「夢ポータビリティ制度」の先の悪夢

さよなら絶望先生 第8集 (8)
久米田 康治
講談社 (2007/04/17)

 『さよなら絶望先生』の第七十二話「数と共に去りぬ」に、10代の頃の夢をそのまま持ち越せる、「夢ポータビリティ制度」といった言葉が出ている。ここで30代になってもレコードデビューを目指しているバンドが登場しているのだが、正直笑っていられないなぁ、と思ってしまう。
 そういった夢を喰らうことによって維持されるというのがコンテンツビジネスの本質で、メディアの価値がいかにローコストで良質なコンテンツをかき集めることが出来るかで決まる以上は、変容のしようがない。

 また、コンテンツ提供者にとって実感の伴った「評価」というのはシンプルで、「コンテンツがいくらで売れるのか」「どれだけの数が売れるのか」、この二つに集約される。「どれだけ人を集められるのか」ということに価値を与えるとするならば、それは「メディア」としてのものになるだろう。このあたり、『アンカテ』様はこちらのエントリーを拝読する限り混同なさっているような印象を受ける。
 それで、(対価を得られる)コンテンツ評価のシステムとして新たに提示されているのが、「リスペクト」の名のもと雀の涙程度の「投げ銭」で買い叩くというモデルしかないという現実を認識する必要があるだろう。
 それどころか、メディアとしてのバリューが広告を集めるだけに足らないなどの要因により、コンテンツ提供者から「登録料」ないし「講座費」を徴収する、という収益モデルが「Web2.0」の名のもと乱立する可能性だって残っているように見えるのだけど(苦笑)。市民メディアなんかも、こちらの方向に進んでいるようだし。
 つまるところ。多くのコンテンツ提供(志望)者からしてみれば、自前で作品を発信するチャンネルが増えることによって得られるチャンスと同じくらい、上手くいかなかったことに対して、誰かに助けを求めることにお金と時間を消費してしまう誘惑に駆られるのではないか。
 さらに放言を承知で言うと、そういうひとたちからお金と時間を収奪するこそが、既存コンテンツ産業(の担い手)の生命線だと思う。

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AV観るにはケータイが最適

 安田理央氏のこちらのエントリーを拝読して。

 現状でも、ヌキ目的ならば、大画面高画質の液晶テレビではなく、携帯での動画再生の方が閲覧に適していると思う。
 興味のある方は無料動画が観れるサイトでチェックして頂きたい。
 モザイク、かけていないように見えるから。

 安田氏もおっしゃるように、携帯での閲覧の際には長い尺は適さない。コンテンツ自体への課金となると、いろいろハードルが高そうだなー。
 parsley的には、風俗店や出会い系サイトのメディア化と、性欲を喚起することだけが目的としたドラッグ・ムービーが新潮流になるんじゃないかと踏んでいるのだけど。
 細かいことは気が向いたときに。

「解放」とか「同盟」とかの神通力

 巷で話題のアキバ解放デモコミケ襲撃事件(参照)は、既にいろいろな方が情報をいいとこどりしていて、おいしく消費されようとしている。
 私がざっと拝見した感じでは、大野左紀子女史の『「殴れば人は言うことを聞く」のなら』と、biaslook様の『ことのは問題とアキバ解放デモコミケ襲撃事件』が、それぞれにアクロバティックな情報処理を施しつつご自身の関心分野と結びつけていらっしゃっていて興味深かった。
 私も野次馬なので、野次馬らしくつまみ食いしにかかろうかな。

 まず。たらればが許されるのなら。
 「6.30アキハバラ解放デモ」が例えば「秋葉原ええじゃないかフェスティバル#01」とかだったなら、こういった結末にはならなかったのかもしれないなーと思った。
 やっぱり、「解放」とか「同盟」とか、左寄りな霊性を帯びた言葉は、数十年にも渡って活動家の血を吸っているわけで、使うにはよほどの覚悟が必要だろう。

 状況のケースとしては、小林よしのり『新ゴーマニズム宣言スペシャル 脱正義論』で描かれている薬害エイズ事件の顛末が似ているように感じる。ノンポリ大学生たちが「運動」にハマってオルグされるプロセスは、今回の事件にも一部通じるところがあるのではないか? ‥ってこれ11年前の話だわ。今20歳の子は9歳かぁ。ひえ~。

