『メディア・イノベーションの衝撃』にコラムを寄稿しました。

 7月23日に日本評論社から発売される『メディア・イノベーションの衝撃』に、『「電波」の処方箋は読み手のリテラシー』というコラムを寄稿しました。
 この本は情報ネットワーク法学会デジタル・ジャーナリズム研究会で2006年春より2007年初頭にかけて開かれた連続討論を書籍化したものです。研究会には、私も末席で参加させて頂いておりました。

 しかし、ディスカッション・パートの自分の発言を読み返すと、レベル的にどうよな明後日で極端なことばかり言っていて赤面もの。巻末の発言者紹介を一見すれば分かるように、自分だけ500枚は格下なので、緊張して舞い上がっていました。何卒ご寛恕頂ければ幸いです。


 それで、私が担当したのは第二部の「ブログは報道機関になりうるか -”ジャーナリズムの3領域”と”妄想”をめぐって」のコラム。書いたのは今年の2月で、情報の鮮度という面では古いところもあるかもしれませんが、”電波”を見分けるのには自分でリテラシーを身につけるほかはないという主旨に関しては、今後長期間に渡って褪せることはないだろうと信じます。
 この章の討論が行われたのは約1年前で、「アウトプットの質を担保する組織が存在しないブログは報道機関としては成り立たない」という『R30』様のプレゼンを叩き台にして進んでいます。
 ”妄想系”として遡上にあがったのは、『きっこのブログ』や『世に倦む日々』、それに「ことのは問題」(佐々木俊尚氏のエントリー参照)に関しても触れています。ちなみに、第四章では「連邦軍」という言葉まで登場します。
 また、誤読が流布して事実関係が誤ったまま固定観念化する例として、町村泰貴先生このエントリーのコメント欄が登場してきたので、コラムでもステイタスや実名匿名に関わらず悪気なくとも間違った解釈情報を流してしまうケースとして言及させて頂きました。
 もう一つ、この本のメインターゲットは新聞関係者と考えられるので、毎日新聞の大淀病院妊婦死亡事故報道に関して、ネットでの議論も含めた一般読者の厳しい声に無自覚だから身内の賞に選んでしまうのだと批判してみました。何気にここは、どうしても入れておきたかった部分だったり。
 このブログでしか言論の担保のない、私の拙文を掲載して頂いたDJ研と編集の高瀬文人氏には心から感謝いたします。ありがとうございました。

 折角なので、他の章の見どころなども。

 第三部の「市民ジャーナリスムは可能なのか」は、オーマイニュースウォッチャー必見です。議論が行われたのはオピニオン会員が廃止された2006年11月の直後。佐々木氏と平野日出木氏の間で「辛らつな意見・批判を遠慮や容赦もなく交わして激論となった」(橋場義之先生の序文より)ことを、出席者の一人として証言しておきます。
 また、市民記者組織本部長を務めていらっしゃった田中康文氏が、「内部から見たオーマイニュース日本版」というコラムを寄せています。

 第四部「メディアインフレーションが生み出したミドルメディアの役割」では『ガ島通信』様のメディア論をもとに、Google・Yahooに代表されるポータルサイトやはてなブックマークのようなSBMがメディア化することの問題点が論じられています。

 参加していてとても面白かったのは第五部の「ネット上のロボットが、流行を作り、世論を誘導する」のディスカッション。ボットによって組まれたPRブログのノウハウがもし世論形成や特定の人物の攻撃に使われるとすれば-。「マーケティング」がメディアや政治に与える影響に関してかなり突っ込んだ議論が展開されています。
 この章のコラムを担当されているのは、アジャイル・メディア・ネットワーク徳力基彦氏。クチコミ広告の現状と課題についてお書きになっていて、ブログでの氏とは一味違った印象を受けるのではないでしょうか。

 第6部「”無邪気な巨人”グーグル・ジャーナリズムの功罪」では、森健氏がプレゼンを担当し、グーグル八分やアドセンス狩りといった問題を含めた検索エンジンがジャーナリズムに与える影響に関して討議。日本のWebのデータを他国=Googleが握っているというのは情報の安全保障上において問題、という刺激的な話にまで及んでいます。

 第7部「ネット世論とサイバーリテラシー」では”炎上”や”ポピュリズム”をキーとしてネット言論を検証し、コミュニケーションの場やアーキテクチャによる影響について論じています。ブロガーの立場からだけでなく、既存メディアが読者・視聴者の苦情・意見に対してどう向き合っているのか、関係者からの貴重な証言が飛び出しています。コラムは、歌田明弘氏が担当されています。

 第8部「進化するウェブ広告とメディアの収益構造を考える」に関しては、このディスカッションを踏まえてR30様がお書きになった『「選び、捨てる」のできないオールドメディア』を一読されるとよろしいでしょう。
 コラム『メディアビジネスの「コスト」とは何か』もR30様のもので、ちゃぶ台返し具合がスゴイです。表ブログでの活動を控えることになった理由も垣間見える内容なので、メディア関係者だけでなく彼のファンの方は必見かと思います。

 全体として、私のコラムも含めて、突っ込みどころは満載です。
 是非ともお手に取ってみて、ご感想やご批判を特設ページなり、このエントリーなりまでトラックバック頂ければ幸いです。
 また、7月30日には、発売記念シンポジウムの開催が決定しております。
 FPNのエントリーで受付を開始しておりますので、お時間のある方はこちらも是非よろしくお願い致します。

