緊急事態宣言下の誕生日

 はじめましての人ははじめまして。お久しぶりの人はお久しぶりです。Parsleyことふじいりょうです。

 2004年10月から『ヤプログ』で運営していたブログ『Parsleyの「添え物は添え物らしく」』、2020年1月末にサービス終了ということもあって、アーカイブを残すためにドメインを取得したりサーバー借りたりしていたのが、年初にやったりして生まれたのが、このサイト。それで、デザインを整えてから大々的に「公式サイトです!」みたいにやりたくて、記事も書いていなかったのだけど、なかなかWordpressをいじる時間が取れずに、4月8日の誕生日を迎えてしまいました。てへぺろ。

 まあ、これから時期を見てサイトの体裁を整えていきたいとは考えているので、しばしお時間を頂ければ幸いです。

 さて。4月8日は花まつり。つまりお釈迦様の誕生日で、多くの学校では入学式が行われる日。それに加えて、今年は7都府県の緊急事態宣言が発令された日という「歴史」が刻まれた日になってしまった。なんかあまり自分のお祝いという気分とは若干ズレが内心にあるのは確かだ。

 緊急事態宣言の是非については、面倒なのでここでは記さない。ただ、ちょっと階下の道路を見るだけで交通量は減っているし、世が静けさと切迫感が同居した不思議な空気になっていることは肌で感じられる。SNSでは個々がCOVID-19についていろいろ投稿しているし、メディアの関心もリソースの8割くらいは割いて報じているような感覚がある。

 かくいう私もメディアの端っこでお仕事をしているので、そういった情報から目を逸らすことが許されない立場ではあるのだけど、「怒」と「哀」にばかり触れていると自分自身が染まってしまう。そう、ソウルジェムが濁るみたいに。

 もう既にあちこちに記してはいたので知っている方は知っていると思われるのだけど、昨年は散々だった。まず不眠と頭痛に悩まされて、味覚が理解はできるが感じられなくなった。それに胃痛が加わり、瞼の痙攣や耳鳴りがはじまり、ついには失声症になった。夏頃はほとんど引きこもって過ごした。正直、「もう何も書けなくなった」と思った。

 結局9月に「再帰性うつ病」と診断され、めでたく精神障害者保健福祉手帳3級に認定された。これで気持ちがラクになった。良い主治医と出会えたこともあるし、パートナーがずっと支えてくれたというのも大きかった。しばらくネットから離れて読書したりアニメを見まくったり、旅行先でのんびりする時間を経て、少しずつ体調が持ち直した。服薬によって嘘のように眠れるようになったし、朝起きて三食きちんと取って、夜にPCを落として就寝するという、過去に記憶がないほど「まとも」な生活を送るようになった。

 それで、1月ごろから徐々に仕事に復帰して現在に至るわけなのだけど、そこに新型コロナである。東日本大震災時もそうだったけれど、情報過多になるとどこに落とし穴があるかわからないような、売文業にとってもストレスの溜まりやすい環境に放り込まれてしまった。「なるほど、これがロスジェネ世代の宿命か」とは思ったけれど、今のところは上手く対処できている。やはり、再起するプロセスにおいて、マインドが変わったのだろうな、とひしひしと感じる。

 ぜんそくもちで気管が弱い自分は、ずっと「30歳まで生きられない」と思っていた。その後は「おまけ」のように考えていた。それでどうしても捨て鉢のような行動や態度になってしまうことがしばしばあったし、何事もつま先立ちで向き合うような生き方をしていた。

 それが、今は「少しでも長く、書くことを続ける」ためにはどうしたら良いのか、ということをまじめに考えるようになった。まだまだ課題は多いけれど、そのためのストレスコントロールと生活リズムの構築に関して注意を払うようになった。まぁ、そんなことは学生のうちにやっておけよ、と思うのだけど、何事もはじめるのに遅いということはないだろう、と言い訳することも覚えた。

