落ち込むこともあったけど、私、元気でした。

 そんなこんなで、今年も最後。拙blogをご覧の皆様方には大変お世話になりました。

 個人的に2006年という年は、ついに三十路に突入してしまったということで、いろいろな意味を持った一年だった。
 仕事面では、自分で言うのもアレだけど前半に頑張り過ぎてしまって、後半に体調を崩し関係者の方々に迷惑をかけまくってしまい、本当に申し訳なかった。来年はアイドルイメージ/アダルトともパケ販は曲がり角に当たる可能性が高いけれど、自分の出来る範囲のことはやっていくつもり。
 あとは、ライターのまねごとをさせて頂いたことかな。まぁ、これはご褒美みたいなものでしょう(笑)。

 プライベートでは、オンライン⇔オフラインの交錯がより激しくなったという感じがする。どちらでも完結しない、というか。おかげで、いろいろな方々に親しくもして頂いた。本当に感謝です。
 でも、読書量と観た映画の本数は順調に減り続けている。これは何とかしたい。

 前にも記した気もするけれど、私は小児喘息児だったので、10代のころは30まで生きられないかも、と本気で考えていた。20代になってからはこんな程度じゃくたばらないよ、と理解するようにはなっていたけれど、29歳最後の日までは、どこかでそう考え続けてきた。
 それが、実際に30になってみると、多少筋肉の緩みを実感するくらいで、特別変化することはなく、淡々と時は流れていった。そのことに拍子抜けしたのは事実だし、これからのことを考えて途方にも暮れた日もあった。なにしろ、先々のことをリアリティあるシミュレーションをする訓練をしてこなかったのだから。
 来年は、そのあたりのことを考えなきゃ。
 ひとまず、『ヒューマン2.0』にそのヒントが隠されているとみた。買ってから既に二週間以上経つのに手をつけていないので、年始には読了したいな。

 まぁ、そんなこんなで。2006年は落ち込むことも沢山あったけれど、基本的には健やかに過ごす事が出来ました。

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まずは外堀からいってみよう。

 前エントリーのコメント欄にも記したけれど、オーマイニュース『佐々木俊尚さんとその責任の不在』に関して、編集の経緯についてと、音羽氏の活動に関して編集部の見解を伺うため、取材させて頂けないかという内容のmailを、平野日出木編集次長宛に送付した。
 ほんとうは電話でその旨を伝えたかったのだけど、30日14時の時点では誰も出て貰えなかった。ま、年の瀬ですものね。

 その前に。佐々木俊尚氏にも確認をとってみた。
 なんでも、オマニのウェブ戦略本部及びアウトソーシング先の企業とともにシステムの再構築を進めている最中で、編集部とは没交渉状態、ということだった。つまり、実質的に「編集委員」という仕事とは別のことに従事しているよう。
 
 それにしても。コメント欄をパラ見していると、本当にオマニにしかアクセスしないひとたちがいるのかもな、と思う時がある。編集方針に関しての記事になると必ず「オーマイ内部の記事の反論はオーマイで」と主張するひとが表れるし。どこだっていいじゃん、見に行けば。
 オマニの編集方針を巡る議論(というかディスコミュニケーション)の構造は、編集部(平野氏)⇔佐々木氏で行われているものがいわば幹線で、それを承認するのが鳥越編集長もしくはオ・ヨンホ代表、というものだろう。音羽氏を含む市民記者の記事や、外野である私の差出口は、所詮は支線に過ぎない。

 だから、CNETのエントリーに編集部の誰かがリアクションしない限りは、佐々木氏としては反応しようがない、ということのようだ。
 音羽氏は、記事に書いた時間が灰になるというのならば、編集部に反論するように勧めるのが一番早いと個人的には思うけど、彼の係争点は別のところなのだものね(苦笑)。 
 

