どうせなら良い「踏み台」になりたい

 今年もというべきか、お釈迦様の誕生日に歳を重ねた。20代の頃は毎年「死に損なった」という感覚でいたけれど、今はつらいこともあるけれど基本的に人生を楽しんでいると思うし、これまで生きてきた期間よりも死を迎える時間の方がたぶん短くなっているのだし、せいぜい自分の生きたいように生きようと考えるようになった。

 正直、自分の気分ではまだ25歳くらいでいるし、見た目も(ちょっと白髪が出るようにはなっているけれど)そんなには変わっていないから、前厄だという実感に薄いのだけど、体力は明らかに衰えた。ちょっとしたことでもベッドから起き上がれないという日もあるし、ハードワークをした次の日に何もできなくなるという事も増えた。19歳の時から新聞奨学生として社会を見る機会はあったものの、学生でなくなったのが26歳と遅かったということが影響しているのかもしれない。若い子と付き合っていると、「また勉強し直したいなぁ」と思う時も多いけれどね。

 それにしても。40過ぎでもフラフラとした立場でいるというのは、「なんだか人生失敗しているな」と感じるし、実際に同年代で活躍している人を見ると上手くいっているとは到底言えないのだけど、それなりにいろいろなところで売文しつつ、社会に何らかの寄与をするという幸運に恵まれている身としては、自分よりも若い子だったり、何らかの手段で世の役に立とうとしている人の後押しをしなければいけないな、という意識が年々高まっている。自分はこれ以上の栄達が望めそうにないということはなんとなく理解しているし、伸びしろも今後どんどんなくなっていくだろう。だからまぁ、せめて自分を「踏み台」にして、世に出る人の役に立ちたい。

 「踏み台」といっても、0.1cm程度の高さしかなかったなら、その人が「飛ぶ」役割は果たせないから、せめて10cm程度の「踏み台」になりたいし、できれば内部にバネが入って、その人のジャンプを助けたい。そのためにメディアは存在していると思うし、ネットメディアの隅っこで売文している身としては、そうならないといけないな、と改めて考えた誕生日だった。

 ちなみに、写真は洗足池の散った桜で彩られたベンチ。どうせなら、皆がぱっと咲いた後の残り香を感じつつ、彼らの活躍を見守りたいと思う今日このごろだったりします。

 

 

One Reply to “どうせなら良い「踏み台」になりたい”

  1. 元のブス顔がさらにおっさんになったことにもご自分ではおき付きにならないナルシストさま、売文と称してツイッターとコピペしかなさらず、ご自身の文章を書くだけの脳味噌も無い、社会にゴミを吐き散らす乞食は、若者からは搾取してばかりだとお目見えします。
    おっさんワンピース今度見たら通報します。

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