 だから、今回のCOVID-19にまつわる情報についても、50%くらいのリソースで触れて、残りは別のことに振り分けるようにしている。何も自分が「書く」ことはそれが全てじゃないし、ほかにも題材はたくさんある。公開が延期になってしまったけれど、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』のことも語りたいし、朝倉行宣住職がやっていらっしゃる『テクノ法要』についても追っていきたい。まだ乙女男子としても道半ばだ。そして、ロスジェネ世代当事者としての発信は続けていかなければいけないという使命感もある。ちょっと取り組んでみたいビジネスモデルも考えているし、なかなかに欲張りに、アクティブなマインドになっている。

 とはいえ、闇雲に働くとまたガクンと下がるかもしれないので、適度にブレーキを踏みつつ、そろりそろりと走るくらいがちょうどいいのだと言い聞かせながら、これからも前に進めることができればと思っている。

 そんなこんなで。これからもどうかよろしくお願い申し上げます。

「面白くてバズる」コンテンツはオワコン

 ここではお久しぶりになってしまいましたが、皆さんご機嫌いかがでしょう? 久しぶりにエントリーを書くので、取っ散らかそうだけれど、ババっとメモがわりに。

 オウンドメディアが次々と立ち上がり、「なんでもWebメディア」状態になって久しいけれど、どうも最近潮目が変わってきたな~と思う機会が増えた。ちょっと前に、ヨッピー氏が“おでかけ体験メディア”『SPOT』で「水分を取らずに30時間我慢してから飲む水が最高に美味かった件」という日本コカ・コーラの『い・ろ・は・す』のPR記事が炎上したことがあった。同記事は批判を受けて非公開になっている。

 ご指摘について(SPOT)

 最近では、地主恵亮氏が“小菅村をもっと楽しくおもしろくするWEBマガジン”『こ、こすげぇー』で「図書室で本を隠したよね?最近の子供も隠しているか調べる」という辞典に挟んで本を隠すといった内容の記事を書き、やはり炎上。記事は非公開に追い込まれた。

 10/24公開記事に関してご指摘いただいた件について (こ、こすげぇー)

 ヨッピー氏と地主氏に共通するのは、単価の高いオウンドメディアの記事だということ。あとは「面白ければバズる」という発想・編集方針。ついでにいえば、Twitterに土下座画像をアップしていることだろうか。
 自分もいくつかのオウンドメディアでお仕事をさせて頂いたことがあるけれど、中には編集体制が貧弱で、「企画の面白さ」が優先されて、運営企業・アイテムのブランディングに果たしてつながるのかどうか、首をかしげるようなメディアもあった。
 もうひとつ、Webを中心に売文業をしている身として昨年くらいから感じているのは、「RTやいいねの数はアクセスと必ずしも結びつかない」ということだ。とりわけ人気ライターの記事だとSNSの反応は良いが、内実は関係者や知り合いのRTや「いいね」だったりするし、SNSでの反応の総数がPVを上回るというケースも珍しくない。つまり、読まずにRTや「いいね」をしているひとが増えているということだ。これって本末転倒じゃないですかね?

 そんなわけで。自分は「面白くてバズる」というコンテンツがオワコンになっているのでは、とひしひしと感じている。そういうコンテンツに携わることもあるし、作り上げる楽しさはあるのだけれど、ユーザーに届かないのでは意味がない。
 企業側も、何らかの製品のPRをしたいという場合、「面白さ」よりも「まっとうに」その魅力をユーザーに分かってもらう、ということの大切さを一度考えてみてほしいな~と思う。タレントを起用してもどうせそのタレントが何を言ったという短い記事になるだけだし、あくまで「売る」というところがKPIならば、飛び道具に頼るのではなく、淡々とその良さを伝えるという地道な努力をしていく必要があるんじゃないかな~と感じる。

 なんだかやっぱりとりとめもなくなったけれど。多数のコンテンツがスマホで見るユーザーの可処分時間を取り合っている状態で、「面白い」も「バズ」も効かなくなっているということは、企画の上流のひとには理解して頂きたいな、というお話でした。

 次の更新がいつになるかわからないけれど、この辺で。

 

 

