緊急事態宣言下の誕生日

 はじめましての人ははじめまして。お久しぶりの人はお久しぶりです。Parsleyことふじいりょうです。

 2004年10月から『ヤプログ』で運営していたブログ『Parsleyの「添え物は添え物らしく」』、2020年1月末にサービス終了ということもあって、アーカイブを残すためにドメインを取得したりサーバー借りたりしていたのが、年初にやったりして生まれたのが、このサイト。それで、デザインを整えてから大々的に「公式サイトです!」みたいにやりたくて、記事も書いていなかったのだけど、なかなかWordpressをいじる時間が取れずに、4月8日の誕生日を迎えてしまいました。てへぺろ。

 まあ、これから時期を見てサイトの体裁を整えていきたいとは考えているので、しばしお時間を頂ければ幸いです。

 さて。4月8日は花まつり。つまりお釈迦様の誕生日で、多くの学校では入学式が行われる日。それに加えて、今年は7都府県の緊急事態宣言が発令された日という「歴史」が刻まれた日になってしまった。なんかあまり自分のお祝いという気分とは若干ズレが内心にあるのは確かだ。

 緊急事態宣言の是非については、面倒なのでここでは記さない。ただ、ちょっと階下の道路を見るだけで交通量は減っているし、世が静けさと切迫感が同居した不思議な空気になっていることは肌で感じられる。SNSでは個々がCOVID-19についていろいろ投稿しているし、メディアの関心もリソースの8割くらいは割いて報じているような感覚がある。

 かくいう私もメディアの端っこでお仕事をしているので、そういった情報から目を逸らすことが許されない立場ではあるのだけど、「怒」と「哀」にばかり触れていると自分自身が染まってしまう。そう、ソウルジェムが濁るみたいに。

 もう既にあちこちに記してはいたので知っている方は知っていると思われるのだけど、昨年は散々だった。まず不眠と頭痛に悩まされて、味覚が理解はできるが感じられなくなった。それに胃痛が加わり、瞼の痙攣や耳鳴りがはじまり、ついには失声症になった。夏頃はほとんど引きこもって過ごした。正直、「もう何も書けなくなった」と思った。

 結局9月に「再帰性うつ病」と診断され、めでたく精神障害者保健福祉手帳3級に認定された。これで気持ちがラクになった。良い主治医と出会えたこともあるし、パートナーがずっと支えてくれたというのも大きかった。しばらくネットから離れて読書したりアニメを見まくったり、旅行先でのんびりする時間を経て、少しずつ体調が持ち直した。服薬によって嘘のように眠れるようになったし、朝起きて三食きちんと取って、夜にPCを落として就寝するという、過去に記憶がないほど「まとも」な生活を送るようになった。

 それで、1月ごろから徐々に仕事に復帰して現在に至るわけなのだけど、そこに新型コロナである。東日本大震災時もそうだったけれど、情報過多になるとどこに落とし穴があるかわからないような、売文業にとってもストレスの溜まりやすい環境に放り込まれてしまった。「なるほど、これがロスジェネ世代の宿命か」とは思ったけれど、今のところは上手く対処できている。やはり、再起するプロセスにおいて、マインドが変わったのだろうな、とひしひしと感じる。

 ぜんそくもちで気管が弱い自分は、ずっと「30歳まで生きられない」と思っていた。その後は「おまけ」のように考えていた。それでどうしても捨て鉢のような行動や態度になってしまうことがしばしばあったし、何事もつま先立ちで向き合うような生き方をしていた。

 それが、今は「少しでも長く、書くことを続ける」ためにはどうしたら良いのか、ということをまじめに考えるようになった。まだまだ課題は多いけれど、そのためのストレスコントロールと生活リズムの構築に関して注意を払うようになった。まぁ、そんなことは学生のうちにやっておけよ、と思うのだけど、何事もはじめるのに遅いということはないだろう、と言い訳することも覚えた。

