『ブログ限界論』とは何だったのか?

 ほんとうに今更もいいところだけれど、11月23日に参加したRTCカンファレンスVol.28『ブログ限界論』で考えたことなんかをとりとめもなく記していきたいと思います。

 ■ログを上げた意味

 『ブログ限界論』ログ(上)
 『ブログ限界論』ログ(下)

 はっきり言って、超めんどくさかった。はてなポイントも頂きましたが(b4-tt様、ありがとうございました)、客観的に見て、労力に見合うだけのPV数やぶくま数や対価が得られたわけでもありませんし、それは半ば想定の範囲内でした。
 それを承知で上げたのは、カンファレンスの内容を音声でも映像でもなく、テキストとして残す価値があるだろうと思ったからです。もっと言うと、なかなか「顔」を見ることが出来ない『GIGAZINE』の山崎さんや、普段は冷静な徳力さんが力のこもったお言葉でインターネットについて語っている様子を、保存しておくことが大切だと直感しました。個人的には、内容うんぬんなんかより、特に徳力さんが「熱くなった」ということに、妙に感動したりしました。
 また、逆に言えば。会場にいた200名近くの中から、主観を排した形の詳細なレポートが、『チミンモラスイ?』様と『カイ士伝』様、それに私と3名も上がってきたということが、現在のブロゴスフィアの底力なんだと思います。

 ■もうこれ以上アーキテクチャは社会を変えない。

 質問の時間に、「ブログが広がったのはプラットホームが優れていたのならば、今回挙げられたような問題はテクノロジーが解決するのか」というご質問があった。
 その時の上原仁さんが、「そうですね…。テクノロジーで解決していきましょう!」という時の口ぶりがなんとも微妙だったのが、とても印象的だった。
 佐々木俊尚さんに喧嘩を売るようだけど、もうアーキテクチャによって、徳力さんがおっしゃるような意味での言論空間が成立することは難しいのではないか、と思う。
 おそらくスパム側の技術の進歩の方が(資金面も含めて)有利に展開するだろうし。
 また、現状でもデータをいじって組み替えて見せるというサービスは無数に存在するわけですよ。(はてぶのサービスはこちらを参照
 それでもセレンディピティの確保が充分でないということであると仮定するならば、テクノロジーやアーキテクチャの問題以外に、何か他の理由があるのではないでしょうか?

 ■必要なのは「メディア設計」なのでは?

 ブログに限らず、「何が目的で」発信をしていくのか。目的を達成するのにはどれだけのPVを集めればいいのか。誰に読まれればいいのか。そのために適切な発信のプラットホームは何か。…ということを、もっと考える必要があるのでは。というか、現状に満足しているひとは、上記のようなことをクリアしているのではないか?
 このあたりに運用面も含めると、『ガ島通信』様がおっしゃるような「コンテンツのクオリティコントロール」(参照)ということなどに注意を払わなければならない。ならないのだけれど、現状ブログが絡んだネットニュースサービスって、『Future is mild』様がご指摘のようにお寒い状況だったりします。(参照
 ま、Parsley的にこの方面の話が一番の関心分野なので。最近ぽつぽつと上がっているインセンティブ確保の話や、著作権界隈のあれこれも「メディアをどう設計・運用していくのか」ということと繋がっていくのだと思う。

 ■『ブログ限界論』とは何だったのか?

 佐々木さんが「世代間対立」という話を持ち出していたけれど、20代後半~30代前半のロストジェネレーション世代が、上の世代との壁にぶつかったり、下の携帯世代とのギャップを感じたりして、狭間に挟まれている焦りが、それこそ集合無意識的に表出した一つの例なんじゃないかなぁと感じた。
 小飼弾さんは「ブログの限界ではなく、ブロガーの限界」という話をしていたけれど、ギャグマンガ家が3年で潰れるということと同じで、ブログのクオリティを個人で長期間に渡って維持し続けるのは大変だと思う。
 いろいろな側面で、発想の転換が必要なのかもしれません。
 個人的には、一つのブログというコンテキストから離れて、単発のエントリー毎で評価するような仕組みがあってもいいのではないかな、と考えるのだけれど。新しいアルファブロガーを選ぶことも大事かもしれないが、その年を代表するようなエントリーを選出するというふうにシフトしていく方がいい気がしています。

『ブログ限界論』ログ(下)

