AVの影響力なんて木っ端っすよ

 ‥と、『金融日記』様の「この10年で日本社会で最も変わったこと」を拝読して脊髄反射したくなった。脊髄反射だけじゃアレなので、ちょっと突っ込んでみる。

 まずは時代考証。
 1997年だと金沢文子、若菜瀬奈といったところのデビュー年。翌年には川島和津実、森下くるみ、鈴木真奈美、椎名舞といったところが登場している。仮に彼女達が2007年に登場したとしても、やはり単体女優として活躍しただろうと思う。
 
 確かに、AV女優がコモディティ化しているのは間違いないけれど、それって何もこの業界に限らない話。価値観も多様化して、キレイ系、おねえ系、妹系、お菓子系、それぞれに光が当たるようになっている。コスメ業界も日進月歩で「視られる」技術を広めているし。AV女優でなく、女性全体がボトムアップしている。‥という議論が2年前くらいにblog界隈であったような気もするけれど、まぁ置いておいて。
 つまり、「現実社会では100人に2、3人いるかどうかの美貌を持ち合わせているのです」というのは間違いで、「キレイになった100人のうち2、3人が風俗業界に入る」という方が実態に近い。
 ついでに。「そんな女性とセックスすることは容易なことではありません」というのは「無料で」という言葉が添えてあればまだよかった。AV嬢に関してなら、ポートフィリオワークしているひとは沢山いらっしゃいますし、今も昔もキャバクラが大きな供給源です。ちょっとのお金と時間と行動力があれば、そんなに難しくはないと思います。

 あと。AVが売れる理由って、現在に至るまで「キレイ」とか「カワイイ」とかいう理由ではなく、「芸能人に似ているから」という理由でももちろんなく、「エロい」から、に尽きるのですよ。リア・ディゾン級の娘でもマグロでは売れないし、多少体型がアンバランスだとしても、絡みがエロければ売れる。
 で、このエロさとはプレイのハードさによるものではなく、視線とか仕草とか細部に宿っているもの。そのことを見抜いたスカウトやキャスティング担当、そしてなにより己のエロさに気付いた女優本人によって、魅せられるものなのだ。

 まぁ、画面越しに見えるものはキレイに見えるし、キレイに作っているということがあると思うけれど。『金融日記』様だけじゃなく、AV嬢を妙に高い存在に捉えているひとは、一度秋葉原などで毎週やっているイベントに参加してみるといいですよ。
 最後に。AVについて何か語るならば、『エロの敵』は最低でも押さえておいて貰いたいですね!

エロ市場のミスマッチング

 安田理央氏のエントリーを拝読して、思ったことや考えたことをとりとめもなく。

 紹介されている二村ヒトシ監督の『もしも朝の通勤電車ががっついたベロキスをするカップルで満員だったら。』は、絶妙のシチューエーションで場の空気が駆り立てる性欲を活写していて、名作と呼ぶに相応しい作品だと思う。
 しかし、この作品に付けられている値段。3990円(税込)なのですよ。ドグマ倶楽部会員になれば2300円になるけれど、それでも映画より高い。
 別に企画ものに限らずアダルトコンテンツそのものが多くのひとにとって「所有」するものではなく「消費」するものである以上、パッケージ販売という形態には限界がある。エロはともかく、エロコンテンツへの世間の関心は皆無と言っても過言ではないし。
 しかも、現状の流通はもう既に極限で、あとは同業内でパイを取り合うという、あんまり楽しくないゲームをやらざるを得ない。特に委託形式だと、とにかく数が出る一部の単体女優作品を捌くことにメーカーも店舗も最適化されてしまう。そういった流れの中で、監督の色を前面に押し出した作品はなかなか売りづらい。
 
 個人的には、二村監督の作品は単館系で公開しても勝負になるのではないかと思うけど、映倫基準に引っ掛かるしなぁ‥。逆に、しかるべき制約のもとでエロい絵が取れたなら掛け値なしにスゴい。ま、これは別の話になるな。

 サブカル好きな層は、ピチカートファイヴじゃないけれど「いつだってお金はない」ということもあるだろうが(笑)、もっと大きな理由は彼らの行動圏にAV売っているところがないからなのではないか? これがエロマンガならば質量ともに豊富にあるし。
 で、そういったミスマッチングを解消するには、倫理協会の問題やら販路の開拓やらの障害が沢山生まれる。それを乗り越えたとしても、労力に見合うだけのリターンは全く保障されていない。