 だから、今回のCOVID-19にまつわる情報についても、50%くらいのリソースで触れて、残りは別のことに振り分けるようにしている。何も自分が「書く」ことはそれが全てじゃないし、ほかにも題材はたくさんある。公開が延期になってしまったけれど、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』のことも語りたいし、朝倉行宣住職がやっていらっしゃる『テクノ法要』についても追っていきたい。まだ乙女男子としても道半ばだ。そして、ロスジェネ世代当事者としての発信は続けていかなければいけないという使命感もある。ちょっと取り組んでみたいビジネスモデルも考えているし、なかなかに欲張りに、アクティブなマインドになっている。

 とはいえ、闇雲に働くとまたガクンと下がるかもしれないので、適度にブレーキを踏みつつ、そろりそろりと走るくらいがちょうどいいのだと言い聞かせながら、これからも前に進めることができればと思っている。

 そんなこんなで。これからもどうかよろしくお願い申し上げます。

Love? or Sex?

 小谷野敦氏の『「誰でも恋愛できる」という幻想を捨てよ』と、栗先生の反応エントリー「だから恋愛するのは簡単だって」を読んだ。

 私が思ったのは、結局のところ「恋愛」という言葉の定義合戦になるよなぁ、ということ。
 もっといえば、「恋愛」という言葉が指す時間の長短だろう。

 ただ、私はこういった恋愛論は、皆夢中になっているふりをしているだけだろ、と考えている。恋愛から性愛を抽出して取り出したいだけなんじゃないの、と。
 したいと思ってする恋愛をするのはそりゃ難しいでしょ。
 でも、「だからセックスするのは簡単だって」と言えば、脊髄反射で首肯出来る。

S. F. ZONE Ⅰ

 SFとは、「サイエンス・フィクション」でも「ステレオ・フューチャー」でもなく、「SEX FREE」の略。今週一杯は、インモラルにモラルを語ってみるつもりだ。
 スレスレのDVDソフトを売り歩くようになって半年近くになる。そろそろ、世間様にも関心が高いご様子の「うわき」「ふりん」に、真正面から対峙するにはいい頃合だろう。
 勿論形而上の話ですよ。
 そう。他の案件と比して、このことにはちょっと真面目になってもいいかな、とparsleyは思っている。

 話は遡るが、3月4日の参議院予算委員会で、山谷えり子議員が「ジェンダーフリー」問題に関連して、行き過ぎた性教育に関する質問を敢行された。
 小泉首相がポプラ社の家庭科教材を見て「これはひどい」と唸った場面は、ニュースでも放映された。読売新聞は3月13日の編集手帳で取り上げた。そして、今や日刊ゲンダイでも取り上げられるようになった。
 まぁ、どの報道も、何も言っていないに等しいのだけれど。4月より文科省が実体調査を行うらしいが、少年非行への世論調査の扱い(こちらを参照)を見ていると、マトモな分析はおろか、まっさらな情報が届くかどうかも疑ってしまう。

 それはさておき。子供の立場で考えれば、SEXのやり方を手取り足取り教えるなんて、それこそ余計なお世話というヤツだと思う。
 だいたい、中学生になれば国語でえっちぃ題材は沢山扱うだろうに。parsleyご幼少のみぎりには、百人一首の句の意味を知ってドキドキしたものだ(笑)。
 前にも書いたけれど、適切な時に適切な事を知り、適切に行動できるでしょ人間なら。勿論、HIVをはじめとする問題に対するアナウンスは重要だから、保健で性教育を全くやるなというのは極端だが、少なくとも「カーマストラ」は不必要だろう。

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Revolution, Cross over ② 想見×想起

 えらく難しいタイトルをつけて、下世話なことを語るカモフラージュにしようという試みである「Revolution, Cross over」第二回は、やはり下世話なオハナシ。だから、そーいう気分なんだって。

 この仕事始めて以来、当たり前だが成人指定雑誌やアダルトソフトを見る機会が飛躍的に増えた。実はそれまで、そのテのものは数えるほどしか見たことがなかったのです。いや、表現に正確さを求めるとすれば「見る」よりも「眺める」の方がより近いだろう。少なくとも、製作者・著者の意図が私に届いていなかったことは間違いない(この点は現在でも改善されているとはいえなさそうだが)。
 まぁ、これでも♂なので、唐突に催して独力で処理しなければいけない局面を数千回は経験しているが、その時に頼りになるのは文章の方だった。妄想を際限なく膨張させていくタイプの人間には、写真や映像は情報量が多すぎて適さない。一時期私は行間の出来事を勝手に構築することに夢中になっていた。
 