5 Replies to “『メディア・イノベーションの衝撃』にコラムを寄稿しました。”

  1. 貴重な情報をありがとうございます。
    私が参加表明したにも関わらず、参加できなかったDJ研がなかなか盛会だったのですね。

    メディアリテラシーの重要性が説かれていますが、読者・一般人には、調査能力がないので、完璧なるメディアリテラシーは獲得できないというのが、私の言論です。
    そして、オウム真理教を一切否定しない4人の人達が加わっているDJ研のことを考えると、彼らの言論の中にカルト擁護を導き出す言論はなかったのか…。と、気になって仕方がありません。
    同じ、表現の自由を訴える人でも、殺人集団に属する人が言うものと、民主主義者が言うものとでは意味が違います。
    是々非々などといいますが、いったん個の言論になっとくしてしまうと、そこから先に、危険な世界が待っている。そんなことは良くある。
    つまり、ヨガの教室を装って誘い出し、いつしかオウム真理教の教義を刷り込んでしまう。
    そのような可能性はゼロとはいえないし、そのような可能性が否定できぬならば、すべての言論人は、自分はカルト信者ではないと、言明・宣誓してから議論・言論をはじめるべきだと考えています。
    私を拒絶したDJ研は、まさに確信犯として、カルトを内包して営まれた。
    そのことを、ネット者のひとりとして私は忘れてはならぬと思うし、インターネットの特徴が、ログが残ることであるなら、「ほとぼりはいつまでも冷めない」。そのことを、今後も実証していきたいと思っています。
    自説開陳失礼いたしました。
    そして、このようなコメント欄をおあけ下さっていることを感謝いたします。
    ありがとうございました。

  2.  >スポンタ中村さま
     コメントありがとうございます。
     まず、結論から申し上げると、アーレフをはじめとする特定の宗教を擁護するような言論は、私の出席した会では一切ありませんでした。また、私の知る限りにおいて、この研究会は「カルト教団と言論の自由」について論じるためのものではありませんでした。
     私見ですが、ご指摘の方々は松永英明氏批判に対して懐疑的な視点は提示されていますが、アーレフの教義に関しては肯定した文脈で発言なさってはいないと思います。泉あい氏に関しては、「仕事」が不充分で稚拙だったという以上でも以下でもない、というふうに考えています。
     上記のようなことから、「DJ研は、まさに確信犯として、カルトを内包して営まれた」というお言葉には、DJ研に参加した個人ブログの運営者という立場から明確に否定させて頂きます。
     蛇足ですが、当時の私が松永氏インタビューと、それを巡る言説について批判的な立場からいくつか記事を書いたということを付け加えさせて頂きます。
     <リンク:http://yaplog.jp/parsleymood/archive/375>今更の『松永英明さんへインタビュー』雑感
     <リンク:http://yaplog.jp/parsleymood/archive/386>今更の『「ことのは」問題を考える』雑感
     <リンク:http://yaplog.jp/parsleymood/archive/391>毒を食らわば皿までの「園域」批判

  3. 言及ありがとうございます。
    >上記のようなことから、「DJ研は、まさに確信犯として、カルトを内包して営まれた」というお言葉には、DJ研に参加した個人ブログの運営者という立場から明確に否定させて頂きます。
    了解いたしました。
    「DJ研に参加した個人ブログの運営者という立場」から明確に否定していただいたこと。感謝いたします。
    後は、DJ研の首脳の方々が否定すること。ですね。
    明確に、それぞれの当事者の方々が否定すれば、それでいいし、その責任の中において、「カルト教団と言論の自由」について分科会をひらくべきでしょうね。
    *
    そのような事態が今後起こることを私は期待するし、そのような状況が起きて尚、批判する人があれば、ルサンチマン(怨念的・感情的)の謗りを受けるでしょう。その対象として、私も例外ではない。
    *
    個人ブロガーとして、DJ研に参加されたことで、さまざまな思いをされたのだと思います。
    今後とも、その感想がネットで垣間見れることを期待しております。
    今回は管理者様を少なからずご立腹させたのではないかと、危惧するとともに反省いたしております。
    ほんとうに申し訳ありませんでした。
    そして、コメント欄を開けてくださっていることを深く感謝いたします。
    トラックバックも承認制にし、コメント欄も開けずにブロガーだと自称する人が多いのは、困り者です。
    その意味で、管理者様を深く尊敬もうしあげます。

  4. Medea InOBJECTION

    今回のオウム問題に関しては”主義主張”の部分でぶつかっていると言う ところが、今まではなかった要素だと言えます。今までは炎上対策として、 コミュニケーションスキルを磨くと言うところに力点が置かれてきました が、主義主張同士のぶつかりあいだとそれは通用しない

  5.  >スポンタ中村さま
     再度のコメントありがとうございます。
     こちらこそ、失礼があったことをご寛恕頂けますようお願い致します。
     『「カルト教団と言論の自由」について分科会をひらくべき』ということですが、分科会の分科会というのは体制的に難しいかもですね。発言者の一覧をご覧になれば分かる通り、社会学者や弁護士の方はいらっしゃいませんので。
     滝本弁護士は例外ですが、この案件に関してウォッチャー/フィールドワーカーの方々がそれほど注視していないのは事実だと思います。
     

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