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何も記事消すことないのに…

 今回も、オーマイニュース『佐々木俊尚さんとその責任の不在』に関して。 

 前のエントリーをアップして、くわぁと残務処理をして、忘年会でへべれけになって帰宅すると、音羽理史氏のブログで、私のmixi日記が晒されたエントリー(こちらを参照)が消えていた。
 確かに、無断引用だと明示はしたけど、何も消すこともないのに。mixi利用規約には、ユーザーの日記とコメント欄の著作権に関することは言及がないんだし、私もその旨宣言しているわけではない。ならば問題は掲載の際のモラルに終始する。消したということはリスクヘッジが必要なくらいの落ち度があったと認めたと見なしてもいいということですよね? 客観的に見て、わざわざ不利になるようなことをしているように感じるのですが。
 ま、ひと様のblogなので、とやかく言う筋合いは全くないのだけど。

 それはそれとして。私が気になっていたことには、しっかりと返答を頂いた(参照)。ありがとうございます。

 はじめは日記の内容を引用していて、発言者として名前を一箇所出していたけれども、編集部からmixiの規約に引っかかるという指摘を受けてぼくが書き直した。その際に、別に問題になるべきところでもないので、「ある人」にした。
  
 なるほど。
 「市民記者規約」をざっと見る限り、mixi日記を引用しようとしたとして、抵触しそうなのは第10条の(9)かしら。

 (9)法令に反するもの、虚偽の内容のもの、わいせつなもの、他人の名誉を毀損するもの、他人のプライバシーを侵害するもの、脅迫・嫌がらせ目的のもの、誹謗中傷するもの、他人の著作物を盗用・無断転載するもののいずれかに該当する情報を投稿または送信する行為、または市民記者もしくは投稿記事に関して当社に虚偽の情報を提供する行為 

 もっとも、該当記事は前エントリーで書いたように時系列の操作をしているし、「脅迫・嫌がらせ」という部分も当事者が声を上げれば議論の余地がある(個人的には何も感じないけど、為念)。かなりグレーなんじゃないですかね。
 ただ、彼の発言を信じるならば、「ある人」と記載するようにしたのは編集部ということになる。あ、忘れずにこれも魚拓魚拓!
 第十三条の2に、「当該投稿記事に対する当社の編集にもっぱら起因して発生した結果についてはこの限りではなく、当社が責任を負うものとします」とあるので、「ある人」と記載したことに関しては、編集部に問い合わせてみようと考えています。
 要は、該当記事が「ある人」と記載してぼかしているけれど、市民記者本人が別の場所でそこがどこかを3日前から明示していて、「ある人」が誰か少し調べれば容易に分かり得た状況下で、この記事を掲載したことに対する編集部の見解について、純粋に興味がある、ということです。

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「ある人」って、私のことです。

 師走もクライマックス、「師」とはとてもいえないけれどそれなりに忙しくて死にそうなParsleyですが、オーマイニュースの12月29日付の音羽理史氏の記事を読んで笑い死にしそうになりました。

 佐々木俊尚さんとその責任の不在(2006-12-29 07:31 )

 偶然に見つけたある人のmixiでの日記を見て、大変驚いた。ぼくが以前、オーマイニュースに書いた批判に公式には何の反応も示さなかった佐々木俊尚さんが、そこでぼくの批判を「ネタ」的に取り扱っていたのだ。12月4日のコメントであるが、当然、ぼくは今日に至るまで知らなかった。

 あ、その「ある人」って私Parsleyのことですから(笑)。
 該当の日記はこちらです。私の日記は「全体に公開」しております。
 mixiに入会されてない方でも、こちらのブログに転載されております(参照)。批判ではなく、単なる事実の提示に過ぎないのだけど、そちらに掲載する際、私にはその旨の連絡がなかったということも付け加えておきます。
 それから、「今日」というのは12月29日ではなく26日のことですね。該当のはてなダイアリーは26日にアップしていたのに、なぜか29日付に移動されております。残念ながらWeb魚拓はとってなかったので、証拠の提示は出来ません。あ、今のやつをとっておこっと

 これは推測に過ぎないけれど、彼が該当日記を発見した理由は、おそらく私が12月26日のmixi日記で彼の記事にリンクを張ったので、ログか何かで辿り着いたのかなぁ、と思っております。
 