 で、これまでの人生の数倍のアダルトソフトを(真剣に)観て気付いたのは、自分が体験していないストーリーのものを、断然面白いと感じていること。
 月に数千本も出る新譜をざっくり分類すると、半分弱がコスプレもので、3割くらいが「プレイ」系。残りは「ストーリー」重視路線といったところになると思う。いずれにせよ「シチュエーション・プレイ」であることには変わりがない。制作陣は「ありえないような」うまい話を描き続けている。
 が、そのありえないような状況を実際に体験している人が観たとすれば?
 案外、強引に結びつけれることが出来るなぁ、というのが率直な感想なのだが、実際のところこの映像の消費者たちはどうなんだろう?

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Revolution, Cross over ① S×M

 唐突にシリーズ立ち上げて、初っ端からエロ系かよ! まずは自分に自分で突っ込んでおいて…。
 窓越しに夜空を見上げれば、三日月が頼りなげにこちらを見下ろしている。何か、普段は眠っている脳神経が疼くのを感じる。もっというと、キケンを冒しかねない気分。そんな日に書くには相応しいテーマである。
 それから、私parsleyが「S」を自覚している、ということを前のエントリーでちらっと書いたのが、書き足らなさというか、自分の中で棘が刺さっているような感覚が残っていた。というのも、人口に膾炙するSMと自分が考えるSMとの間には、随分落差があるように思えるのだ。その距離感を俯瞰しつつ、いかに「parsleyのSM」を提示できるかが、今回のエントリーの主眼になる。
 そういえば、13日放映のフジテレビ系列『ジャンクSPORTS』で荻原次晴が「アスリートは皆M」みたいな話題を持ち出していた。このことも、少しは関係あるかもね。

 「SM」がそれぞれマルキ・ド・サドレオポルド・フォン・ザッヘル=マゾッホが由来であるわけだが、おそらく人間が誕生した瞬間に生まれた感覚なのだろう、と思う。「官能」とこの感覚は、引き離そうにも引き裂けない。
 そう。SとMは特殊な性向ではなく、二者間で情欲のスイッチが押された時、一つの例外なく直ちに動き出すシロモノなのだ。互いに主導権を取ろうとあの手この手四十八手を尽くして攻守が目まぐるしく入れ替わると同時に、SとMの役割を交換しつつ、高みに上り詰めるのが、「秘め事」の俯瞰なんだと思う。
 ネコ(受け専のレズの人)同士だと、最初はぎこちないが、撮影を進めるうちに片方がタチに回る、という話をレズもの専門の監督が語っているのを読んだことがある。これなんか「SM」=「役割」を示す好例だろう。個人の指向としてSかMか、という以前に、プレイする上でのS的・M的というものが常に存在する。
 その考えだと、サッカーの攻守の切り替わりとメカニズムは似ているかも。

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Revolution, Cross over まえがき

 しかし、我ながら大げさなタイトルを付けてしまった。
 ここでの「Revolution」は「革命」というより「転回」という意味あいが強い。「Cross over」は文字通り。
 要は固定しているかに見える事象や座標軸をひっくり返したり交差させたりして遊んでみましょう、というのがこの項の趣旨になる。気分は松岡正剛、というところ(笑)。
 といっても、まだ自分でもちゃんと体系化はされていないことをだらだら書くことになるだろうから、うららかな午後の茶飲み話感覚で読み飛ばして頂けると大変嬉しいです。
 ちなみに、今後もエントリーごとにテーマ決めていくシリーズにするつもり。脳細胞の密林へ闇雲に突入していくことになるので、気持ちに余裕がある時しか書けないだろうけれど。

 ああ。タイトル長いから、略称が欲しいな。面倒くさいので「レボクロ」。これでいこう。
 そんなこんなで、私parsleyのたわ言に付き合って頂ける奇特な方は大歓迎致しますので、刮目して待っていて下さい。…って日本語ヘンだ(笑)。