 前エントリーに引き続き、11月23日のRTCカンファレンスVol.28『ブログ限界論』のログです。
 多少は割愛させて頂いていますが、地の発言を拾うよう努めていますので、長いです。

 全体の流れを把握したい方は、『チミンモラスイ?』様のレポ等を参照された方がより早く目的を達せられるのでは思います。
 それを踏まえてご覧頂ければ幸いです。

 <参照>
 『ブログ限界論』@RTCカンファレンス [前編](『チミンモラスイ?』様)
 『ブログ限界論』@RTCカンファレンス [後編](『チミンモラスイ?』様)
 「ブログ限界論」実況まとめ(『カイ士伝』様)

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『ブログ限界論』ログ(上) 

 昨日11月23日はRTCカンファレンスVol.28『ブログ限界論』に行ってきました。

 既に、ゲストスピーカーの『GIGAZINE』様や、カンファレンスに参加なさっていた『404 Blog Not Found』様、『カイ士伝』様などがレポを上げていらっしゃていて、出遅れもいいところなのですが、私の方ではまずログを上げようと思います。

 後半、および個人的な感想は別エントリーにする予定。

 <参照>
 『「ブログ限界論」で語られなかったこといろいろ』(『GIGAZINE』様)
 『「ブログ限界論」よりその0 – 俺フィルターを見直せ』(『404 Blog Not Found』様)
 『「ブログ限界論」行ってきた』(『カイ士伝』様)

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90年代富士見ファンタジア文庫の思ひ出を淡々と列挙してみる。

 ☆『無責任艦長タイラー』が語られない理由(『Je n’avais pas l’intention d’aller � la mer.-HINAGIKU SAID ”LIVE OR DIE”』様)
 ☆kanose様のTwitterコメ

 ・『タイラー』は吉岡平があとがきでアニメの文句書いていたことだけが印象的。
 ・嘘。ヤマモト副長が速水奨で大ショックを受けた。
 ・『スレイヤーズ』で一番重要なのは、あらいずみるいの胸ポッチ。
 ・というか、いつのまにか胸ポッチなくなっていた。
 ・富士見ファンタジア文庫/『ドラゴンマガジン』というメディアパッケージ自体がウェルメイドなのでは?
 ・『風の大陸』やら『道士リジィオ』やら『ザンヤルマの剣士』やら、15年前のかがみたちはみな読んでいたって信じられるかい?
 ・ファンタジア小説大賞は、大賞受賞者よりも特別賞のひとの方が出世した。
 ・『オーフェン』のEDがタンポポだったの、今から考えるとカオス。
 ・『動物化するポストモダン』で『セイバーマリオネットJ』を俎上に乗せた東浩紀氏が慧眼すぎた件。
 ・当時のParsleyは、小林めぐみが一番好きでした。

ねこたま
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5 ノーテンキに明るく、軽く、しっかりしたファンタジー

 え

アテンションで大勝利!?

 今朝、Yahooのトップのトピックスに「ブログ炎上情報の共有サイト」という文字が躍っていて超びびった。

 ブログ炎上情報を共有するサイト「炎ジョイ」開始(Yahooニュース)

 元記事は産経新聞だった。(参照
 マイコミジャーナルにMSNニュースの編集長・社会部次長のインタビュー(参照)を掲載した日にこの対応。産経がWebでのアテンションとアクセスに対して敏感になったのか、この一時だけでも雄弁に物語っている。

 『炎ジョイ』も、IZAとMSN産経ニュース(参照)だけでなく、Yahooトップにまで記事が掲載されて、少なくとも売名としては最大限の効果を発揮できたと言えるだろう。

 ちなみに、同時刻のYahooトピックスには、「不適切な文章でタレント休業」という見出しで、星野奈津子がブログの内容が原因で芸能活動自粛を発表した記事をピックアップしていた。
 「炎上」絡みの記事が7つ中2つ掲載されているって、どんだけ流行語大賞狙いなんだ。これが選ばれて誰が得をするのか、見当がつかないけど。

 まぁ、一連の流れで、「炎上って何ぞや」と本屋に走って『ウェブ炎上』を買うという正しいけれど間違っているひとが増えたら面白いかもしれない。

『「旬」がまるごと』1月号は「ねぎ」特集!

 『「旬」がまるごと』はポプラ社刊行の隔月誌。表紙のシンプルなデザインが好きで、ここまで「キャベツ」「まぐろ」「トマト」「さつまいも」と、全部揃えていたりします。
 で、最新号はタイムリー(?)に「ねぎ」ですよ!!