 そんなこんなで。あくまで「作品」に拘るのであれば、「アダルトビデオ」という文脈からは早急に抜け出すのが賢明のように思います。作家性の強い監督さんなら、AVという枠組みを超えて、「エロ」を鋭く切り取れるだろうし、情報の流れが適切ならば、今以上の伝播力を期待出来るかもしれない。
 ‥それが何かは思いつかないけれど。

2chのまとめサイト読んで空気知った気になってました。

 懺悔。
 知らず知らずのうちに、2ch自体にアクセスせずにまとめサイトを斜め読みして、板の空気を認識していたことに気付いた。
 まとめサイトも、情報を取捨選択して提示するというプロセスは既存メディアと同じなのにね。
 勿論、意味のないレスを取り除いてきれいな形して見せてくれているのでこれからもウォッチし続けるのだけど、それがスレ→板→2chの「空気」みたいに脳内変換するのは慎もう、と思った。

自分が使っているWebサービスが過疎化する焦燥感

 新たなWebサービスに関してネガティブな反応をする人の背景には、そんな理由があると妄想してみる。
 mixiは会員は1000万人を超えたけれど、中の密度は明らかに薄まっている。
 マイミク日記の更新頻度がみんな極端に落ちている。もしかして、自分がアカウント取ってないサービスにみんな移ったのかも!でもどこだか分からない!! …みたいな。

 

Twitterは疲れそう

 まぁ、実際にやってないので何ともいえませんが。
 parsley的には、やるよりもひとのを見るのが面白いような気がするなぁ。

 それほど自分の近況を伝えるべき相手のいない私の場合、えんえんと独り言を書き続けるという使い方をするしかないと思うのだけど、「見られている」という実感と反応への義務感に傾いていって、面倒くさくなりそう。

 まぁ、実際にやってないので何ともいえませんが。
 あと三ヶ月くらい経つと「Twitter疲れ急増中」みたいな記事がITmadiaあたりに出ると予言してみるテスト。 

「巨乳好き」は何カップを巨乳と見なしているの??

 pal様の「何故男はおっぱいが好きなのか」を拝読して、思わず考え込んでしまった。

 いや、もうparsleyは「巨乳」という言葉で具体的なイメージが沸かなくなってしまったのですよ。
 グラビアアイドルの狭い世界の中では、バストサイズのインフレが進みすぎ、「巨乳」が差す範囲が際限なく広がりすぎて、その人がどれくらいのおっぱいを差しているのか、まるで分からない。
 この言葉が発明されたのは、1985年と見られるが(参照)、当時はDカップ・Eカップの女優をそう呼称していた。20年以上経った現在では、D/Eクラスだとむしろ「美乳」であることが求められている。

 では、一体何カップならば、「巨乳」なのだろう??

 
 

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「錨をおろすポイント」としての「本」は不十分では?

フューチャリスト宣言 フューチャリスト宣言
梅田 望夫 茂木 健一郎

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 『フューチャーリスト宣言』を読了して、いろいろ考えたことがあったのだけれど、一点だけ。

 第四章「ネットの側に賭ける」で、書籍の内容に関しては沢山反応があるが、新聞・雑誌へ寄稿した際には書き込みがほとんどゼロである、といったことが梅田望夫氏が述べていて、以下のように話が進んでいる。

 茂木 いま、お話をうかがいながら、もやもやとしていたことがはっきりしました。本というのはリアル世界だけの存在だと思われがちだけども、ネットの海、情報の海に、空から降りてくるときに、錨をおろすリファレンス・ポイントになるんですね。雑誌は、そういう錨をおろすポイントになっていない。
 梅田 本も雑誌もどちらもデジタル化されていないから、その内容について語るとき、ネットに書き写す手間は変らないから、その点で差異はない。どちらかがコピー&ペーストできるから、ということではない。でも新聞・雑誌の記事は、ネットで書く対象にならない。
 茂木 逆に言うと、ネットがあまりにも日進月歩で動いていくから、固定した情報というものをほしがっているのかもしれない。そこで本というものがある種の役割を担っていく、ということはありえますね。
 梅田 フローとして流れていく雑誌・新聞というのは、わざわざ錨には使わないということか。