 オマニの記事では、これらの記事にリンクが張られていないので、そもそも成否の判断がしようがない。コメント欄でも『拙僧』様が「告発としてはその体すらなしていません」と述べているのもごもっともだ。(7番参照
 元の記事から「ある人」なのか、編集部の指示で「ある人」に直したのは分からない。けれど、私の好むと好まざるとかかわらず、Webにアクセスできるひとの目には既に晒されているので、記事内で伏せている意味は大してないように感じられる。
 このままでは、何がファクトで何が問題なのかもわけわかめな方が多いのではないだろうか、と思うので、以上のような事実を公開致します。この件の是非についての判断の一助になれば幸いです。

限定的、『ウェブ人間論』

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 遅ればせながら『ウェブ人間論』を読了したので、簡単に雑感を。

 これは、一にも二にもキャスティングの妙であって、少なくとも売上という面では、この時点で八割がたは成功が保障されていたと言うべきだろう。
 ネットの「あちら側」の住人のメインストリームをひた走る梅田望夫氏と、芥川賞を受賞することにより若くしてレガシィを体現する側に身を置く平野啓一郎氏が、「あちら側」と「こちら側」が交錯(あるいは錯綜)している状態に対して、それぞれの立ち位置から意見を述べ合い、それぞれの立ち位置を再認識しあった。その過程において、ほんの少し互いの人格に影響されるも、それはむしろ自身の見解の深化へと向けられた-。
 「東京で二度に分けて行われ、それぞれ延々ぶっ続けで八時間にも及んだ」邂逅の印象を要約すると、そんな感じになるかしら。
 著者二人以外にとっての意義としては、たぶん、2006年のウェブを巡る社会の「記録」としての存在価値が重いのではないか。例えば20年後に、2000年代にインターネットが与えた影響を考察するためには、外すことのできない重要な「年代記」になり得るだろう。
 一見、文芸誌の特集の方が相応しいように感じる企画を、新書という媒体で世に出した意味は、そのあたりに帰結するのではないかと思う。ちょっと楽観的かもしれないけれど。

 しかし。「はじめに」で平野氏が『ウェブ進化論』について「読後の興奮に静かに浸っているのではなく、やむにやまれぬ何かに突き動かされて、もう次なる行動に移っていた」と記されたようなことには、この対談では残念ながらそこまで至っていないのではないか?
 個人的には、2月の時点と比して「Web2.0」を巡り懐疑論も出始め限界らしきものも見え出していて、それに対する答えが明快にはならなかったことが原因のように感じられた。

 

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いろいろ考えるよね、やっぱ。

 『音楽配信メモ』様の「オリコン訴訟問題の現状の詳細なまとめ」をふんふんと読み進めていたのだけど、以下のくだりでずっこけてしまった。

(3)本当に責任を取るべき人間は誰か

→さて、問題のサイゾー編集部で記事を書いた人間はどうしているか。これは凄いオチがあって、あの記事を作成後インフォバーン社から退職してしまったそうなのである。

 いや、ずっこけたというのは正確じゃないな。さもありなん、といった感じ。
 今、月刊誌の編集部はどんなジャンルでも編集者の離職・担当替わりは本当に多い。自分の経験でも、ひと月ちょっとで辞めちゃったひとに何回か出くわした。定期誌としての継続性の維持でさえ汲々としなくちゃいけないところも結構あるのでは。というか、ウチがそうでした(苦笑)。

 個人的には、『サイゾー』の編集者も、「書いた」というより「書かされた」という印象を受けるけれどね。今回のように大問題になれば仔細に検証されるのかもしれないけれど、ほとんどの記事は読まれているのかどうかさっぱり分からないのだから。適当にもなるってもんですよ(苦笑)。
 
 そんなこんなで。私もやっぱり、これからいろいろ考えなきゃなぁと思う年末なのでした。

肩書き「芥川賞」のメリット・デメリット

 『ウェブ人間論』、今読み進めているのだけど、Web上での書評を先に読んでしまっているのもあり、個人的には鮮度が微妙に思えてしまっている。情報を脳内オミットする技術を磨かなければ!

