西村修に関する2、3の事柄

 私が西村修を生観戦した唯一の試合が、2004年9月25日の全日本プロレス後楽園大会の第四試合
 西村は、この後で引き続き武藤敬司と組んで世界最強タッグ決定リーグ戦に出場した。新日本の両国大会でもこの二人で当時「新三銃士」とされていた中邑真輔・棚橋弘至と戦っている。このあたりはちょっと記憶が曖昧。(参照
 で。このタッグマッチを実質的に支配したのは西村の「無我」ワールドだった。何か凄かったかといえば、試合中に対戦相手のLOVEマシンズが持ち込んだ「リストラボックス」に閉じ込められて座禅を組んで瞑想をはじめたのだ!(スポナビの写真参照
 この試合の直後に急逝したビッグ・ボスマンの追悼セレモニーがあったのだが、10カウントゴングの際にもボックスからは出してもらえず、座禅を組んだまま瞑想から黙祷にシフトした。たぶん。
 西村をリストラボックスにブチ込んだ片割れであるラブ・マシン・ストーム=嵐は、2006年に大麻所持で逮捕されて全日本を追われた後、今年の7月に西村の口添えで本名の高木功として無我のリングに上がった。
 そして、今回の西村の無我離脱・全日本プロレスへの入団発表である。(参照

 西村は、三銃士・四天王以降で、おそらく一番メディアでの発信力・話題作りが長けているレスラーである。メジャーなシングルのベルトを巻いた経験がないにも関わらず、クオリティペーパー・東スポでも大きく扱われるし。「NYにて立ちションで逮捕」とか「ドイツでヒロコ(鈴木健想の妻)と不倫疑惑」とか。
 今回も、彼なりの仕掛けがいくつも見られた。19日のサムライTV『S-ARENA』では、無我後楽園大会から全日代々木大会に向かう前の姿がキャッチされている。
 この絵作りが秀逸すぎた。試合後にリングタイツのまま、Tシャツも着用せずに駐車場に直行。後部座席にトランクを放り込むと、『週刊プロレス』松川記者らの質問に一切答えずに愛車に乗り込み発進させていった。
 もしかすると、佐々木健介vs川田利明の三冠ヘビー戦を差し置いて、武藤と並んだ記者会見のショットが『週プロ』の表紙を飾ってしまうかもしれない。もちろん、『無我』においてはそこまで大きく扱われることは望むべくもない。

 しかし。西村修のイメージを列挙してみると、彼が矛盾のひとだということが浮き彫りになってくる。

 カール・ゴッチが師匠。
 癌を食餌療法で自然治癒。
 長州力は絶対に許さない。
 ビール党。
 映画「いかレスラー」で主演。主題歌も歌う。
 慶応大の通信課程で哲学専攻。
 インディー批判。
 そして、「無我」の伝道者。

 Wikipediaでも、わざわざ「整合性問題」なるカテゴリーが設けられていたりする。(参照
 ま、ゴッチ・スタイル=シュートと捉える向きからすれば「?」が付くし、ご飯健康法なんて行っているわりにビールは飲みまくりだし(この当たりは『プロレス・格闘技超”異人”伝』のインタビューが詳しい)、海の向こうではChikara proとか上がっていたじゃん、などなど、どこから突っ込んでいいのか分からないくらい沢山の疑問点を内在している。
 彼の恐ろしいところは、それらを全て包括して、西村修=無我というキャラクターを確立してしまっているところなのだ。しかも自覚的に。そうでなければ、「無我」を個人で商標登録したりはしないだろう。

 残念だけど、そこまで周到に構築されたイリュージョンに残された藤波以下のレスラーたちが対抗して「無我」を名乗り続けるのは難しいように思える。
 幸い、西村と違って、藤波の代名詞は「無我」だけじゃないのだから、新しく看板を架け替えて再出発すべきなのではないだろうか。例えば「プロレスリング・マッチョドラゴン」なんてしたら、オールドファンを取り込むのには最適なんじゃないかな。それで城下町を全国行脚すれば最高!

 ‥‥ま、何にせよ。俄然二団体の動向に目が離せなくなったことは確かだ。

feel:いかレスラーの歌(西村修 featuring TOMOKA)(CCCD)
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