 

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ビジョナリーはもういらない。

 『アンカテ』様の『 「世の中は厳しい」なんて大嘘』というエントリーと、はてぶの反応を一通り拝見しての感想。

 私自身は、自分が生きる為になんらかの価値を生み出すことは、誰にとっても簡単なことだと考えている。

 てきとう書いて若者騙そうとしないで下さい(苦笑)。
 「月収20万くらい稼ぐアーチストになる」って、大変なことですよ。出版・音楽流通業界はマーケットとして縮小傾向で足腰弱くなってきているし、同人誌市場は拡大した故のジャンルの細分化・コモデティ化の最中だし。Webもまた然り。個々のコンテンツのパイに限界があることが分かりきっている。
 つまり、既存の流通販路のラインに乗ったとしてもかつて程の収入が見込めないのにもかかわらず、Webでの収益モデルが充分に構築されていない現状において、「価値」に見合うだけの「対価」が得られる可能性は低いと言わざるを得ない。

 私がessa様が「罪深いなぁ」と思ったのは、最上部から見た俯瞰図としては説得力を有している、ということ。
 「兼業アーティスト」というのは岡田斗司夫氏の『プチクリ!―好き=才能!』あたりで奨められていたライフスタイルだし、「WEBを使った副業的な仕事が数多く生まれ、そういう生き方が社会の主流になる」というのは、渡辺千賀女史の『ヒューマン2.0』で紹介されているシリコンバレーにおけるワーキングスタイルそのものだ。ビジョンとしては全然間違ってないでしょう。

 けれど。「ビジョンが正しい」、ということが、一体何になるのだろう?
 もう既に、未来像ならばポジ/ネガあわせて、ありすぎるくらいに沢山ある。実際に先行例があることも知っている。
 そういうことは実際に前線にいるコンテンツ提供者にとってはほとんど意味がなく、求めているのは「制作にかけた時間的労力を回収できるフレーム」なんじゃないかなぁと思うのだけど。
 コンテンツホルダーやWebサービス事業者に、そういった発想はあんまりなさそうな印象を、現状では受けるなー。

 そんなこんなで。もう「ビジョナリー」は結構です、というお話でした。

ポラかチェキが欲しいなー。

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 ちょっと前まではデジカメ一眼欲しい病だったparsleyですが、最近はインスタントカメラに矛先が変ってきました。
 候補は上記の二台。ほんとはポラロイドSX-70と言いたいところなのだけど。
 チェキは撮り慣れているからなー。手ごろだし、まずはこっちからかなー。

OBII南魚沼合宿に参加してみた。

   

 この週末、OBII「地域活性化合宿in南魚沼」に参加してきました。
 ディスカッションの内容に関してはこちらをご覧頂くとして、ここでは個人的な感想をつらつらと備忘録替わりに。

 まず、自分田舎のことは何にも知らないなぁ、とつくづく思った。初日の18日に、南魚沼の農園や酒造、観光スポット等を宮田俊之市議に案内して貰ったのだけど、初めて見聞きすることばかりだった。
 うおぬま倉友農園様で、抜群においしいおにぎりと八色スイカをいただいた後に雪室(真夏なのに中は3℃!)に特別に入れて頂いたり、青木酒造様の蔵を見学した上で利き酒をしてみたり、塩沢つむぎ記念館で実際にはた織を体験したり‥。短時間でてんこもりのコース。宮田市議が理事長をなさっているNPO南魚沼もてなしの郷の活動についてもお聞かせ頂いた。
 残念だったのは、悪天候で野菜の収穫体験が出来なかったこと(農家の方に獲って頂きました)。