 つまり、お二人の中では知的活動を行う上で出版というものが未来においても有効な位置を占め続けていくことになるようだ。
 確かに、書籍で得た知見をブログなどにアップしたり、ネット書店で本を買ったり、生活レベルにおいてインナースペース/オフラインで完結しえなくなっているのは間違いない。
 しかし、逆に「Webへの入り口」として、書籍というパッケージが便利かというと、そうではないでしょうと思う。
 梅田氏がおっしゃるように、引用しようと思えば手で書き写す必要があるし、URLだって手打ちしなければならない。

 ここ最近の新書を見ると、どの本も引用サイトの処理には苦労している印象を受けるけれど、同時に著者・編集者のポリシーも垣間見えるようで面白い。
 ざっと分類すると、以下のような感じか。
 

 ・巻末にまとめて記載 例)『グーグル』

 本文の邪魔はしないけれど、引用元を知らない場合はやや不親切。

 ・章末にまとめて記載 例)『ウェブ進化論』

 本文の邪魔はしないし、巻末よりはいくらかは探しやすい。
 

 ・本文にカッコで記載 例)『フューチャリスト宣言』

 引用サイトがすぐに参照できるけれど、縦横が入り混じったりして多少不恰好。
 

 ・ページ下に注釈 例)『ヒューマン2.0』

 本文のすぐ下に参照先が明示されていて分かりやすいけれど、デザイン的に好みが分かれるかも。
 余談だけど、『ヒューマン2.0』は注釈の方が楽しかった。

 
 ・まったく記載しない 例)『次世代ウェブ』

 「ネット関連書籍を読む層は検索出来るだろうからURL載せなくてもいい」という思想だと想像(笑)。

 まぁ、いずれの例でも、インターフェースとしての役割として心もとないと個人的には感じます。
 QRコード・画像認証とソーシャルブックマークみたいなものを組み合わせればまだまだ面白いことが出来るような気はするのだけど、出版社(あるいは編集者)にとってはメリットが薄いだろうからなぁ。全くの外野の感想だけど、「出来ない」のではなく、「出来るのにやらない」という方が実態に近いように思える。

 そんなこんなで。ネット→書籍という「知」の流れはスムーズだけど、逆はそうでもない。それではポイントとしては不十分なのでは、という疑問を覚えた次第。
 もっと言えば、敢えて紙媒体の中から「書籍」だけを抽出して生き残らせるような言説は余計だったように感じた。フューチャリストというならば、「知的空間は100%全部オンラインに移そうよ」とぶちかまして貰いたかったな、どうせなら。

目的・志向別ブログ分布図を作ってみた。

 前回のエントリーの補足というか続きというか。
 私が「ブロガーよりブログで何をするか」というのは、ブログを書くことによって何を実現するのを目的とするかによって、立ち位置や運用法が変ってくることが、あまり指摘されることがないように感じているから。多様化・細分化した2007年現在、ブロガーはかくあるべきかとか、あまり意味がないのですよ。ツールとしてのブログをどのように使うのか、が重要なのですから。

 それで、あくまで主観になるのだけど、ブログの目的としては、「コミュニケーション」か「ブランディング」のどちらかに寄るのではないか、と思う。
 前者はもちろん、オン/オフでの知人友人やコミュニティ内向けにものを書くこと。
 で、後者は、不特定多数に向けて、自分のイメージを植えつけ、ブログ自体のブランド力を向上させるためにエントリーを重ねる。
 コミュニケーション目的ならば、その関係を維持することのみを気にしていればいいし、自分自身の価値を上げる努力はしないで済むだろう。だが、後者の場合は、アクセス数やらぶくま数やら、いろいろ気にする必要がある。
 あとは、現在の傾向として、「ブログでいかに小銭を稼ぐか」というところも個々のブロガーで温度差が生まれていて、議論も分かれているところ。というか、ここ2年くらいはメイントピックですよね(笑)。
 要は、本気でマネタイズするつもりならば、アフィリエイトを頑張るなり、メディア力を上げてブログネットワークに入るなりしなければいけない。あるいは、よりリアルと結びついて、書籍化したり、広告キャンペーンに参加したり、ビジネスに繋がるコミュニティを形成するということが考えられる。
 逆に、小銭稼ぎに全く興味がないのならば、そういった七面倒なことは一切しないでもいい。ただ自分の好きなことだけを好きな時に書けば済む。
 
