1993-2005

 民主党が結党した1996年に、私は選挙権を得た。今だから言ってしまうが、96年衆院選・98年参院選・00年衆院選と3回に渡って、民主党に投票した。
 もっとも、その選択を後悔はしていない。強力な第二党の出現が脅威となって自民党の内部を変質させ小泉首相の誕生につながった面は多分にあるだろうから。それに、今日では想像もつかないけれど、結党時の彼らには既得権益を打破することを期待させる何かがあった。
 武村正義らの合流を拒否した「排除の論理」をはじめ、当時の鳩山由紀夫の言動を思い出すと懐かしい。
 ん?ちょっと待て。 「懐かしい」という言葉に引っ掛かりを覚えないだろうか。
 いつの間にか、彼らの活動は「振り返られる」だけの歳月が経ってしまっているのだ。

 私が彼らに投票した理由の一つが、地方分権とりわけ「道州制」構想に賛成だったから。
 00年衆院選時の政権公約「民主党15の挑戦110の提案」では、その第一に「道州制を導入し、国のかたちを分権連邦型国家に変えます」と高らかに謳っている。荒削りだが、「小さな政府」実現のための入口としての意識の高さはうかがえる。
 ところが。翌年の衆院選の選挙政策では「分権改革」こそトップに挙げているものの「現行制度っから道州制へのいきなりの転換は現実的ではなく無理も生じます」というふうに変化している。まぁ、段階を踏んで最終的な理想形としての道州制、という捉え方は悪くはないが、トーンダウンは否めない。
 さらに、04年参院選の「まっすぐに、ひたむきに」マニフェストでは、各論の4番目にまで順位が落ちてしまっている。「分権改革」から「分権革命」へと言葉だけは強くなっているけれど、道州制に関して割かれているのは3行に過ぎない。それまでトップに置いていた重点政策を格下げした理由はどこにも記されていない。
 そして。今回の「日本をあきらめない」マニフェストにおいて、地方分権はさらに下がって6番目になってしまった。「都道府県の自主的な判断を尊重しつつ、合併などによる道州制の実現へ向けた制度整備に着手します」だなんて、何もしないと言っているに等しく聞こえる。リストラクションの対象である自治体の意向を聞き入れていたなら、いつまで経っても実現出来っこないじゃん。

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発言の耐え難い軽さ

 8/29に開かれた、日本記者クラブ主催の6党党首による公開討論会。
 これから書くことは、ニュースの切り貼りされた映像を見た感想、ということをまずお断りしていく。

 何より際立っていたのは、岡田克也の言葉の軽さ。発言の内容を吟味する以前の問題のように感じる。声質が上ずりがちで説得力に欠けるのだ。
 だけど。この声にはデ・ジャブがあるなぁ、誰だったかなぁと記憶を探っていると、15年前の海部俊樹の声がこのように聴こえていたことを思い出した。

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serious?

 この時期に、こんなガチで本気で殴りあうような選挙があるとは思ってもみなかったので、未だに困惑しているparsleyではあるのですが、私の心の準備など誰も考慮に入れていないことはよ~く知っているので、腹はくくりました。小泉純一郎ウォッチャーとしての総決算でもあると捉え、投票行動をする所存であります。

 しかし。これまでの選挙はどこか「楽しむ」余裕があったのだが、今度はなぜかおちゃらけを入れることを憚られる気持ちがある。
 去年までなら、国民新党の四コママンガとかに哂っていられた。しかし、今日の私は、このような政治以前のレベルで論外なものしか生み出せない人物達が日本の中枢部にいた、という事実の方を重く感じてしまう。笑ってる場合じゃねーよ、と思う。
 もっとも、彼らが彼らなりにどうして権力を得ていたのか、ロジックは知っている。彼らは彼らの筋を通して、現在に至ることを知っている。
 で、そのロジックを変えようよ、というのが、今回の小泉純一郎の問い掛けなのだ、と勝手に解釈している。
 そういう見方を、どれだけの人ができるか。どれだけの人がシリアスになれるのか。
 オンラインの界隈を覗く限り、どれだけの集団知が発揮できるのか、あまり確信はもてないけれど。

 でも水流は底の方から変化しつつあるのかもしれない。
 というのも、昨日久々に顔をあわせたママンが、「今回は自民党に入れる」と言ったのだ。
 彼女は「反対票」という意味のためだけで社会党・共産党に投票し続けていた朝日新聞購読者だったので、民主党のマニフェストのいい加減さを講釈しようかと思っていた私は正直面食らった。
 「どうして?」と訊くと「郵政民営化、賛成だもん」という。10年前は小泉さんがニュースに出てくるたびに「民営化なんてできっこないよ」と言っていたくせに、と内心で苦笑したが、こういうところから票って動いていくのだろう。「新しい」自民党の本気具合は、確実に浸透しつつあるのだと思う。

