カギは「パーソナル」

 『ガ島通信』様が、自己評価と周囲の視線とのギャップに挟まれて、なんだかイジけて…もとい、落ち込んでいらっしゃるみたい。
 いきなり不躾で失礼なはじまりにしたのは理由がある。氏の記事の最大のアドバンテージは、「放っておけない何か」を無意識に醸し出していること、だと思うのだ。「絡まれ系」キャラといえば『R30』様だが、その方面では最早ダントツで『ガ島』様なのではないだろうか?
 とにかく、ソフィア・コッポラ風に言えば「パーソナルな」文章は、誰でも書けるわけではなく、また研鑽を積んで書けるようになるわけでもなく、ただ書き手の天与のものに依存している。その才に『ガ島』様は恵まれている。単純に羨望するよ私は。
 彼の記事を読みに来る多数のコメントを残さずtbも張らないサイレントな読者は、別に切れ味鋭い告発や、鮮やかな未来予想図を期待しているのではないんじゃないかなぁ、と思う。多分、彼自身が七転八倒・悪戦苦闘しているのを見に来ているのでは?
 
 同じような雰囲気を感じるライターさんといえば、宇都宮徹壱氏が思いつく。
 彼のサッカーの試合の記事は印象論に終始していて「そんなのオレでも書けるよ」と毒づきたくもなるのだが、その印象に至るまでの自身の行動や心象風景までもを晒せるところが非凡なのだ。


  お二人に共通するのは、「ジャーナリズム」の本道の階段を登るのとは明らかに別のアプローチで現在の位置にたどり着いていること。
 サッカージャーナリズムは、元選手か指導者、新聞・雑誌記者が中心。だが、宇都宮氏の場合、TV制作会社勤務を経て、突然「写真家宣言」をして世に現れている。
 『ガ島』様は地方紙勤務で、論壇の中央にいたわけではない。それがblogで自身の主張を表明し続けることで、街道外れの悪路を三段跳びであっという間に走破してしまったわけだ。
 彼らにそれが可能だったのは、まさに「パーソナル」だったからの一言に尽きるのではないか。

 無駄話が過ぎた。
 そんなわけで、『ガ島』様には、今のままのテイストで「メディアの周辺」を突っ切って頂きたいのだ。
 あと、差し出がましく言うならば、コメント欄にそんなに反応しないでも、とも思う。だって、記者時代の実績を問題にしたり、批判対象から原稿料貰っているのを問題にしたりするのって、ほとんど難癖じゃないですか(笑)。スケールは違えど、ホリエモンへの感情的な批判と同根でしょ大抵は。
 とはいえ、反応してしまうところも「パーソナル」なわけで、どうこうすることでもないのかもしれないな。
 何にせよ、あまり無理はなさらずに、これからも読者を楽しませて下さい。

 ちなみに。「パーソナル」というキーワードは、今の東京を表現するのに最も的確な言葉なのだと思うのだが、それはまた別の機会に。

One Reply to “カギは「パーソナル」”

  1. 「接待」で勇気をもらう

    ホームページ制作
    昨晩、新しい職場で初めて「接待」なるものを受けました(私は付き人)。新聞業界にいるとあまりこういうのはありませんし、断っていましたから、「作法」がわからず失礼があったかもしれません。取引先の部長を紹介してもらうという目的だっ

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