『ネコがメディアを支配する』を読んで考えたこと

ネコがメディアを支配する -ネットニュースに未来はあるのか (中公新書ラクレ)
奥村 倫弘
中央公論新社 (2017-05-08)
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 読売新聞記者→『Yahoo!ニュース』編集本部長→『THE PAGE』編集長と進んで、オールドメディアとネットメディア、プラットフォームについて知り尽くしている奥村倫弘氏の著書は、副題に「ネットニュースに未来はあるのか」と問いかけている。この本を読んで、ネットメディアに関わる端くれとしてさまざまなことを考え込まされたので、ざざっとメモしておく。

 まず、スマホの普及によりネットでニュースを読むことが普通になったということがどういうことか、といえば各メディアの競争が激化していくだけでなく、ユーザーの可処分時間をSNSやゲームなどと取り合いになっている、という現状がある。そんな中、ユーザーは不快な情報でなく自分にとって「心地よい」コンテンツに触れるという傾向になっていく。その典型が、本書で触れている「ネコ」だということになるだろう。このほか、有名人の炎上ネタやゴシップも一般人のよく言えば好奇心を刺激する。特に広告モデルの無料メディアの場合、PVがそのサイトの価値を担保している。本書でいうところの「PV至上主義」になるのは、そういったビジネスモデルに起因している。

 個人的な考えではあるが、「ネットで起きていること」あるいは「ネコ」がユーザーにとって無価値だとは思わない。無価値でないからこそ読まれるわけだし、それを否定するのはメディアにとっては読みに来てくれるユーザーの否定になる。求められているコンテンツを出すこともメディアの仕事だ。ただし、「パクリ」のような著作権の侵害をはじめとするような法令に違反することなく。
 一方で、メディアとして「出したい」コンテンツをユーザーに届けることによって、そのメディアのブランドを作っていくということも同時並行でなさなければいけない。その一つの形態として「ジャーナリズム」というものが必要になる局面もあるだろう。メディアによってはそれが「エンタメ」になるかもしれないし、「調査報道」なのかもしれない。後者の場合、新聞・テレビといったレガシーメディアの方が人的・財政基盤といった面から見てもまだまだ強いのは認めなければいけない。

 とはいえ、そういったレガシーメディアも、ネットの情報に「引っ張られている」というのが現状ではある。先日もフジテレビがスタジオジブリの宮﨑駿監督の引退発言をTwitterのネタツイートから誤って引用するようなことがあった。SNSの普及が進めば進むほど、真偽があやふやな事象が増えていき、それにメディアが乗ってしまう事態は増えていくことになるだろう。そういった意味では、散々釣られてきたネットメディアの方が真偽を判別する能力があるかもしれない。だから、メディアの数がネットによって増えていくということは悪いことでないと思う。

 本書では「ポスト・トゥルース」「フェイクニュース」にも言及している。ただ、これは今にはじまったことではない。最近では朝日新聞の「吉田調書」特集の例があるし、従軍慰安婦の報道も訂正に追い込まれた。結局のところ、これらは古くて新しい問題だと言えるだろう。これによって朝日新聞に限らず、レガシーメディアの信用は若年層になるほど失墜しているし、もっと言うならばメディア全体が一般の人から嫌われているということに対して、本書でいうところの「原点回帰」ということだけでは甘いように感じる。

 一方で、財政基盤を持たない新興メディアや、別業種が運営するオウンドメディアは、広告収入が途絶えたり親会社の方針が変わった際に一発で終わる可能性がある。そういうメディアは短期的な「業績」を求められるし、それが「ネコ」へと走らせるという側面もあるだろう。では、そういったメディアはなくなっていいのか。まぁ、ユーザーからしてみれば「暇つぶし先」がひとつなくなるだけかもしれないが、ネット全体から見れば多様性が失われるし、何より中の人の仕事がなくなる。ネットメディアの人間だって霞を食べて生きているわけではない。
 それに、どんな記事にだって、多かれ少なかれ「社会貢献」といった側面を持っている。どんなメディアだって全ての事象を拾えているわけではない。大多数にとっては無価値な情報でも、1人でも価値があると感じるユーザーがいるのであれば、そのコンテンツを出すというのが、ネットメディアのあり方だと個人的には信じているし、信じたい。

