている「私もアーティストだった」という一章だった。
 自由化の果てには、「アート」という概念のない世界が出現するかもしれない。飽和状態のまま延命していくだけのアートから降りることが、一番正直な選択ではないだろうか-という言葉は胸に響いた。そして、前著『モテと純愛は両立するか? 』に続く道筋が最後に暗示されている。
 とはいえ、著者は美術をやめることをできた理由の第一に「作品を売ることで生計を立てていなかったから」と挙げている。
 アーティストなりクリエーターなりコンテンツ製作者が稼いでいくのは今後さらに厳しい隘路が待ち受けることになると予想されるが、そういった意味では、彼らが生き続ける(あるいは降りる)ためのヒントとして、水無田気流女史の『黒山もこもこ、抜けたら荒野』や長山靖生氏の『貧乏するにも程がある』あたりの流れと一緒に語られるべきなのかもしれない。

 ま、そんなこんなで。間違っても、『自分探しが止まらない』とあわせて読む類の本ではありませんでした。

『自分探しが止まらない』を読んだ

自分探しが止まらない (ソフトバンク新書 64)
速水 健朗
ソフトバンククリエイティブ (2008/02/16)
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 『犬にかぶらせろ!』様の、『タイアップの歌謡史』に続く二冊目の単著。目次はこちらのエントリーをご参照のこと。
 誤解を恐れずに白状すると、ゲラゲラ笑いながら読みました。
 本書は、「自分探し」がある程度モノが満たされた資本主義社会の大きな潮流であるとし、自己選択と自己責任が要求される社会に耐えられなくなった個人が安易なポジティブシンキングに逃げ道を与える自己啓発セミナーや海外放浪のことを批判的に紹介している。
 『あいのり』のラブワゴンや『電波少年』の猿岩石のヒッチハイクといったTVのバラエティ番組などのメディアからNGO、さらには居酒屋・ラーメン屋にまで潜む「自分探し」のメンタリティを喝破し、就職活動のバイブル(という言葉自体が宗教的だ)の『絶対内定』や居酒屋「てっぺん」などに隠された自己啓発のコードが明らかにされていく様は痛快ですらある。

 個人的には、第4章で自分探しに至るファクターの一つとして終末論に触れていることが気になった。
 あえて付け加えるならば、団塊ジュニア世代(1972~1981年生まれ)にしてみれば、幼少時には冷戦下でいつ第三次世界大戦・核戦争が起こってもおかしくないことになっていたし、ベルリンの壁が崩壊してソビエト連邦が終焉を迎えた後でも、ノストラダムスの大予言で1999年には世界が終わることになっていた。2000年にはコンピュータが狂ってインフラが止まって大変なことになるはずだったし。
 そういった時限がある世界と、実際には終わらなかった世界で生きなければいけない、ということが、「自分探し」に走る要因の一つなのではないかな、と思わざるを得なかった。

 それにしても。梅田望夫氏の著書に、終末思想が内在しているというのは、彼と彼の信奉者にとってみればかなりクリティカルな批判なのではないか。『ウェブ進化論』を読み返したら、「ベンチャーは粗探しをせずに、自社の個性を見極めてそれを伸ばし、大切なことを見失わないようにすること」と記されていた。確かに、これは「自分探し」のススメだ。
 おりしも、はてな近藤淳也氏がシリコンバレーから京都への帰還することが発表されている。京都→東京→アメリカ→京都という軌跡が「自分探し」ぽいなぁと感じたのは私だけだろうか?

 

『週刊ビジスタニュース』に寄稿しました

 ソフトバンククリエイティブのメールマガジン『週刊ビジスタニュース』に、「ロストジェネレーション世代は自前のメディアを築けるか」という拙文を寄稿しました。

 ●品格や価値観だって時代ごとに異なるはず●(2008/02/13)

 『ビジスタニュース』は普段から楽しみにしているメルマガで、執筆陣も錚々たる顔ぶれ(2006年度のメンバーを見てびびってたじろいだ)なので、木っ端ブロガーの私などが書いていいのかと思ったりもしたのですが、お声をかけて頂いたことはほんとうに光栄でした。編集の上林達也氏にはあらためて御礼申し上げます。ありがとうございました。

 記事に関しては、我ながらひどく偉そうなことを書いておりますが、ご覧いただけるとうれしいです。

 

メディアの信頼というファンタジー

 『修正のお願い』(『smashmedia』様)

 「湯川さんという方のブログ」という書き方じゃなくて、「時事通信社編集委員で『ネットは新聞を殺すのか』などの著書でも有名な湯川鶴章さんのブログ」と記しておけば直してもらえたのかも、とか思っていたのだけれど、訂正がなされたようで何よりでした。
 
