素質・環境・運命

 『バッド・エデュケーション』(2004年・西)

 採点(五段階):★★★

 誤解を恐れずに書けば、この映画単体で、感心することは少なかった。
 これまでのアルモドバル監督作品、『オール・アバウト・マイ・マザー』『トーク・トゥ・ハー』ほど、登場人物の心象が掘り下げれていないように思える。ストーリーテーリングに意を用いすぎて、ストーリーの表面をなぞっているに止まっている印象を受けた。色使い、特に緋色の素晴らしさには目を見張ったけれど。
 
 が、私parsleyの心象とクロスした部分を開帳しようとするならば、様々な要因が絡み合って、この時期にこの映画を観たという事実が、後々重量感を持ちえる作品ではあるのかもしれない。何か歯切れが悪いな。


 物語は1980年マドリット、若くして成功した映画監督のエンリケのもとに、幼馴染のイグナシオを名乗る、美貌の青年が現れるところからはじまる。あまりにも変わった友に疑惑を覚えながらも、彼が売り込んできた、二人の幼少期に教会の寄宿舎で経験した出来事をモチーフにした脚本に、エンリケは引き付けられていく…。

 この作品にイマイチ乗れなかった理由は、評論家がこぞって絶賛していたガエル・ガルシア・ベルナルの「官能」に惹きつけられなかったから。
 彼は一人三役をこなしたことになるが、最後まで「何ものでもないもの」になれなかった。なる意思もなかった。「神も愛も失った」が我は失わなかった。うーん。そのあたりがラテンなのかもしれないけれど。私が「絶望」を求めすぎているのかもしれない。
 で、エロさでは、断然エンリケ役のフェレ・マルチネスの方だと思った。肌綺麗だし、半開きの口元とか、細身なのに贅肉が適度についている腹回りとか、プリチーな臀部とか。×××も立派そうだし(笑)。

 個人的には、教皇が逝去して、曲がりなりにも聖書を経典とする教団が事件を起こしたこのタイミングでこの映画を観た、ということに奇妙さを感じている。
 言うまでもないことだが、教会世界において、色欲は七つの大罪の一つだし、同性愛(ソドミー)も忌避される。だが、そのような環境下でも、「性」を中心にした渦に呑まれ落下していく人々は数え切れないほどいたし、これからもなくなることはない。
 この映画では、幼きエンリケとイグナチオが恋に落ち、イグナチオに執心していたマノロ神父により関係が身も心も引き裂かれる。
 個々の「素質」と、異性を排除した閉鎖的な空間が相互に作用して、三者の命運が動き出す。このどれが欠けても、性癖が醸成することはなかっただろう。そう自然に納得させるアルモドバルは巨匠と呼ばれるに相応しい。

 「性癖」という言葉を真ん中に据えて、某教会の出来事を思う。フェレのインタビューの一節が浮ぶ。

 性的な関係を完全に絶つということは、自然には反する行為ではあるんですが、それを強いられることで狂気が生まれるんです。

 国民の大半がカトリックのスペイン。公開時にはさぞやセンセーションを巻き起こしたと思いきや、列車テロ事件と重なったため、静かなものだったという。
 この映画は、イエズス会を生んだ風土が生むべくして生まれた作品だと思うが、これからも鬼ッ子たる運命を背負い続けなければならない物語なのだろうか?

 そして、日本公開時には、教義にリテラルだった教皇が亡くなった。
 コンクラーベには、日本人も二名参加する。

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