 とはいえ、ユーザーがニュースアプリやプラットフォームのアルゴリズムによって選別されたニュースに触れているという現状がある以上は、本書における「流通ブランド」がその質を上げるカギを握っていることは間違いないだろう。最近では『Yahoo!ニュース』も自前のコンテンツを配信するようになっていて、アパレルにおけるSPA(製造小売業)のようになってきている。しかも、各プラットフォームはさまざまな事業を展開していて、それに対して不利になる情報を積極的に配信するのか疑問符がつく。個人的には、彼らの「編集」あるいは「キュレーション」の質あるいは透明性、公平性が担保されない限り、ネットニュースに未来はないと断言できる。本書では、コンテンツアグリゲーターに絞って課題や将来像を描いているが、プラットフォームへの言及については少なくやや不満に思った。

 どんなにメディアや個々のライター・記者が自律したコンテンツを配信したとしても、それが適切にユーザーの元に届く情報流通環境がないと、結局はビジネスとして「ネコ」で食べていかなければならないところもあるだろう。逆に『THE PAGE』のようにヤフーの100%子会社でPVに拠らないコンテンツを出せるというところならば、「調査報道」に注力すれば良い。なんだか冷たい物言いになってしまうのだけれど、ネットで売文をしている身からすると本書は総じていささか理想論に過ぎるという印象を受けた。

「トリアージ」される就職氷河期世代

 今週からGWまでの予定がカツカツでしかも気管支炎で喉の調子がヘンなままのParsleyです。ごきげんよう。

 俺ら就職氷河期世代ってもう忘れ去られたのかな (追記あり

 この増田のエントリーを読んで胸が痛くなったので、メモがわりに。

 2015年頃には、政府が働き方改革実現会議の一貫として氷河期世代対策が遡上にのぼって就労支援が提案されているけれど広範に実現されているというまでには至っていないし、同じ頃にビジネス誌なども関連して特集を組んでいたりもしたけれど、最近では見なくなった。だから、この増田の見立ては間違いっていないと思う。

 ※参考 アラフォー男子が自信が持てない理由

 「失われた20年」で、大学・専門学校を出ても就職先がなかったというのは過去の話になったし、その後に派遣社員やアルバイトから正社員になれずにそのままサバイブしなければならなかった人はたくさんいる。リーマンショックのタイミングなどで会社が倒産したり、解雇される憂き目にあった人も多いだろう。一度レールから外れると、再度立て直すのは簡単ではないし、自分のように心身を壊す人もいる。

 この増田は「何を努力すればいいのかわからない」と記しているが、これこそが氷河期世代の困難を物語っている。履歴書で見栄えする経歴がなく、ただ転職歴が長々と続く状態になると、正規雇用として雇われにくくなるが、過去は変えられない。資格を取るにしてもお金が必要だし、職業訓練所に通う時間を捻出するには今の仕事を一度辞めざるを得ないだろう。完全に袋小路に入って身動きが取れないまま、ただ年月が過ぎていく。

 おそらく、ベーシックインカムが導入されない限りは、多くの氷河期世代を救うことはできないだろう。そして社会保障が予算を逼迫しているこの国でベーカムが取り入れられることはおそらくない。そういった意味からも、我々の世代を「トリアージ」していくという判断は合理的だし、そうなっていくのだろう。

 そんな中でも、時たま「蜘蛛の糸」が垂れてくることがあって、自分はたまたまそれを掴む運に恵まれたから何とか状況を改善することができたけれど、これは本当に運でしかない。願わくば多くの同世代に「蜘蛛の糸」を掴む機会が得られますように。

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どうせなら良い「踏み台」になりたい

 今年もというべきか、お釈迦様の誕生日に歳を重ねた。20代の頃は毎年「死に損なった」という感覚でいたけれど、今はつらいこともあるけれど基本的に人生を楽しんでいると思うし、これまで生きてきた期間よりも死を迎える時間の方がたぶん短くなっているのだし、せいぜい自分の生きたいように生きようと考えるようになった。