 で。表紙をめくると、いきなり緑の同心円と「ねぎが人生の薬味でもある8つの理由。」という文字が飛び込んできて思わずのけぞってしまった。
 なんでも、「平均的日本人はその人生をかけて1万4235本のねぎを味わう」らしい。出典が知りたい。
 

 で。毎号組まれているフードグラビアは『風とロック』の箭内道彦氏がねぎを持ったミュージシャンを撮影した、その名も「葱とロック」!!
 登場しているのは銀杏BOYZの村井守や真心ブラザーズ・桜井秀俊、それにサンボマスターの皆さん、、、etc
 あぁ、あの同心円はレコードを連想すればいいわけか。

 他にも、74Pに「ねぎと音楽」という松山晋也氏によるレコード紹介が。
 ここで真っ先にLoitumaの『イエヴァン・ポルカ』収録アルバムを取り上げていた。もちろん『BLEACH』の井上織姫のYouTube動画(参照)が由来だが、そこからさらに転じて、現在日本中で初音ミクがネギをぶんぶん振っていることまでは触れていなかった。残念。
 経緯をご存知ない方は、下記動画を参照して下さいな。


「褒める技術」のインセンティブ

 『「褒める技術」の在処』(『雑種路線でいこう』様)

 こちらのエントリーに、梅田望夫氏がはてなスターを、ひとつ。
 
 それはそれとして。4月にこんなことを書いていたParsleyとしては、特に下記の部分に頷きつつも気になった。

 動員力を競う「広告系」の方が外形指標に基づいて健全なフィードバックが働く。批評が的外れだから社会を動かせないのか、図星だからスルーされてしまうのかは、批評している本人には結局のところ分からない。その辺を自戒しながら、現実に作用しようとすれば揚げ足を取られないdisり方より褒め方を学ぶ必要があるよね、とか思ったりもする訳だが、それって言うは易く行うは難しだ。

 単純な話、なぜひとが「褒める」ことよりも「批判」する方に傾くのか、といえば、そちらの方がインセンティブを得やすい、ということなんじゃないかなぁ、と思ったりする。逆に、媒体なりブログなりで褒めまくりなひとは、褒めることに充分な動機付けもあり、報奨的な仕組みの裏づけもある場合が多い、のではないかしらと。

 「~が、よかった」ということを、いかに引き伸ばして、他人に読ませることが出来るか、ということを「褒める技術」と定義するならば、その褒めた対象からは独立した一つの物語を成立させるのが、一番手っ取り早い。
 もし、その物語が存在しない場合は、「よかった」という言葉にすべてを濃縮してしまえば済んでしまう。
 Webに限れば、褒めるためのシステムはウェブ拍手やら、はてなスターやら、無数に実装されている。そういった「一票」に対して、複雑に言葉を紡ぐことには、手間隙をかける程のインセンティブはないという判断を意識せずに下しているのではないだろうか?

 ま、過去のサイバーカスケードの例を引くまでもなく、ポジ/ネガ問わず「勝ち馬に乗る」態度を取るひとの方が多数派になるに決まっているわけだし、是々非々で逆張りしてみるのも悪いものではないでしょう。
 「批評系」blogを細く長く続けていくには、それくらいの肩肘の張り方でちょうどいい。
 もし、ちょっと運がよければ、日の目を見ることがあるかもしれない。

『若者を見殺しにする国』を読んだ。

若者を見殺しにする国―私を戦争に向かわせるものは何か
赤木 智弘
双風舎 (2007/10/25)
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 『論座』2007年1月号に掲載された『「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。』で、論壇を震撼させた赤木智弘氏の単著。
 私は1976年生まれで、なおかつ現在絶賛求職活動中の身でもあるので、ポストバブル世代あるいは就職氷河期世代の「不遇」は、皮膚感覚でもある。彼と私とを隔てるのは若干の運に過ぎない、ということも。
 なので、むきだしの「叫び」をオブラートに包むことなくパッケージ化したということに関しては、よくぞ書いて下さったと、手放しで歓迎します。

 その上で。この本の感想を述べるならば、「残念」のひと言に尽きるんですよね‥。

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最早読書もアウトソーシング

 そんな時代はもうすぐそこかも。
 というか、もう既にそうかも。

 インスパイヤ元↓

 ・「週に4時間だけ働く」(『On Off and Beyond』様)

 ・「文学作品をギャルゲーにシリーズ」(ニコニコ動画)

レコメンデーションって、超コンサバですよね!