夏の終わりのペシミスト

 おひさしぶりです。Parsleyです。
 当blog開設以来、最長のインターバルを置いてしまいました。
 この通り、セカイの片隅で細々と生きてはおりますので、ご懸念なきよう。

 しかし。
 九州から帰ってきてからというものの、どうも気が晴れない。
 オンでもオフでも、俄かにギアを入れて動きを早めている。それをじっとウォッチしてはいるのだけれど。
 「見ている」ということが、一体どれだけのことになるのだろうか、と思う。
 自から他への、関係性が揺らぐのを意識する。
 
 知は力なり……とんでもない!きわめて多くの知識を身につけていても、少しも力を持っていない人もあるし、逆になけなしの知識しかなくても最高の威力を振るう人もある。

 ショーペンハウエルの一節に反芻し、厭世家を気取ってみるのも、この夏が往こうとしているのを感じているせいだろう。
 明日やってくる台風が過ぎれば。秋の足音がはっきりと聞こえてくるに違いない。
 
 

トルコライス。過去、現在。

 8月10日のエントリー『Parsleyの「戦争と平和」』に書いた通り、15日は長崎で迎えた。
 高速道を降りて、市内へと坂を下りゆく車中の、至るところで精霊船が静かに出番を待っているのを眺めつつ、ラジオでの戦没者追悼番組を聴いた。
 途中、通行者の数が少ない。なんでも長崎の人は、盆休みの間ほとんど家から出ないそうだ。私はなぜだか、中学校の国語の授業に載っていた、オランダのユトレヒトだったか、戦没者記念日に二分間完全に街から物音が消えるというエピソードを思い出していた。

 昼食は、九州最古の喫茶店という「ツル茶ん」で、トルコライスを注文した。念のため説明しておくと、ピラフを中国に、スパゲティをイタリアに見立て、真ん中に鎮座するトンカツでトルコを現したワンプレートのことを「トルコライス」と長崎では呼ぶらしい。ちなみに、「長崎 ツル茶ん年表」(ここここ参照)によると、1957年からメニューに加わっている。
 私はちょうど年表が掲げられている前の席に座って、やってきたライスをのほほんと美味しく頂きながら、60年前と変わらぬであろう日差しが照らし続ける傷について考えていた。
 「ツル茶ん」初代店主の岳男氏は1937年に出征。44年には陸軍特攻隊の一員として沖縄に渡っている。妻のテルさん、後の二代目である忠男氏は45年8月9日に被爆。岳男氏の実家までリヤカーで避難を余儀なくされる。
 それでも、岳男氏は宮古島で終戦を迎え、翌年帰国すると早くも営業を再開する。
 この年譜の行間には、私達には窺い知れぬ苦労もあったことだろう。だが、写真の初代まだむの表情には微塵も感じさせない。そういった営みの延長と、ちょっとした巡り合わせの結晶が目の前のトルコライスなのだ、と思った。

 商店街では、「精霊流し」のため夕方には店を閉める旨を書いた張り紙が至るところで目に付いた。展望台に登ると、まだ陽が南にあるというのに、気が早く爆竹の音が耳を叩いた。

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筑豊肥を廻って

 

 8月13日~15日にかけて、九州5県を巡ってきました。その間、こちら様には何から何までお世話になりっぱなしでした。あらためてお礼を。

 その間の脳内活動のご開帳は個別エントリーに譲ることとして、まずは個人的成果と、今後の糧にします的要素をそれぞれ羅列してみるとする。

 成果としては。

 ☆宿泊先(別府)の方に、女の子と間違えられた! 思わずガッツポーズ(笑) 
 ☆布団を敷き詰めた部屋で、ゴロゴロと転がって幸せを独り占めに。ご迷惑をば。。。
 阿蘇小国郷の豚肉ジャーキーを入手。はまる人の気持ち分かる。
 ☆8月で運転休止になる「SLあそboy」の勇姿を拝めた。
 ☆嬉野茶を入手。
 ☆長崎の路面電車に乗った。…etc

 逆に、反省材料。
 ▼小倉競馬、さっぱり当らなかった。事前に「佐賀競馬音頭」聞いて緊張感が萎えたのが敗因。
 ▼アルコールをあまり入れられなかった。ビール一本とウイスキー2杯程度で音上げるなんて。
 ▼「カボスドリンク」を飲んでしまった。素人にはおすすめしない。
 ▼阿蘇山の火山ガスを甘くみていた。
 ▼福岡で何もしなかった。温泉パブ密かに行こうと思っていたのに。
 ▼ひと様の車に乗せてもらっているのに、一度ならず爆睡した。失礼しました。。。