 正直、自分の気分ではまだ25歳くらいでいるし、見た目も(ちょっと白髪が出るようにはなっているけれど)そんなには変わっていないから、前厄だという実感に薄いのだけど、体力は明らかに衰えた。ちょっとしたことでもベッドから起き上がれないという日もあるし、ハードワークをした次の日に何もできなくなるという事も増えた。19歳の時から新聞奨学生として社会を見る機会はあったものの、学生でなくなったのが26歳と遅かったということが影響しているのかもしれない。若い子と付き合っていると、「また勉強し直したいなぁ」と思う時も多いけれどね。

 それにしても。40過ぎでもフラフラとした立場でいるというのは、「なんだか人生失敗しているな」と感じるし、実際に同年代で活躍している人を見ると上手くいっているとは到底言えないのだけど、それなりにいろいろなところで売文しつつ、社会に何らかの寄与をするという幸運に恵まれている身としては、自分よりも若い子だったり、何らかの手段で世の役に立とうとしている人の後押しをしなければいけないな、という意識が年々高まっている。自分はこれ以上の栄達が望めそうにないということはなんとなく理解しているし、伸びしろも今後どんどんなくなっていくだろう。だからまぁ、せめて自分を「踏み台」にして、世に出る人の役に立ちたい。

 「踏み台」といっても、0.1cm程度の高さしかなかったなら、その人が「飛ぶ」役割は果たせないから、せめて10cm程度の「踏み台」になりたいし、できれば内部にバネが入って、その人のジャンプを助けたい。そのためにメディアは存在していると思うし、ネットメディアの隅っこで売文している身としては、そうならないといけないな、と改めて考えた誕生日だった。

 ちなみに、写真は洗足池の散った桜で彩られたベンチ。どうせなら、皆がぱっと咲いた後の残り香を感じつつ、彼らの活躍を見守りたいと思う今日このごろだったりします。

 

 

追悼・佐藤大輔

征途〈1〉衰亡の国 (トクマ・ノベルズ)
佐藤 大輔
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 中高校生の頃、架空戦記を読みまくっていた。その多くが、どこか荒唐無稽で現実感のないものだとは、子どもながらに分かっていた。そんな中で手にして読んでみてショックを受けたのが、佐藤大輔氏の『征途』だった。
 捷一号作戦~レイテ沖でもし連合艦隊が作戦に成功していれば、というIFから始まるこの物語は、それが太平洋戦争の趨勢に影響を与えず、むしろ北海道の半分までがソビエト連邦に占領されるという「分断国家」になるという帰結を生む。そして、朝鮮戦争と同時に「北海道戦争」が勃発し、ベトナム戦争に自衛隊が参戦し、「統一戦争」で「北日本」の戦術核が米海軍を壊滅させる。そして、その戦争の最中にクーデターが起き、樺太の核サイロを無力化させる作戦が敢行される……。その最中には、常に戦艦(戦後は護衛艦だが)『大和』がいた。

 佐藤氏の架空戦記は、歴史上のある転換点を、僅かに変えるところから物語がスタートする。『レッドサン・ブラッククロス』や『侵攻作戦パシフィック・ストーム』ならば日露戦争だし、『覇王信長伝』ならば本能寺の変、『遥かなる星』ならばパナマ危機……。その「IF」が精緻な、あり得たかもしれない「もうひとつの歴史」を紡ぎ出すという作業において、佐藤氏ほどのリアリティをもって成し遂げた作家を、私は他に知らない。

 佐藤氏の多くの作品は徳間書店から新書・文庫で発売されたが、90年代後半に架空戦記から撤退してしまったため、その遅筆さもあり、発表されていたほとんど作品にミッシングリンクが残されてしまったのは多くのファンにとっては残念に思うところだろう。『地球連邦の興亡』もこれからというところで途切れているし、『皇国の守護者』もあれでお開きというのは「そりゃないぜ」という感想をどうしても抱いてしまう。それらすべては読者の想像に委ねられてしまった。

 敢えて佐藤氏の功績をひとつ挙げるならば、架空戦記という児戯とも揶揄されるジャンルで、圧倒的な「現実主義」を貫いたということだろう。私は彼の作品で「仕事をする大人の流儀」というものを学ばされたし、無名有名関わらず人生というものがささやかな「一撃」によって劇的に変わる可能性があるということを教えられた。