 そんなこんなで。便宜的にコミュニケーション⇔ブランディングを横軸に、マネタイズ⇔パーソナルを縦軸に据えて、各ブログ・サービス・グループの立ち位置をParsleyの主観でグラフにしてみた。(参照

 『クローズアップ現代』で紹介されていたのは、どちらかというと、マネタイズ志向・ブランディング目的の、上昇意欲の強いひとたちの紹介が中心だったけれど、実際のところ多くのブログはコミュニケーション目的・パーソナル志向だと思われる。ただ、その中から、何らかの影響力が生まれたブログがブランディング・マネタイズ志向にシフトしていくのだろう。
 『GIGAZINE』の中のひとが、番組後に「アルファブロガー」に対して過剰な反応を示したのは、方向性が似通っているからなのではないだろうか。
 小銭稼ぎを極めようとするならば、どうしてもアクセス重視になるし、そのためにはある程度のメディア力が必要。2chのスレのまとめは良質なコンテンツだったのだが、それ故に目立ってしまい叩かれてしまった。いずれにしても、アフィリエイトに最適化しようとすればするほど、個人の趣向からは遠く離れていくことは注目してもいいだろう。

 ブロガーの中には、表ブログと裏ブログを使い分けるひとも多々いらっしゃる。例えばfinalvent様ならば、『極東ブログ』はブランディング担当で、はてなダイアリーの方がコミュニケーション目的といえそう。
 
 SNSほかの多くのネットサービスは、左下のゾーンを念頭に組まれている。居心地のよい空間を形成することに注力していることは痛し痒しで、現状打破を目指すひとには向かない。個人的には、Voxなどからエッジの利いた個人の登場は望めないように思える。

 繰り返すけれど、「ブログで何をするか」(あるいはしないか)は、個々の目的や志向によるもので、そこに優劣はない。ブロガー皆がメディア化しなければいけない、というわけではないし、皆がリアル志向でクネクネしなければいけない、というわけでもない。
 要は、誰でも自分を見失わない限りは至極快適なネット空間を満喫し続けることが出来る。
 でも、この「自分を見失わない」というのが難しいんだな、これが。
   

「ブロガーになる」よりも「ブログで何をするか」

 …と、誰でもいいから影響力のあるブロガーにはっきり言って貰いたい今日この頃。
 これまでもそうだけれど、これからはじめるひとは特に、ブログの目標設定が明確でないと、続けていくのは難しいのではないかな。
 
 例えば、ある程度知名度を有していて「ファン」も存在するのならば、「日常」のブランディングというのが主目的になるだろう。が、知名度をアップさせる手段としてブログをするのならば、何らかの冴えたやり方を模索しなければならない。
 単なる書評や日用品の紹介をすることが目的なら淡々とエントリーを書き続ければOKだけど、それで「お金を稼ぐ」ことまでリーチを広げようとするならば、何らかの冴えたやり方を模索しなければならない。
 既存の知り合いに対する生存報告のためならば、アクセスとかコミュニティーとか気にしないでもいい。しかし、新たな出会いの機会を求めているのならば、何らかの冴えたやり方を模索しなければならない。

 自分のメディアを持てる快感は、長く続けているブロガーにとっても抗しがたい。だけど、自分の力を最後の一滴まで搾り尽くすことは出来ても、背が伸びたような感覚になるのは幻想に過ぎない。
  …と、誰でもいいから影響力のあるブロガーにはっきり言って貰いたい今日この頃。

よのなかのしくみ

 児童ポルノHP紹介で逮捕 大阪府警、全国初

 アダルトビデオ業界にはビデ倫など各倫理協会があるけれど、Webでの配信・閲覧に対しての準ずる組織はないからなー。アダルトを扱う全てのサイトは、多かれ少なかれ検挙リスクを伴うのはやむを得ないでしょう。

 リスクを最小限にしたいなら、警察庁か総務省か経産省か文科省のOBを顧問に据えた倫理協会を設立してみかじめ料を払うシステムを作るしかないと思うのだけど、さて…。