筑摩書房 (2007/10)
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『トラカレ』の中のひと、萩上チキ氏の単著。
本書の印象を列挙してみると、網羅的、抑制的、政治的‥といった感じ。ちょっと言葉が悪いけれど、「ウェブ界の風紀委員」といったポジショニングを目指しての言説のような印象を受けた。
論点や事例を紐解いていく姿勢はほんとうに丁寧。一章の「ウェブ炎上とは何か」でインターネットの生い立ちから現在までの流れを一通り押さえた上で、「Web2.0」という言葉が登場した背景と、サイバーカスケードが発生した例を並列に扱っている。たぶん、それほどブロゴスフィアどっぷりではないひとでも、一体どんなことが起こっているのか、おおまかには把握出来ると思う。
あとがきで、「極端な悲観論や楽観論から距離を取りながら、ウェブの性質に目を向け、インターネットとの共生、そしてインターネットを通じた人間同士の共生に向けて言葉を連ねてきました」とあるように、全編を通じて筆致は穏やか。
ネットにおける偏見やレッテル張りに対してやんわりと否定してみせたりする姿勢には、好感を持つ読者は多いのではないだろうか。
だが、そんな中でも、「個人情報をめぐる騒動」では、やや強めの主張を展開していて目に止まった。
もちろん筆者は、それらを個人の「不用意さ」のせいにすることが妥当な解釈だとはまったく思いません。「ウェブ上に情報が出回ってしまった以上、どのような利用のされ方も受け入れなくてはならない」ということはありえない。愉快犯的な書き込みは法的にも問題ありでしょうし、このような事例さえも「自己責任」にしてしまうと、個人にかかわる負荷が過重なものになってしまいます。情報の意図せざる流出の予防といっても、本人の努力だけではどうしても限界があるでしょう。
このように、情報収集に基づくこれらの集団行動が特定個人への集団圧力として機能した場合、そのペナルティはあまりにも過剰になりがちです。(P47)
Parsley個人としては「まったく思いません」と「ありえない。」というほど、コンセンサスを得てはいないように思えるけれども、この箇所のおかげで中立の立場に固執しているというレッテル張りからは救われているのも確かだろう。
もっとも、ここに限らず、どことなく「政治」の香りがするのは、筆者がジェンダーフリー・バッシングにおいて、Q&Aサイトを作成して保守派の「内容的にトンデモなサイト」がgoogle検索で上位に表示される状況を「中和」しようとした行動の実績に基づくものだと思われる。
ただ、この自身の体験を挿入したことによって、「判断材料をしっかり集めてからの議論」よりも「ポジショニング」の方が、論争において有効なことを図らずも示す形にもなっている。
加えて、本書の提唱する、「ウェブ上の冷静な討議」が、何のために行われるのか? 「そういったものが、果たしてほんとうに必要なのか」という問いをされた場合、「それが正しいから」といったエモーショナルな回答しか提示できていないところが、若干弱い部分かもしれない。
あと。あとがきで匿名言論のバックラッシュとして完全実名制を取り入れることを主張することを、「大変危険」とまで記すのならば、もう少し本文で実名匿名論の流れをフォローして欲しかった。
共感を覚えたのは、「ハブサイトの役目」という項(P203)。グーグル八分問題と絡めて、検索エンジンを多くのハブサイトの一つという位置にとどめ、小さなアーキテクチャ(ニュースサイトやまとめサイト、ソーシャルブックマーク、巨大掲示板…etc)がせめぎあう状況、というフレームを提示している。このような視点から、グーグル八分を対処療法的に語るのは重要だと思う。
それにしても。「鮫島事件」のことを種明かししてしまって本当によかったのだろうか。『トラカレ』の中のひとががそこまで度胸があるひとだとは知らなかった。