 21世紀も十数年を経て、『スケルトニクス』のような動作拡大型スーツが開発されるようになっている。『遥かなる星』での硬式宇宙服が実現しようとしている時代に、ある意味でひっそりと亡くなってしまうなんて、「そりゃないぜ」と言いたくなる。ああ二度目だな、この言葉。
 いくら言葉を紡いでも、もう未完作は未完作のままに終わった。これは動かしようがない。『シン・ゴジラ』的に言えば「あとは好きにしろ」ということなのかもしれない。それでも、貴方の書く「未来」を、私は読みたかった。

 今はひとまず献杯を。その魂の安らかんことを。

 

フィルターバブルで困るのは実はメディアなのでは説

 ちょっと込み入った作業が一段落したので、メモがわりに。

 最近、「フィルターバブル」という言葉について考えることが多い。要するにGoggleのパーソナライズド・サーチやFacebookのニュース・ストリームが、ユーザーの属性を解析することによって検索結果を出すことにより、その人が「見たくない」情報から隔絶され、文化的なバブル(膜)に閉じこもってしまうことを指している。この問題は例えばフェイクニュースに引っかかってしまいがちになる事と結び付けられていることもあり、NHKの『対立か共闘か? メディアとプラットフォーム』で、出席者がしきりにGoogleとFacebookのアルゴリズムをやり玉に上げているところからも、欧米メディアが真剣に捉えているところが見てとれるだろう。

 個人的には、売文屋として幅広いジャンルをカバーしなければいけないという事情もあって、この「フィルターバブル」を実感するまでに至っていないのだけど、多くのユーザーが「見たいものは見ない」という傾向になっているのは感覚レベルでわかるし、サイトを簡単に解析して属性やトラフィックを見ても何となく感じ取れる。

 加えて日本の場合、Yahooのトップページやアプリ、SmartNewsなどのニュースアプリなどが強いので、そこで表示されなかった情報=記事はユーザーにとって「なかったもの」になってしまう。そこではより表層的なニュース(もっと言えば短信)が多くなりがちだし、「読み応えのある記事」でもジャンルが滞ったりしてしまいがちになる。
 そうなると、メディアの側でも他の媒体と同じような情報を「出さざるをえない」状況になっていくし、ユーザーの属性を分析すれば分析するほど、ユーザーの「喜びそうな」コンテンツを作らざるをえない方向に追い込まれる。「メディア総夕刊紙化」といえばわかりやすいだろうか。

 最近、編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞に『週刊文春』の「ベッキー31歳禁断愛 お相手は紅白初出場歌手!」が選ばれたが、これも見方によっては「フィルターバブル」によってもたらされた現象と考えられなくもない。後発の週刊誌もこぞって彼女の話題をピックアップしたし、ネットメディアも「週刊誌が報じた」ことをそのままニュースとして記事にして出した。しかもそれが数字(PV)が取れる。だから乗らなければいけない。好むと好まざるとに関わらず、そういったニュースを「追う」ことをしなければ、バスに乗り遅れる。そういう状況になっているのではないだろうか。

 もちろん、ゲスな話題を取り上げていくことの免罪符にはならないのだけど。世の中には多様な伝えるべき事象があるにも関わらず、横並びに同じトピックを追っていって、ネット環境に適応しようとするのは、それぞれのメディアの輪郭をぼやけさせることになる。フェイクニュース問題は、数年前ならば「怪しげなニュースサイト」ということでリテラシーの高い人ならば信用に値しないと切って捨てただろうが、どこのメディアが出したものなのか、あまり問われなくなり、サイトでもそれが小さく表示されるのみになっている現在だからこそ起きていることだと思える。そしてその根幹には、メディアのブランディングが崩壊していると捉えるべきなのではないだろうか。

 そんなこんなで、「フィルターバブル」が起きることで困るのは実は各メディアなのではないか、というのが私の仮説なのだけど。多くの読み手がそれで「困っていない」ということも事実ではあるし、そこを打破するキーは何なのか、たまに自問自答する今日この頃だったりするわけなのです。