 なんにせよ、とても楽しい3日間でした。上記の教訓を踏まえて、いつの日か再度西下したいと思っております。その折は、また相手して頂ければ嬉しいです。

帰るまちが、あるということ

 今週末は、関東圏を離れます。
 
 しかし、旅に出る前には浮き立つ気持ちがあってもいいのに、自分の場合そうじゃないことが多い。東京を留守にすることに対する後ろめたさの方が先に立つ。そして、自分が「何処でも生きていけるタイプの人間」ではない、ということに苦笑するのだ。

 もっとも、一度動き出してしまえば、そんなことは忘れてしまうのだけれど。

 折角オンもオフも喧騒に満ちてきたところ。目離した隙にクリティカルな変化があったならイヤだな、とは思いますが、基本的に15日夜までお休みします。

 皆さんよい週末を。
 ついでに、ボン・ボヤージュ自分。キミには帰るまちがあるということだけは忘れずに。

気分だけはROSEBUD

 まずはご報告。拙blogでもはてなブックマークの投げ銭システムを導入してみます。これは本当に画期的な仕組み(解説は『R30』様の記事『好むと好まざるとにかかわらず』様の記事などを)なので、是非とも広まって欲しいなぁと思う。
 もちろん、はてなポイントは大いに頂戴したいところなのだが、parsleyの脳内垂れ流しただけの駄文にそれだけの価値があるかと問われると返す言葉がない。だから、年収1000万円ぐらいある方で、マッチ売りの少女に対する憐憫の情に近いものを感じたのならば、お願いしますという感じです。

 さて。自他ともに認めるオンナノコ属性高、でもフローチャートだと両性具有的なparsleyとしては、『Feel Pink, Find Seven』様のエントリー「乙女男子」には脊髄反射の義務さえ感じていた。
 が、どうもネガティブな反応多しだったようで、該当項目を削除されてしまった。(´・ω・`) ショボーン。
 しかし、これこそ「ネタにマジレスカコワルイ」の典型じゃない? 何もfinalvent様まで見解出さんでもと、はてなブックマークで力強く乙女男子宣言した身としては思うわけですよ。
 ただ、ことblog界隈においては、ひとたびアップされたエントリーは共有財産となり、筆者の手を離れているという認識が早く多数派にならないかなぁとも思うが、本筋から離れる上に説教じみているのでやめておく。

 さて。果たしてparsleyはどこまで「乙女」なのか。

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Parsleyの「戦争と平和」

 私事ですが、今週の金曜日夜から九州に行ってきます。最大の目的は小倉競馬(笑)。あとは温泉地を回って。15日は、長崎で迎えることになりそう。

 昨日は言うまでもなく長崎が壊滅してから60年目。
 「運命のいたずら」と言うと残酷に響く。
 が、厚い雲が守った小倉と、視界が晴れてしまった港町、と思うし、直撃したのが教会だった、というのも不思議に感じた。私が生まれた東京のカトリック系病院は、大空襲の時に爆撃対象から外れて完全に無傷だったのに何故、と子供の頃から疑問だったし、今も晴れていない。上記の言葉でしか説明がつかないのだ。
 その「運命」が、カトリック系病院→カトリック系幼稚園と進み、あれだけ聖書を読んだにも関わらず、キリスト(というよりも一神教)に傾倒できなかった理由の一つになったと思う。
 白状すると、9.11以降の世界も、所詮はゼウスの掌の出来事と括ってしまいたくなる時がある。

 私が小学生の頃は、冷戦の只中で、核への恐怖が最高潮だった時代だった。もっと言えば、「東京がヒロシマ・ナガサキになる明日」が現実のものと受け止められていた。国会議事堂が爆心地の被害状況を示した円周図を見て、どこにいても助からないじゃん、と思った10歳時のparsleyに刻まれた傷は、未だに疼く時がある。
 もう一つ、鮮明に覚えているのが、大江健三郎の『ヒロシマ・ノート』の読書感想文が入選したこと。振り返れば、原稿用紙に書かれた内容ではなく、本のチョイスそのものが評価の対象だったのだろうと思う。
 しかし、冷戦体制が終結するとともに、核のリアリティは確実に減退していき、私も時代に流されるままに関心は別の位相に転じていった。それに、誰もが戦場でなくとも何らかの闘いに直面するということを、嫌でも気付くことになった。

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