 個人的には、湯川氏はマスコミ再生の鍵をCGMに求めていたことを翻して「ちなみにネットは新聞を殺さないんだけどね」(参照)とおっしゃった時点で言論人としてはどうでもいい存在になったと考えているのですが。通信社記者という属性で発言することによって得られたアテンションやPVが広告出稿の「担保」になっていることもまた事実でしょう。
 結局のところ、広告屋さんにとってしてみれば「現役通信社記者のPVが稼げるブログ」ということが評価の対象で、コンテンツの中身の正誤や巧拙は忖度していないんじゃないかなぁ。クライアントにとってみてもサイトへのトラフィックが増えれば万事オッケーだろうし。

 まぁ、ウェブに限らず広告がメディアと出稿側双方のブランディングに寄与するなんて幻想に過ぎないと思いますけれどね。光通信や新風舎の広告のために新聞が部数減らしたなんて話は聞かないし。

 このあたりは私の偏見ですので、広告系ブロガーの方々のご見解をお聞かせ頂きたいところではあります。

出版流通の賞味期限

 『アルファ・ブロガーはなぜ本を書くことになるのか?』(『Life is beautiful』様)
 『出版の「ロングテール」を実感、「ブロガーの書く本」』(『Tech Mom from Silicon Valley』様)

 お二方とも、出版決定おめでとうございます。発売の折には最寄りの本屋に走って購入する所存です。

 しかし。『Life is beautiful』様のエントリーの以下のくだりにはちょっと引っかかった。
 
 ということで、将来何か本を出したいと思っている人は、ひとまずはブログから始めてみることを強くお薦めする。 

 残念ながら、今から書き始めようとする人は、よほどのネタか才能を持っていない限り、もう既に遅いと個人的には思います。
 というか、ネット広告の単価が上がらない現状において、エントリー=コンテンツを生産する時間的労力を回収するための手段が書籍化くらいしかないということに対して、皆様がどうして能天気でいられるのか、理解しかねるところがあるなぁ。

 1997年頃から続く出版不況は常態化しているのは周知の通り。手元にある『情報メディア白書2007』によれば、出版流通総額は1998年に5億1035万円だったものが、2005年には3億8929万円まで減っている。
 不況の当初より委託制度・再販制度の構造的問題が指摘されていたけれど、10年を経てもメスが入る兆しはないまま、ずるずると市場縮小が続いている。2007年はベストセラーが新書やケータイ小説(1050円というプライスが主流)と単価の安いものばかりだったから、坂道を転げる速さが加速しているのではないか。
 百歩譲って雑誌と比較すれば書籍の売上の落ち込みは緩やかだとしよう。が、取次の流通が雑誌を大量にばら撒くのに最適化されたシステムを組んでいる以上、1万前後の部数を適切に捌けず、必要な書店に充分な数がいかずに無駄な重版がかかり、結果的に返品率を上がるという悪循環に版元は苦しんでいるわけですよ。
 しかも末端の書店数は、アルメディアの調査(参照)によれば2001年には20939店だったのが2007年5月で17098店。2割近くも減らしている。たぶん数年後には300坪以下の店舗は壊滅する可能性が高い。michikaifu様がおっしゃる「郊外の駅の本屋で買って、電車の中で読んで、都内の目的地に着く頃には終わる」という読書モデルは既に溶解しつつあるのだ。
 一方でネット書店は飛躍的に売上を伸ばしているとはいっても、出版流通全体の1割にも達していない。

 新書ブームに関していえば、版元が固定費とロイヤリティを抑えて点数を増やすための苦し紛れの戦略とも取れる。とはいえ、原油高がこのまま続けば紙代がかさんで売れば売れる程苦しくなるという笑えない状況も想定される。
 個人的には早くて今年末、遅くとも来年には新書バブルは弾けると思う。そしてその時こそが、出版流通の賞味期限切れなんじゃないかしら?? 

 そんなこんなで。「CGMで浮上したコンテンツの書籍化」というビジネスモデルを狙うのは今しかない。
 私も少しくらいは本を出してみたいと夢見ちゃったりはするけれど、間に合わせることが出来るかどうか、相当厳しいだろうな。まぁ、その時はその時で、副収入と経歴ロンダリングを諦めればいいだけの話なんですけれどね。表現する「場」は、ここも含めて自分で確保できるのだから。
 

『PS』3月号を読んだ

 今号は読みどころが結構あった。
 中綴じ付録として、「Fashion & Culture DICTIONARY」が付いている。表紙がツィッギーなのはポイント高い。2002年からのカジュアルファッションの流れがひと目で分かるのもいいですね。
 小物好きは、「LOVE! ミュージアム雑貨」という美術館・博物館の雑貨特集は必見。
 あと、久しぶりにカフェ特集が組まれている。

 出演タレントでは、何と言っても71Pの掘北真希が目を引いた。メガネ女子萌えの方は是非。

 四色ページではカップル特集が。特筆すべきところはあまりなかったけれど、「近頃のカップル現象」として、外で手をつなぎたがらない「オラニャン男子」が増えていることと、彼女が彼の肩を抱くカップルが急増中ということが挙げられているのが気になった。