 今夜はもう少し働きたいのでこの辺で。
 

『不寛容の本質』を読んだ

 最近、日本社会を評する上で「不寛容」という言葉が踊る機会が増えている。そんな中で刊行されたのが、西田洋介先生の本書。

 著者は、主に社会通念や制度において、現代社会に「昭和の面影」が残されており、それが現代社会の実態と乖離しているのが、若者世代と年長世代の乖離の大きな要因であると着目。とりわけ低成長世代を経験した世代が、昭和という時代を「安定の象徴」として羨望していると分析する。この「安定」とは例えばマイホームやマイカーといったものを差している。Parsleyのような40を超えた世代にとっても、各種ローンを組んで大きな買い物をするのが事実上不可能だというひとは多いから、「安定」というものが遠い存在であるということには頷ける。一方でかつての『小悪魔ageha』のように、「今さら不況だからどうとか言われてもよくわからない」 という人も多いはずなので、若者世代が明示的に昭和を「羨望している」のかどうかは正直分からない。

 第二章では各種統計を引用して、この10年間で平均給与が上がっておらず、生活意識が「苦しい」と答える人が目立ち、世帯数が増加し子育て家庭が減っていることが着目されている。その上で、税収がバブル期の水準であるにもかかわらず、豊かさを感じないことに「日本型システムの限界」を見ている。
 さらに、第四章では規制緩和を主張する起業家のような「イノベーター」と、生活水準の改善を求める「生活者」が対立構造にあるとしており、第六章では各教育機関が予算削減により喘ぐ現状が記されている(この章を入れたことに、著者の「らしさ」が感じられる)。

 前述のように、若年層が昭和時代を羨ましがっているかどうかは、果たして本当にそうなのか。30~40代にかけてはそのような人の存在も多くなるだろうが、それ以降に誕生した「不況しか知らない世代」が「バブル」と言ってピンと来るのか、ヒアリングなどで補強が必要なように思われる。
 また一方で、第四章で語られた「イノベーター」と「生活者」の対立というのが、ほんとうにあるのか。これも今更長期雇用が望めなくなっているのは明白だし、「家族経営」的な日本型企業のあり方が崩れている以上、何らかのイノベーションによる雇用創出は欠かせないし、その先頭に立つ「イノベーター」の存在はむしろ「生活者」にとっては仕事のあり方の選択肢を増やす存在と捉えることも出来るのではないだろうか。

 とはいえ、著者が目的とする「社会に対する認識の更新」と、「不寛容の本質を再考するきっかけ」として、本書が果たす役割は大きいように思える。とりわけ、「年長世代」で若い層の考え方が理解できないというひとには、昭和末期~平成生まれの世代の「認識」を把握し、その社会環境の違いについて思いを致してほしいな、と思わされた。

『BLOGOS』にピックアップされた人はハズレなのか

 タスクが終わらずにむっちゃイライラしているので、数十分ほどエントリーに現実逃避することにする。

 北条かや女史が新著を出すようで、朝日新聞系『withnews』に記事が載っていた。

 インターネットで死ぬということ 1度の炎上で折れた心 北条かや(withnews)

 「あ、これ載せたらあかんやつや」と、何年もネットで生息していた人間ならば即座に感じるものだが、『withnews』の中のひとたちはそうは考えなかったのだろう。理由については各自ググって下さい。

 個人的にParsleyが感じたのは、「なぜ『BLOGOS』がピックアップした人材はハズレになっていくのか」ということだった。まぁ、私のブログも『BLOGOS』に転載されているわけなのだけど。
 それにしても、イケダハヤト氏は高知だかどこかでトマト栽培家になったようだし、梅木雄平氏は『東京カレンダー』でバブルの郷愁みたいな、それこそ西田亮介先生の言うところの「昭和の面影」を再生産しているし、ゲームアイドルとして活躍していた杏野はるな女史も一時期『BLOGOS』に掲載されていたけれど、それが所属事務所社長がゴーストライティングしたものだと後で明らかになり、極めつけが「人工透析患者はそのまま殺せ!」とやった長谷川豊氏である。そして、北条女史も一時期『BLOGOS』でかなりピックアップ率が高かった。なんでしょう、この高打率にヤバい人材を輩出している理由は?