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プレゼンス求めるなら戦略が必要でしょ

 LondonBridge様のエントリーの下記の箇所を拝読して、おせっかいにもそう感じてしまった。

 「ことのは問題」への関心は、それほど高くはないようだ。 事件は知っているが、詳しい経緯とか、あちこちに飛び火した件まで追いかけてる人は少ないのだろう。

 端的に言って、「ことのは問題」は発生当時からニッチな注目しか集められていなかったでしょう。この案件を扱ったエントリーで、200ぶくま以上集めたエントリーは直接の当事者のものでもなかったように記憶している。
 多分、「ことのは問題」のインフォメーションとして、『フラット革命』は最大級のものなのではないだろうか。ビジネス系のメルマガなんかでも「ことのは問題」という言葉がフツーに入り込んでいるのだから。この事件を知らない方々に事件の存在を知ってもらえることを、問題意識を感じているひとは喜ぶべきだと思う。

 誤読かもしれないのだけど、倫敦橋様は自説のプレゼンスを求めているように見える。もしそうならば、エントリーを重ねること以外の戦略を練ることが不可欠なのではないだろうか。
 『フラット革命』に限らず、書籍に関する評判をGoogle検索する必要があるのは著者・編集者だけだ。ECサイトの末端ページやアルファなひとたちのエントリーが上位に来ることなど、サーチするまでもなく分かりきっていることだし、彼らのエントリーに内容ないし(笑)。
 もともとニッチな事象を扱っていて、なおかつそれが批判的な内容を含む場合、最初から不特定多数からのPVを得ようとアテンション勝負に打って出るのは、あまり賢いやり方とはいえないと思う。

 ごく単純にいうと、不特定多数ではなくターゲットを絞ることを念頭に置いたブログ運営が、特に論壇系のブロガーには求められる。しかし、そのターゲットの絞り方が、「同志」を求める方向に進むと失敗する。
 そういったことが、この事象の教訓なんじゃないかなぁと考えてみたりしてます。

 そういえば、4月にこんなエントリー書いてた。 

 『「批判精神を貫く」のはそんなに簡単なことではない。意識的で戦略的でなければ「批判精神を貫く」記事なんて届かないよ。』

『フラット革命』は(このままでは)起きない。

 飛ばしタイトルで恐縮ですが、前のエントリーの続きで、佐々木俊尚氏の『フラット革命』について。
 より正確には、フラット化の影響はネットにおける言論活動およびインナースペースに留まる、と言えばいいだろうか。
 もちろん、数十年単位で考えれば、佐々木氏の言うところの「ラディカルな民主主義」のもとでネット上での議論によって公共性が担保される方向に進む可能性は高いだろう。だが、2007年現在においては、「旧来の日本の枠組みを劇的に組み替えようとしている」というのは早すぎるように感じてしまう。

 例えば、第一章で取り上げている毎日新聞の『ネット君臨』の場合、この企画の影響によって販売部数が目に見えて減ったという話は聞かない。
 情報摂取の手段としてネットを選択している層と紙媒体に頼っている層はほとんど被らないだろうから当然といえば当然だけど。紙媒体における批判はメディア・パワーにより多大な影響力をもたらすが、ネット上での批判が購読者の「圏域」にまで届くことは至難である、と断言してもよさそうだ。
 だからこそ、今回書籍というレイヤーに批判の場が移植されたことに意味があるのではないかと考えるのだが、逆に言えば、ネットのみで言論を行う限りにおいては何のフレームも変えることは出来ないということを示している。
 現状、新聞社・出版社もしくは関係者に対してダメージを負わせるようと企図するならば、言論活動を積み上げた上で司法の場に引きずり出すという選択肢しか残されていないようにも見える。
 佐々木氏は、「ネットの世界での評価が、そのままリアルの世界での評価とイコールになる時代は、まもなくやってこようとしている」(P276)と述べている。しかし、ネット側の発信が足らない間は、オールドメディアが「便所の落書き」というレッテルを張り続けるという戦術が有効であり続けるだろう。この、ネット言論のインフォメーション不足という課題を克服する策はまだ誰も発見していないし、そもそもまともに考えられていないのかもしれない。
 つまるところ、「新しい公共性」を生み出すはずの「可視化された議論」に言論人を引きずり出す戦略が、オールドメディアのゆるやかな衰退を待つ以外に何もない。このことも、言論の場としてのネット空間が生まれる前に死んでいく事態を招いているのだと思う。

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