 Amazonがもう既に持っているモノばかりおすすめしてくる今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
 というか、数ヶ月前に買ったゴミ箱(コレ)をしつこくTOPに表示させるのは、ウチをゴミ箱だらけにする気としか思えない。本気で何とかして貰いたい。

 まぁ、そんなことはどうでもよくて。
 佐々木俊尚氏が『ネット未来地図』で論点の一番最初に「Amazon」を、二番目に「Recommendation」を持ってきてたこともあって、レコメンデーションが実装されたデータベースに支配された市場は保守的になっていく、ということを書こうと思っていたところだった。

 日経IT-PLUSにて、東浩紀氏が三回に渡って『人文系が語るネット』という記事を連載していて、ネットコミュニケーション空間が抱える問題を三つ挙げていた。ちょっと関連するので引用。

 ところで、「つながり」と「同期」と「メタデータ」で特徴づけることができるこのネットコミュニケーションの空間は、エンジニアの視点には新たなソフトウエアの格好の実験場に映り、マーケティングの視点にはビジネスの巨大な金鉱に見えるだろう。しかし、それは、人文系の視点では、実はかなり深刻な問題を抱えた社会空間として現れる。というのも、その「つながりの王国」においては、ユーザーは自分の好みのコンテンツにしかアクセスしなくなるし(コミュニティーの分断の問題)、そのアクセスもアーキテクチャー頼みになってしまうし(アーキテクチャーの権力の問題)、さらにはメタコンテンツばかりを消費して肝心のコンテンツには関心を向けなくなってしまうおそれがあるからだ(コミュニケーション志向メディアの台頭の問題)。

 『「メタデータ」が主役のコンテンツ消費・人文系が語るネット(下)』 :IT-PLUS

 個人的には、二番目の「アーキテクチャの権力の問題」がコンテンツビジネスにもたらす影響、ということに一番関心を持っている。もっと言えば、「新しい才能」が「新しいコンテンツ」を生産して世に送り出すことを、Amazonのような巨大化したデータベースは求めていないんじゃないか、ということになるだろうか。

 ちょっと前に、日経ビジネスonlineに『岩崎宏美・紙ジャケCD×22枚、ヒットの理由~限定BOXで売らなかったのはなぜ?』という記事で、この企画のビクターの担当ディレクター森谷秀樹氏が興味深いことを述べていた。

 ただし、じゃあ「個性派はとにかくAmazonで勝負」かというと、それも違います。ニッチなアイテムの中でも、過去の評価が定まっているものは、 Amazonの威力が存分に使えるんですけど、もう一方で、評価がまだされていない、これから初めて世に出すものというのは、考えてみれば当たり前ですけれどAmazonでは売れないんですよね。

 例えば岩崎宏美クラスならば、過去の作品は膨大にあるし、「あわせて買いたい」なり「この商品を買った人はこんな商品も買っています」なりで別のアルバムを薦めてくれる。ファンも「カスタマーレビュー」を書いたりリストを公開したりしてくれる。
 要するに、購入を希求する取っ掛かりになるトリガーが無数に散りばめられている。

 これが、新人クンの新作だと、販売促進上もっとも重要であろう発売直前の段階だと、ぜんぶない。メタデータの量的な勝負で、既に劣勢を強いられることになる。
 表示されたとしても、関連があると自動的に判断された、そのジャンルの権威の作品が出てくる。その権威の「おすすめ」は、その権威の別の作品で、新人クンの新作ではない。
 もしかして、Amazonにおけるロングテールの正体は、ヘッドの部分を延ばすための販促プロモーションだったと極論してもいいかもしれない。

 で、Amazonのデータは取次・問屋のデータにも反映されるし、コンテンツホルダーにも蓄積されていく。コンテンツを送り出す際の参考にされる。
 そうすると、過去に売れたものか、その延長線上のものがどうしても企画が通りやすくなっていく。
 結果、画一的な作品ばかりが店頭に並ぶことになるし、既にそうなりつつある。

 もっとも、こういった「つながりの王国」の市場がさらに促進されれば、広告宣伝費を計上するよりも新しい商品を出した方が得だということになる可能性はなきにしもあらずだけど。
 これから出ていこうとするクリエイターにとって、既存の流通に乗っかってやっていくというのは、非常に難しい道のりを覚悟してやっていかなければならないのだろうな、と思う次第です。