 ただ、2009年以前よりブログで活動していた元切込隊長の山本一郎氏をはじめ、大西宏氏やシロクマ先生といった面々は、フェードアウトすることなく変わらずに健筆を奮っている。これは、2000年前後のテキストサイト時代から2003~2004年のブログ黎明期よりエントリーを発表し続けて、何か書くたびに共感なり反論なり、論考が連なっていったトラックバック文化や、荒ぶるはてなブックマークのコメント欄などの洗礼を乗り越えてきている一方で、それ以降に出てきたブロガーのもやしっ子ぶりが際立っている。
 これにTwitterなどのSNSがどう作用したか分からないけれど、発信の場が多様になり、ネットの参加者の母数が増え、予期しないところからの「攻撃」の可能性も増えた中で生き抜いていく処世術を構築することができたか、あるいはできなかったの差のように思えるのだ。その「タマ」を、『BLOGOS』編集部が見抜けなかったということなのかしら、と感じているわけです。

 ま、私自身が「アタリ」だとは毛頭思えないし、自分自身も何度か足を踏み外しかけているから、「ハズレ」扱いされても仕方ないなぁ、と反省する部分も多いにありつつ、こんなことを書いちゃうあたりが懲りてない証拠とも言えるし、要は『BLOGOS』というプラットフォームがネットに果たした役割というやつを、そろそろ振り返るべきなのではないか、と思っているという話なのでした。

 そろそろ作業に戻らなければならないのでこの辺で。

シニア向け月刊誌『GG』への既視感

 なかなか眠れないので、メモ代わりに。

 あの『LEON』の創刊編集長だった岸田一郎氏が、50~60代に向けた月刊誌『ジジ(GG)』を創刊するそうだ。

 LEON創刊編集長による月刊誌「ジジ(GG)」創刊 ファッションから相続・遺産まで掲載(Fashionsnap.com)

 表紙は、いかにも『LEON』っぽいテイストで苦笑したのだが、「バブルを経験した彼らのモノやコトへの興味はいまだ旺盛」という分析にはちょっと笑えなかった。確かに会社役員クラスに就いている層はそうかもしれないが、同じ世代でリストラを経験して低所得に喘いでいるというひとも少なくないだろうし、マジョリティはファッションや車、旅行などに関心を向ける余裕とも思えない。決して「ゴールデン・ジェネレーションズ(Golden Generations)」だとは見えないのだけど……。

 ここで思い起こされるのが、2006年頃に刊行されていた『ジー(Z)』だ。拙エントリーをご参照頂きたいが、この雑誌も「青二才禁止!55歳以上限定!!」と謳っていて、シニア男性のライフスタイル誌として、とりわけ旅行のトピックを多く特集していた。

 『GG』を発行するGGメディアは、HISが37.7%出資しているのだという。ここからも旅行が大きな扱いを受けることは規定路線のように見えるが、同世代の女性ほど男性が旅行に関心が高いか、というと疑問符を感じずにはいられない。
 発行部数は5万部ということは、コンビニ展開を視野に入れていると思われるが、先程挙げたようなこの世代の富裕層が書店も含めてどれだけ足を運ぶのか未知数だし、感度の高い人ならばスマホを使いこなしているだろう。そのあたりも前途多難感がある。

 ちなみに、『Z』を刊行していた龍宮社出版はその後2010年に倒産しており、2007年に雑誌を買収したエムスリーパブリッシングは2008年に『Z』を休刊させた上で出版事業から撤退してしまった。資料によると、「上半期で約1億円の営業損失」だったという(参照)。

 そんなわけで、まったく上手くいく要素が見当たらない『GG』で、「よく刊行を決定したなぁ」という感想になるわけなのだけど。雑誌好きとしては怖いもの見たさで創刊号は買ってみようと思う。できればネタになるような誌面を期待したい。

昭和40年男 2016年12月号
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