 それにしても。平野啓一郎というひとは、「芥川賞作家」という肩書きがあったからこそ、梅田氏との対談や、『スロー・リーディングの実践』のような著作を出せたと思うのだが、『セックスなんてくそくらえ』様の罵倒芸のネタにされる(参照)というデメリットも確かに存在するな、と思った。そして、どちらかといえば後者の方を重く捉えているということも無理はないな、と多少同情しないでもない。

 しかし。なんというか。文学賞なんて、選考者のセンスによって大きく左右されるし、それを出版社が権威づけした幻想に過ぎないじゃんと私なら思うのだけれど。ファンタジーノベルス大賞作家・佐藤亜紀の名と比較したことによって、逆説的に芥川賞作家・平野啓一郎の「権威」を認めることになりはしないのか、と疑問に思った。

 まぁ、ほんとうにどうでもいいのだけど。
 ひとまず私は『日蝕』よりも『バルタザールの遍歴』が断然好みですけどね。未読の方には一読をオススメします。

スローモーションの深層学


 12月15日に新宿ロフトプラスワンで開催された、三田佐代子アナウンサーのイベント『サヨコアリーナPULS Vol.8』は、なかなか濃ゆい内容で聞き応えがあった。
 第一部に関しては、スポナビの記事で過不足ない要約なのだけど、「マッスル三銃士」が登場した第二部では一番の核心部が削られてしまっている。

 『マッスル』を語る上で外せないのが、スローモーションである。KAIENTAI-DOJOとの対抗戦という体裁だった『マッスル3』のクライマックスで初めて取り入れられて以来、メインのクライマックスで毎回敢行。葉加瀬太郎のヴァイオリンの旋律が流れたり、紙吹雪が舞ったり、戦っている選手のモノローグが挿入されたりするなど、表現を深化させつつ現在に至っている。
 『サヨコ・アリーナ』でも、イデオロギーの根幹になりおおせた「スローモーション」について、トークのかなりの部分が割かれていた。

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著者近影の魔力

 今日は新書を数冊買い込んだ。

 それにしても、新書の著者近影の写真って、昔からモノクロだ。新潮もちくまも幻冬舎も朝日新書もモノクロ。
 『ウェブ人間論』は、表紙に著者両氏が写っているのだが、梅田氏はともかく、平野氏までもむかしの文学青年然しているのは、まさに写真の魔力といえるだろう。

 確かに、著者のイメージ作りとして重要なプロモーションの場でもあるしなぁ。
 アガサ・クリスティも40歳より後に撮った写真は決して使わせなかったという話を聞いたことあるし。

 そういえば、光文社新書とPHP新書には著者近影がないな。
 何か特別な方針があるのかな。  

本のネタ元は2chかmixi?

 昨日なんとなくAmazonの和書topにアクセスしてみて、『姉ちゃんの詩集』がセンターバナーに鎮座しましていて驚いた。講談社すげー。新潮社とは別の意味で(笑)。たぶん、最低でも2000冊は売らないと広告費回収できないと思われるのですが、この「ガンガンいこうぜ」具合が弱小版元からして見れば眩しすぎます(笑)。

 同書のネタ元は言うまでもなく2ch・VIP板(まとめwiki参照)。少し前に拙blogでも紹介した『話のつまらない男に殺意』(Amazonにはまだない)の場合mixiのコミュニティの書籍化。
 ひるがえって、ブロゴスフィアの場合は、有名人か社長といった別にblogに依存する必要もない個人blogの書籍化か、「ブログ本」か、あるとしてもビジネス・マーケ関連の本が出てくるくらい。夢がないなー(笑)。去年はもう少しバラエティに富んでいたような印象があるのだけど。

 もっとも、blogにしてもmixiにしても、書籍化に成功した個人がイチ抜け、みたいな構造はなんだかなぁと感じる。
 特に、「ブロゴスフィア、マーベラス!」といった感じのひと達が、簡単に書籍化という道を選択しているということが、ある種の限界なのだろうなと思うよマジで。言葉は悪いけど、既存の権威体系に寄生し続けていることには変化ないのだから。